いいこと、楽しいことばっか書くのがブログじゃありません。
たまには、ブラックネタでいきます。(笑)
4月に受験した、LPL認定試験に落ちました。
不合格の理由は、師匠である明美ちゃんからのフィードバックに頷くことしかできなかったので、納得はしてるんです。
ところが、結果発表直後から、ものすごい反応が起きてきてしまったのです。
事の一部始終を淡々と綴ってみようと思います。
結果発表の場から
結果を聞いて、フィードバックをもらって、頭で納得してる間はよかったんです。
理性が働いていて、真摯に明美ちゃんのフィードバックを聞いていました。
ところが、次第に感性が反応しはじめて、理性で制御できなくなります。
理由もわからないのに、ただただ涙が出てくる。
理性で押さえていれば止まるのに、理性がゆるむと、涙が止まらない。
みんなと同じ場で、他人の話を聞いている間はいいんです。
それが、トイレや事務作業等で、一人の時間ができてしまうと、とにかく涙が溢れて溢れて仕方なかった。
口では平然と人と会話ができるのに、心が号泣している。
まるで、自分の中に二人の人がいるよう。
冷静に結果を受け止め、「それは仕方ないでしょ。結果は自分でもわかってたじゃない」と言っている自分と、わけもわからず、ただただ涙を流すだけの自分。
自分の中でこれだけ際立った体験ははじめてでした。
なぜ、こんなにも涙が溢れてくるのか。
やがて、なんとか理性で涙を止めてましたが、それもできなくなり、人前で涙腺崩壊。
崩壊したら、感情も溢れてくるのを止められなくなりました。
悔しい。
悲しい。
自分に対する怒り。
この3つの感情が入り混じってグチャグチャになって、涙と一緒に自分の中から溢れてくる。
でも、自分でさっぱり理由がわからないんです。
あまりに感情的反応が酷かったので、みんながいなくなった後、その場で、かおりちゃんに感情ワークをお願いしました。
右腕で不動明王が憤怒の形相で仁王立ちしていた
LPLの認定試験項目の中に「逐語記録」があります。
試験当日のセッションを文字興しし、提出する課題です。
わたしはこれが書けなかったのです。
書けなかった理由のひとつに、長時間入力していると、右腕が動かなくなるほど痛くなり、書けなくなるということを提出ギリギリまで繰り返していました。
提出ギリギリのラインで、あまりの腕の痛さに書くことを諦めました。
「落ちてもいい」
そう思いながら。
結果、試験は、この逐語記録が書けなかったことが理由で不合格になりました。
実技試験で不合格なら納得がいく。
でも、逐語記録が書けなかったことで、不合格でした。
悔しい。
とにかく、悔しい。
痛みによって動かなくなった自分の右腕を労ることを優先させて、自分の想いは成し遂げられなかった。
今思えば、このことがトリガーとなって、反応が起きたのだといえます。
泣きながら、いろんな想いをぶちまけながら、かおりちゃんに寄り添ってもらって、右腕の痛みにアクセスします。
そこには、不動明王のように、棍棒を持ち、憤怒の形相をして仁王立ちした像があって、真っ赤に燃えたぎる炎の中でこう言っていました。
『自分の身体を大切にできない奴は、この炎で焼き殺してやる』
その言葉と、そこにある感覚を、しっかりと感じきります。
すると、その像は次第に青くなりはじめ、静かに穏やかになり、やがてよく見る仏像のように、黒いただの像に変わってゆきました。
そこにあった言葉は、
『これでいい。』
『それで正しい。』
『自分の身体を守るという選択で、間違っていないのだ』
この言葉を自分の中で聞いた瞬間、泣き崩れたわたしがいました。
自分の身体を大切にしたいと思った、その想いでいいのだ。
今までさんざん自分を痛めつけ、苦しんできたわたしには、それは「許し」の言葉でした。
自分が、自分に送った「許し」。
今まで、どれだけこれを自分にしてこなかったかは、今までの自己探求ワークの積み重ねでよーくわかってます。
だからこそ、ここでの「許し」は大きく自分に響きました。
大きな代償を払って。
なんとか帰路に
このワークのおかげで、なんとか平静を保てるようになったので、その後、少しだけ懇親会に出席して、予約してあった新幹線の時間もあったため、早々に名古屋に戻りました。
でも、自分の行動に「許し」ができても、一人になって自分の内側と繋がると、涙が止まらない。
帰りの新幹線の中でも、自宅に帰るまでも、ずーっと涙を流していました。
次から次へと溢れてくるから止められないのです。
仕方ないからもうそのまんま。
止めても止めても出てくるんだもん。
相当酷い顔して帰ったんでしょうね。
帰宅して、顔を見たダンナ氏と息子ちんが開口一番、『どうした?』
『試験、落ちた』
二人は、『ママ、一生懸命やってたじゃん。』
そう優しく言いながら、ハグのサンドイッチをくれました。
わたしの頑張りを身近で見ていた二人は、わたしを責めることなく、優しく受け容れてくれました。
最後の追い込みだったゴールデンウィークは予定していたお出かけを反故にし、食事も作らず、家事もやらず、自分のことに集中していたのに、それでも、責める言葉は一言もなく、ただただ、むぎゅとしてくれた二人。
その優しさに、さらに涙が止まらない。
二人のあたたかさが、心からありがたかったなぁ。。
その2につづく