4月に受験した、LPL認定試験に不合格になって出てきた反応の一部始終を綴っています。
その9は、セッションの話の途中ですが、明美ちゃんの個人セッションが前世療法だったというお話です。
この話をしないと、その後に繋がらなくなっちゃうから、コーヒーブレイク的に読んでくださいね。
明美ちゃんの前世療法
前世療法の話をする前に、大切な話をひとつ。
明美ちゃんは、「自分の前世が知りたいので前世療法をやってください」というクライアントさんには前世療法はやらないんです。
テレビ番組「オーラの泉」などがきっかけになったスピリチュアルブームの時代に、そういうクライアントさんがとっても増えたそうです。
でも、自分の人生のうまくいっていない部分を、全部前世と関連づけて、納得したがる人たちを見て、明美ちゃんはとても違和感を感じたんですって。
今生での自分の問題にちゃんと向き合ってきた人でなければ、前世療法は別の回避ルート、逃避ルートになってしまう。
そう感じるから、頼まれてもやらない。
やるなら、今生での問題にきちんと向き合ってきたと思える人だけにする。
というのが、明美ちゃんのスタンスなんです。
「前世を見たいから個人セッションをお願いします」では、明美ちゃんは受けてくれません。
だからこそ、セッションが始まってすぐに、ろくすっぽ話もしていないのに、『雪絵ちゃん、それ前世だね』って言われた瞬間に軽く後ろに引きました(笑)
前にも書きましたが、身体の反応がかなり顕著に出ていたので、はじまる前は、「ジャーニーワーク・身体の旅」かなって明美ちゃんも思っていたそうです。
わたしも「ジャーニーワーク」を学んでいるので、使うのかなぁ〜と思ってました。
でも、
『雪絵ちゃん、これはジャーニーじゃないわ。
… それ、前世だね』
と、唐突に言われました。
セッション後に、『入ってきた時の顔見て、思った』とも言われて、明美ちゃんの直観に改めてビビりましたよ。
なんで何も話してないのにわかるの!(笑)
でも「そうなのかなぁ~」という感覚もあって、明美ちゃんから『前世療法やってみようか』と言われて断る気にはならなかったんです。
前世療法って初めての体験でしたが、信頼する師匠のセッションですしね、ワークに入るときに怖さとかは全くなかったです。
どちらかというと、何が出てくるかちょっと楽しみでもありました。
それで、ワークに入っていきなり出てきたのが、宙ぶらりんになって吊されて、ほとんど死にかけてる「わたし」でした。
前世という実感はあるのか?
「前世という実感はあるのか?」
そう問われると、夜見る「夢」との違いや、それとも自分の中の空想したストーリーなのか、ワーク中は区別がつかない部分はありました。
今でも、自分で空想したストーリーじゃないの? と思う時もあります。
でも、ワークをしてる自分を、客観的に見てる自分もいました。
観照の視座で、起きてくることを冷静に見ていてもいたんです。
だから、夜見る夢のように、怖い!! とか、びっくりして飛び起きる! みたいなことはなかったです。
淡々と、湧いてくるイメージを映画のように見ている という感じでした。
そして、体感があるんですよね。
最初の死にかけているシーンで足が地についてる感覚がない! とか、凍えるような寒さを感じて震えるとか、体が熱くなるとか。
スパイだった! とわかった瞬間の腑落ち感と、止めどなく溢れる涙。
「あぁわたし泣いてるわ〜」と思いながらも、涙が止まらない。
絶望して心を凍らせて、何も感じなくさせてる感覚も体が覚えてる感じがするんですよね。
セッション中に体感したことに違和感がない。
こればっかりはどれだけ文字で書いて、しゃべって表現しても、体感しなきゃわからないとは思いますけどね。
わたしとしては、セッションを受けてみて、妙に納得感があったのは、事実です。
最初にいきなり死にかけてるシーンからとは思ってもいなかったけど、あのシーンですでに納得感がありました。
『わたしにとって生きることは償いだから』
セッションを受けることを決めたこの言葉と直結してる感覚がありました。
何度も書いてますが、そもそも「償い」なんて言葉は今のわたしの辞書にはないと言ってもいいぐらい。(笑)
