前へ進みたくても、わけもわからず進めない時があります。
何かに引き止められているような
何かが引っかかっているような
何かに行く手を阻まれているような
よくわからないけど、とにかく前に進めない。
そんな感覚があるときがあります。
わたしもずーっとそんな感覚の中にいました。
その感覚、前に進めない感覚がある時は、そこに自分にはわかっていない「無意識のブロック」がある場合が多いのです。
わたしも「無意識のブロック」をたくさん抱えていました。
無意識のブロックとは「行動を制限する教訓」
前に進もうとして、どれだけ「やり方(Doing)」を磨いても、この「ブロック」が働き、無意識に行動が制限する考えが発動されることがあります。
すると、その「考え」から外れたことをすることができなくなります。
この「無意識のブロック」=自分の行動を制限する考えは、実は、自分が生きていくために身につけた生存戦略でもあります。
過去にあった辛いこと、悲しいこと、苦しかったこと、イヤなこと。
それらを二度と味わうことがないように、自分の中に記憶した「教訓」なのです。
もう、あんな想いはしたくない!!
もうイヤだ。
あんなに苦しいのはごめんだ!
だから、その原因となったことをするのをやめよう。
自ら分析し、原因を突き止め、その原因となった行動を特定する。
そして、その行動を制限する「教訓」を自分の辞書に書き込む。
これを何度も何度も積み重ね、自分の行動指針を作ってゆくわけです。
この「教訓」は、自らの無意識下に積み重ねられ、何層にもなってゆきます。
そして、この教訓に従って動いているのが、「今の私」なのです。
この教訓は、自動で働く便利なプログラムなので、自分の中にある辞書と同じパターンだと感じたら勝手に発動します。
この教訓を活かし、自動的に動くプログラムがあるから、わたしたちは二度とあの苦しい、辛い思いをすることがないのです。
ただし、自動なので、自分にとって都合のいい時だけ働くとは限りません。
そう、つまり、なんとなく進めない感じは、この自動プログラム=「行動を制限する教訓」が働いている時なのです。
わたしもいっぱい「行動を制限する教訓」を積み重ね、そして、それが「あたりまえ」だと思って生きてきました。
過去にとらわれるのをやめる
「過去にとらわれるのをやめる」とは、過去にあったイヤなことを忘れることでも、なかったことにすることでもありません。
「過去にとらわれるのをやめる」とは、そこで起きていたことを終わらせることです。
自分にとって「イヤ-!」なことが起きた時、人はそこで起きた感情に飲み込まれてしまうことがほとんどです。
ところが、「本当の感情」は、長くても1分もないと言います。
そして、感じきれば流れていきます。
その1分が永遠のように感じられるため、感じきることなく、あまりの辛さ・苦しさに逃れることに全力を注ぎます。
瞬間的に逃れようとするのです。
当然と言えば、当然ですよね。
だから、そこで起きていたことが終わっていないことが多いのです。
(エニアグラムでいう「楽天タイプ」はこれをよくやります。
とくにタイプ「7」は起きてきた感覚を瞬殺して次にいこうとします。
これ、わたしのことなんだけどね(笑))
起きてしまった「イヤ-!」なこと。
そこで感じた感情、傷ついた自分。
それを思い出し、その時感じていたこと、傷ついたということを、まずは自分自身がわかってあげる。
自分自身で、自分のことを、わかってあげる、理解してあげることがとても大切です。
わからないまま放っておくから、いつまでも、「わかってよ!」と無意識が知らせてくるのです。
そして、その感情を感じきって、そこで起きていたことをきちんと終わらせる。
人は、この時に分析、解釈から、原因を探り、こうすればもうイヤな感情は起きない、こうしなければもう二度と傷つかない、と対策を講じます。
そうやってつくりあげた対策が「教訓」となって辞書に書き込まれ、行動を制限します。
つまり、「この時起きたこと」によって作られた「教訓」=プログラムに従って、ずーっと動いているわけです。
「いま」を生きているのに、「過去」にした判断・解釈をもとに生きている。
そう、過去にとらわれているだけなんです。
これが不思議と、「わたし、過去になんてとらわれてないもーん」と思っているから面白い。
カウンセリング/セラピーを受けて、無意識な「行動を制限する教訓」を探し、その時起きてしまったことに触れていくと、全然終わってない(笑)
「全然終わってないじゃーん!!」
この言葉を何度自分に浴びせたことか。
それぐらい自分の奥底、深いところにしまいこんでいるのです。
前に進みたいなら、過去を「なかったこと」にしない
人が意識できるものは5%、無意識下のものは95%だと言われています。
この95%の領域は、潜在意識とも言います。
潜在意識の中に積み重ねた「行動を制限する教訓」は、意識化してやらなければ、どんなものなのか自分でもわからないのです。
この教訓に従うことを止めたくても、どんな「教訓」なのかわからなければ止めることもできません。
そのためにはまず、その「教訓」がどんなものなのか、知ることから始めなければならないのです。
わたしが行うカウンセリング/セラピーは、この潜在意識にある「行動を制限する教訓」に触れていきます。
無意識なものを意識化していくのです。
そのためには、この「教訓」を作る原因となった「できごと」まで遡らなければなりません。
つまり、あの辛くて、苦しく、悲しい「できごと」に再び触れなければならないのです。
もう二度と、あんなことは味わいたくない!
