2020年2月21日〜23日の3日間、神奈川県・湯河原リトリート「ご縁の杜」で開催された伊藤マナさんの女性限定ワークショップ「Divine Feminine ~内なる女神にめざめる~」に参加した時の個人的な体験を綴っています。
1つめの記事はこちら
ワークショップの概要はこちらからどうぞ。
男性性優位社会を生きるためにオッサン化する女性
ワークショップですが、レクチャーの時間もしっかりあります。
レクチャーの中で一番刺さったのは、「男性性優位社会の現代を生きるために、女性はオッサン化するか、女性を武器にする方法しか知らない」という言葉でした。
オッサン化・・・
めちゃめちゃしてました。σ(^_^;)
会社員時代は、自分が女性であることを否定して、男性との違いを「差別」と受け取り、男性と差がつかないようにめちゃめちゃ頑張ってました。
「女性であることを理由に差別されたくない!」
これ、強固に思ってましたね。
だから、育児中なのに仕事は完璧にこなし、毎晩帰宅するのは息子が寝てから。
息子ちんにはずいぶん寂しい想いをさせてしまったと後から反省しきりでした。
今から思うと、仕事している感を出すために、あえて残業していた一面もあったなぁと思います。
不健全だったなぁと思うけれど、それしか方法を知らなかったんですよね。
男性と競い合うことしか方法を知らなかった。
そもそも同じ土俵でないのに、自分から同じ土俵に立ってね。
今思い返すと、ほんとアホだと思えます。
また、女性を武器として使っていると思える女性には嫌悪感を持っていました。
そもそも男性と女性は土俵が違います。
それをわかって使える人っていますよね。
おそらくその方は無意識なんだと思うんですが、そんな人を責めてましたね。
心の中で。
それを表現すれば良かったんですけどねー
方法を知らずにいたおかげで、自分の嫌悪感を吐き出すこともできず、黙っていました。
嫌悪感を感じていることそのものにフタしていたわけです。
今なら即内観、もしくは、セッションですね。
で、黙っていた分、態度に出てたと思うんです。
ヤなヤツですねぇ。
さらに、同じような考えを持つ同僚の愚痴を聞きながら、その共感する気持ちさえもなかったこととして抑圧してました。
嫌悪感を持っていることに罪悪感を感じていたわけです。
今思うと、最悪ですね。(笑)
そんなことやってるから、女性の同僚と上手くいくわけない。
男性とは張り合い、女性には敵対心を持ち・・・
どんだけトゲトゲしていたんだか。
ウニですね。(笑)
そして、どこかで「女性」という存在そのものも嫌悪していました。
まぁ、今だからわかることですが。
当時はこれがスタンダードでした。
そして、最終日のワークで見事にそれが露呈し、膝から崩れ落ちるわけですが(^◇^;)
健全な男性性を使ってみる
不健全な女性性の一面として「引き受けすぎる」「受容しすぎる」という点があります。
健全な意志を持った「NO!」が言えないんですね。
そこで健全な意志を持った「NO!」を言ってみるワークを、ムーブメントワークで行いました。
これは、健全な男性性を使う練習です。
ところが、「NO!」と言いながら体を動かして表現していると、とんでもないものが出てきました。(汗)
『こんな世界になんていたくなかった!!』
『こんな世界なんていらない!!』
怒りが憤りになり、憤りが悲しみになり、悲しみが哀しみとなり・・・
動きながら様々な感情が湧き上がってきます。
これが、ムーブメントワークの凄さですね。
頭では想像できない領域の感情がワークしていると体から出てくるのです。
筋肉の中に秘されてきた感情が、ワークで動くことによって出てくるんですね。
これね。
動きながらやっているので次から次へと出てくるんですわ。
出始めたら、自分では止められないんですの。
逆に、あれ?感情どこいった?となった瞬間にはアタマ(理性)が働いていて、止めちゃってます。
もうね。
出てきたもんは、出し切るしかない。
本当の感情は感じ切ったら流れていくからね。
もう流すしかない。
出てきた感情を感じながら動いていると、やがて、たくさんの人の顔が見え、その人たちの感情もどっと流れこんできました。
ワークしながら、これはわたしだけの感覚ではないとはっきりわかりました。
そして、それらの感情にしっかりと浸りながら動き続けていると、やがて絶望感で崩れ落ちて立ち上がれなくなりました。
音楽は鳴り続けていますが、その絶望感にどっぷり浸っていると、はっと気がつきました。
これは、自分がいる世界を自分から不要という、自分に対するNO!だと。
自分がいる世界を否定し、自分がこの世界に存在していることそのものを否定している。
この世界に存在してはいけないと、自分で、自分に言っているNO!
