先日、2年間学んだLPL養成講座の認定試験を受けてきました。
LPL認定試験はエベレストより高い?
LPL認定試験は2期受講し、2期分の修了証がないと受験することができません。
ただ受講すればいいだけでなく、修了条件を満たして修了していることに加えて、受験希望者はさらに全課題図書のレポートを提出するという別のハードルもあります。
そして手にした受験資格を持って、はじめて認定試験に臨めます。
LPLの認定試験は、受講資格を得て、受験すれば合格する試験じゃありません。
講師である明美ちゃん自身が、「エベレストより高いよ」と言うぐらいですから。
(登山を心得る者としては、エベレストより標高差の高い山もあるし、難易度ではエベレストのノーマル・ルートより難しい山は、山ほどあるとツッコミたかった(笑) けど、そこはナイショ)
でも、人の心、しかも潜在意識という繊細な領域を扱っていくわけですから、それぐらい厳しくて当然でしょう。
生半可な気持ちで扱えるものではありません。
そもそもカウンセラーやセラピストとして心を扱うならば、クライアントさんの人生を左右しかねないことも充分承知した上でなければなりません。
それを理解した上での試験なので、厳しくて当然なのです。
不合格も充分あり得ると承知しての受験です。
いつもはユーモアもあり、キュートな明美ちゃんですが、認定試験に関して言えば、師匠として鬼だと思います。
実際、試験官としての明美ちゃんは不動明王のような形相でした。(笑)
でも、明美ちゃんがそんな形相で何を見ているのかはわかっているので、怖くはなかったです。
明美ちゃんの愛ある厳しき眼差しで、自分の現時点での実力を見てもらえる歓びも感じながら受験してきました。
野望と覚悟
10期LPL養成講座(2016年)が終わった時に、LPLはこの世界を変えていくものだと感じ、関わり続けたいと思ったんです。
翌年、11期を続けて受講し、その思いは強く確固なものになりました。
LPLを世界に広めたい。
わたしのひそかな野望になりました。
いや、ここで宣言してる時点でひそかではないな。
これは、わたしの大いなる野望です。
11期の最後は、この覚悟を決めるための時期でもありました。
全く未知の世界である、カウンセラー・セラピストとして、これからやっていけるのだろうか。
経験も土台も全くない世界で生きていけるのだろうか。
そんな葛藤と迷いの中で受講したLPLアドバンスコースでの体験が、わたしに覚悟を決めさせました。
アドバンスコースではスキルも学びますが、それ以上にクライアントととして自分を深掘りしていくと、自分が目指している“道”に必ず繋がってゆきます。
自分の内側にある“大いなるもの”に繋がって、今目の前に見えている“道”はわたしが歩くべき道で、“約束された道”だと深く納得することができました。
そう肚落ちするってやつです。
不安もあります。
でも、その“道”を生きるために生まれてきたんだ。
そう思えたら、迷いや躊躇はなくなりました。
時々、ビビるわたしがいますが、それはそれ。
それも受容して、包み込んで歩くと決めました。
怖れ、ビビりながらも、その不安な世界に身を委ねてみよう。
自分の直観を信じてみよう。
そう安心して、自分を委ねることができるようになりました。
LPLを広めること、それはその先の自分が創りたい世界に繋がっている。
今はそれが確信に変わっています。
認定試験を受けるということ
LPL認定試験を受けることを決めた… という記憶が実はありません。
自然にそんな流れになっていた。
そんな感じなんです。
OSHO禅タロットカードのflowの感覚に似ています。
流されて、漂っていたら、ここに辿り着いていた。
流されること、漂うことを自分に許可したら、ここに辿り着いた。
そんな感じなんです。
かといって、流れに抗うつもりもないので受験しようかな と。
そんなんでいいんか!っていうツッコミもあるかもしれません。
が、試験に合格して、認定が取れようが、そうでなかろうが、自分のやりたいことは変わらないし、認定が取れなくてもこの先自分が実現していきたい世界と切れるとも思わないんですよね。
だから、認定試験に合格すること、認定を取ることにこだわりはないんです。
認定試験に合格できなくて、認定が取れなくても、事務局でLPLに関わり続けることは変わらないですし、師匠の明美ちゃんにはスタッフとしてはガッツリ拘束されましたからね。(笑)
たとえ、スタッフでなかったとしても、認定があってもなくても、LPLに関わり続けたいという意志は全くぶれません。
わたしなりの関わり方で関わっていけばいいだけですから。
ただ、認定が取れれば、自分が言うことに説得力が増すし、伝えたいことも伝わりやすくなるのかな とは思います。
そういう意味では、認定はあった方がいい。
でも、認定があるから何かができる とか、なければできないことがある とはあまり思わないんです。
あくまで、わたしの考えですけどね。
だからか、合格できなくても、認定がもらえるタイミングでなかっただけだな、また機会が巡ってきた時にチャレンジすればいいかなって、淡々としている自分がいます。
投げやりや、諦めではなくてね。
(昔はよくこのモードは使ってました)
試験当日、世界は優しくて甘美なところだと涙する
そういうものだと思って受験するので、怖さもあるけれど、ビビってる自分も受け容れながら腹も括ってます。
なるようにしか、ならん。
応援してくれる仲間がたくさんいるしね。
その声に潰されそうになったこともありますが、今は心地よく受け取れています。
(これも深いところのコアビリーフだった)
なんてったって、試験の結果に関わらず、わたしが実現させたい世界も、そこまで辿り着く自分自身も1ミリもぶれないという根拠のない自信があります。
これ、最強です。
こんなBeingを育むことができたLPLだからこそ、世界に広めたいんです。
そして、
『現実は常に、あなたの考えより優しい』
というバイロン・ケイティの言葉のままの世界、それを体験できたのが、認定試験の当日でした。
自分の怖れから、世界のすべてを自分の敵とみなし、勝手に闘っていた自分。
その考えの愚かさに気づき、人の愛ある優しさに触れた瞬間、涙が溢れて仕方なかった。
わたしはなんて狭い視野で世界を見ていたのだろう。
自分を、こんなにも窮屈で狭い世界に押し込めていた。
世界は自分が思っているより遥かに優しくて甘美だ。
わたし(わたしたち)は“大いなるもの”に愛されている。
それに気づいたのが、認定試験の当日でした。
もうね、ここまで来たら、ホント試験の結果なんてどうでもよくなりました。
この世界観に気づけただけでも、受験してよかったと思います。
結果は、“私の領域”ではない。
もちろん、明美ちゃんのフィードバックは、カウンセラー・セラピストとして真摯に受け止めます。
でも、わたしに結果を決めることはできません。
それは、諦めではなく、委ねる感覚です。
その感覚で受験したので、まったく力むことはありませんでした。
ありのままを見てもらってダメなら、ただそれだけ。
それが、カウンセラー・セラピストとして、ダメだと否定されたわけでもないし、新たな課題を提示してもらえたと、感謝の気持ちしかないと思います。
それぐらいに思えるぐらい、やれることは全部やりました。
結果によって、わたし自身を否定されたわけでもない。
そこは勘違いしない程度に、わたしのBeingは育ちました。
どんな結果であろうとも、真っ直ぐ受け取る覚悟はできています。
あ、でも、凹んでたら、それなりに励ましは欲しいかな(笑)
わたし、そんなに強い人間じゃないから。
みなさんの愛に支えられて、新しい世界を生きていきたい。
いまは、ただそう思っています。
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