理性的に考えると、「償い」という言葉がわたしの中にあること自体、ちょっと信じられないし、出てきても違和感ありまくりなんです。
でも、その言葉がポロリと自分の奥底から出てきたのは事実です。
なぜ「償い」だったのかは、セッション中に「スパイだった」という言葉が湧いてきて、はじめて「あぁ、それでなのか!」と納得しました。
すべてを失った絶望感と、誰も救えなかった罪悪感。
償いの人生を生きていくしかない。
いのちあるかぎり罪を償い続けれなければならないのだ。
わたしは死ぬまで償うのだ。
自分のいのちを何かに捧げて、自分を生きることをどこかで許せなかったのは、前世という、今生の記憶にないところからくる言葉だったんです。
そんな言葉を引きずっていただなんて。
普通に生きていては、わかることのない感覚。
潜在意識の中で脈々と受け継いできた想い。
でも、こうやって言葉として顕在意識に浮上してくるのは、「もう終わらせていいよ」というサインでもあります。
もうこの想いは終わらせていい。
セッションの中で、自分に言っていました。
今まで解放してきたビリーフや自分のテーマとも繋がっていた
ちょっと話は前後しますが、セッションを終えてから思い返していると、今まで解放してきたビリーフや、自分のテーマとも繋がっていることがわかってきました。
これが、わかってきてからの方が、前世療法って凄い!と鳥肌が立ちました。
「大切なものはすべてなくなる」
以前、夢に見た過去の出来事を取り上げてもらった時に出てきたビリーフです。
その時は、「わたしの大切なものは全部持っていかれる」でしたが、今回の前世療法でも、ほぼ同じ感覚を味わいました。
これは、エニアグラム タイプ7の根源的な恐れでもあります。
「たった一人の生き残り」
これは昨年のLPLアドバンスコース(今年からマスターコース)の「コンステレーション」ステージで、クライアントをやった時の祖母の代役からのメッセージと繋がっています。
わたしの家系は太平洋戦争時、満州国に居て、終戦後すべてを捨てて命からがら日本に帰ってくる体験をしています。
その体験をコンステレーションで見た時に、祖母の代役の方が言った言葉が、
『たった一人でもいいから、生き延びて欲しい』
でした。
この言葉がわたしの中の何かを呼び覚ました。
昨年参加したびわ湖WSで立った代役も、「東日本大震災の津波で生き残った人々」でした。
ここに繋がっていたのは、かなり驚きました。
たったひとりの生き残り。
言葉ではなく、身体が覚えているのはこの感覚でした。
何かをやり出そうという気が起きてこない
LPLで描いた「人生の樹」が、どこかで動きだす気がしてませんでした。
救いたかった人達のために動きたかったけど、動けなかったあの感覚。
さらに、
「救いたい。すべてを救って、誰も失いたくはなかったけど、結局、なにもかも失った」
そんな体験があれば、何かをしても阻害される、どうせ上手くいかない と思い込んでいても不思議じゃありません。
そして、「すべてが滅びる、無くなる」と潜在意識の憶測で思っていては、どんなに立派な未来を描いても動き出すわけがない。
ここに上げただけでも、今までの自分の行動の根底には、この前世感覚が深く繋がっていたことがわかって、怖いほどでした。
でも、どの思い込み(ビリーフ)も、今のわたしにはもういらないものばかりです。
もう終わったこと。
終わらせて、過去に置いてきていいよ。
もうこれからの自分にはいらないよ。
どれもわたしの未来にはいらないし、もうそれらの言葉に縛られたくない。
手放すために、今回のとんでもない身体反応が起きたんだなぁ と、後から振り返ることができました。
自分を縛りつけていた前世からの思い込み(ビリーフ)がわかって、手放す決意をしたら、次は未来に向けてどう踏み出すか。
過去の癒しだけに終わらないのが、明美ちゃん流であり、LPL流。
次では、このセッションをどう未来へ繋いだかを書こうと思います。
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