この世界にいることを、自分で認めていない・・・
がく然としました。
過去のセッションで存在否定ビリーフは癒してきたはずなのに、まだ根深いところに眠っていました。
ひゃー!
ワークしながら、そこで起きていることを客観視しているもう一人の自分が驚いているのがよーくわかりました。
女性性の大いなる愛に包まれる
「この世界に生まれてくることは、自分で選んできたもの。」
過去のセッションの結果から、そういう自覚はしっかりあります。
ただ、その時はどうして女性を選んで生まれてきたのかはわからず、そこから女性性の探求がはじまったわけですが、まさかここで繋がるとは・・・
自ら選んできたこの地球という場所
今という時代
そして、女性という性
なのに、そこで生きていくことへの責任がない・・・
そう思うと立ち上がる気力もなく、うずくまるしかできませんでした。
崩れ落ちてうずくまったままでいると、やがて曲調が変わりました。
その時イメージしたのは海。
わたしは海の中を哀しみのまま、どこまでもどこまでも深く落ちていきました。
まるで深海へと落ちてゆく木の葉のように。
ただ、ただ、沈む
どこまでも深く深く・・・
そこはもう光も届かない真っ暗な深海
生き物の生気する感じない世界
この世界を否定し、憎しみ、そこに自分がいることを許していない、絶望しているわたしという存在。
その深い闇に包まれながら、どこまでも沈んでゆく。
でも、そんなわたしを、それでもいいよと許してくれている存在に気づいたのです。
それは、そんなわたしを包んでいてくれる海。
そして、地球。
その時、深い絶望を感じながらも安らぎを感じている自分にも気づきました。
ああ、これが地球の持っている「受容」なんだ。
海や地球は女性性の象徴と言われるけれど、その時地球の持っている大いなる愛に包まれているのを感じたのでした。
今いる海のようにとてつもなく深い愛。
誰をも受け止める大きな大きな愛。
今いる場所がどんなに真っ暗で深い闇であっても、そこにいながらどんなにダークでネガティブな感情を持っていても、その下に間違いなく存在する、とてつもなく大きくて深い愛。
あぁ、これが地球の愛なんだ。
これが、地球という存在なんだ。
そして、女性性の持つ大いなる愛ってこんなに深くて大きいんだ。
慈愛
慈悲
それはこの感覚、こういうことをいうんだ。
涙しながら、その優しい安らぎを全身で感じていました。
なぜ、女性を選んで生まれてきたのか
ここでワークは終了し、引き続き横になってクリスタルボウルを聴きました。
ワークで体力を使い果たし、感情を出し切ったのでぐったりしたまま横たわりました。
と、目を閉じた瞬間に息子の声が聞えました。
『ママ、来たよ!』
ハッ!としました。
そうか、わたしはこの世界に「無条件の愛」を学びにきたのだ。
わたしに「無条件の愛」とは何かを教えてくれたのは息子の存在です。
母となることで、「無条件の愛」とは何かを学ばせてもらい、「無条件の愛」を与えるとはどういうことかを教えてもらったのです。
息子と一緒に歩んできた20年の月日が駆け巡っていきました。
それで、「女性」を選んだんだ。
「無条件の愛」とは何かを学ぶために、「女性」で生まれたんだ。
あー。
めちゃめちゃ納得!
肚落ち!!
そういうことなんだ!!!
去年から探求してきた、女性を選んで生まれてきた理由がわかった瞬間でした。
そう納得できたら新たなテーマも浮かんできました。
ならば、この女性性をどう活かし、使うのか。
女性性を健全に使うとはどういうことか。
そのためにわたしが向き合うテーマは何か。
無条件の愛
慈愛
慈悲
ワークを通して得たこの体験、体感覚をどう活かせばいいのか。
そのうち、ワークの疲れもあってクリスタルボウルの音を耳に眠っていました。