と決めたのにね。
ここで、ほとんどの人達は「抵抗」を起こします。
そりゃ当然ですよ。
だって、怖いもの。
何が起きてくるか、何があったのか、まったく「今の私」にはわからないもの。
ほんのりと記憶があることもありますが、深く傷ついてしまったことこそ、その時の記憶がないこともあります。
イヤだったからこそ、二度と味わうことがないように自分の奥底に隠したのに、忘れたのに、なかったことにしたのに、それをほじくり返すなんて!!!
もういい!
そう思ったあの感覚はもう思い出したくない!
絶対イヤ!!!
すごくわかります。
わたしも過去に、「なかったこと」にしてきたものは自慢できるぐらい山ほどあります。
でも、それでも、なぜそのままにしておかないのか。
だって、前に進みたいから。
前に進もうと思っても、なんだか行けない感じがするから。
前に進みたくても、進めないようにしている「何か」があるからです。
怖さから逃げていても何も生まない
もうイヤだ!二度とイヤ!!と思っていた怖さ、イヤな感覚を、共に感じ、寄り添いながら、何があったのか、その時何を感じたのか、だからどんな行動を制限してしまったのかを、カウンセリング/セラピーで紐解いていきます。
わたしもね、その怖さから散々逃げてきました。
でも、逃げていても何も生まないんです。
逃げ続ける人生を送ってきましたが、どこまでいっても、どれだけ学んでも、自分の奥底にある「何か」に、ずっと止められてる人生だったと、今なら言えます。
その怖さの中に飛び込んだ先にあるもの。
それは「生きる希望」です。
怖さの向こうに「希望」があるから、わたしは自分のことから逃げるのをやめました。
「わたしの過去なんて問題ないも〜ん」
「もう全部終わったことだし」
そう思っていた自分の過去を見てきました。
でも、それらは見事に「終わったことにしていた」だけでした。
自分の中にある、二度と見たくないものに触れるたびに
「まだあったー!」
「まだ大切に持っとったんかい!」
と、自分にツッコミを入れながら、向き合ってきました。
あの時、あまりに辛くて、感じてしまうことさえ封印してしまった自分の感情たちを、感じることから自分に許しながら。
怒り
悔しさ
悲しさ
哀しさ
寂しさ
虚しさ
孤独
無力感
絶望
これらの感情はあまりの辛さに、わたしが封印してしまった感情たちです。
これらの感情は感じた瞬間に、瞬殺して、「無かったこと」にしてきました。
でも、感情は「いいもの(感じていいもの、心地いいもの)」と「イヤなもの(感じたくないもの、不快なもの)」が別々に自分の中にあるわけではありません。
元々ひとつの、自分の中の感情です。
イヤな感情を「無かったこと」にして、感じることを止めてしまうことは、自分中にあるすべてを感じることを止めてしまうことと同じです。
自分の中には「生きる」希望も、歓びも、楽しさも、あります。
人に対する優しさや愛もあります。
「なかったこと」にしていていたものに向き合うことで、そこにあったすべてのものが戻ってきました。
たくさんの涙を流しながら、これらをひとつずつ取り戻していきました。
自分に向き合うことの怖さから逃げることは、「自分を生きる」ことから逃げていた。
今のわたしは、それがはっきりと自覚できます。
大切なのは生き抜くために自らが決めた「教訓」に気づいていること
過去にとらわれていることに気づいた時、わたしはこの質問をクライアントさんにします。
「それをこれからも続けていきますか?」
「その教訓をこれからも使いますか?」
選択の自由はクライアントさんにあります。
「やめます。」「使いません。」
でも、いいですし、
「時々使うかも。」
でもいいんです。
ここで大切なのは、「教訓」とはなんなのか、気づいていること、知っていることなのです。
自分の「行動を制限する教訓」は、自分が生きていくために身につけた生存戦略です。
その「教訓」があったから、今までイヤな想いもせず、傷つかずに生きてこれたのです。
だから、手放したり、捨てる必要は全くありません。
必要なら、使ったっていいんです。
ただ、「教訓」を知っていれば、自動でプログラムが発動したことに気づくことができます。
自動で発動しそうな時にも気づくこともできます。
同じようなパターンが起きても、起きそうになっても、冷静に、客観的にそれを見ることができるようになります。
すると、一旦立ち止まり、ひと呼吸おいて、行動を選択できるようになります。
これは今まで自動的にしていた行動とは違い、意識して自分の行動を選択できるようになるのです。
ここに気づけるようになることが、カウンセリング/セラピーを受ける結果のひとつです。
どれだけがんばっても前へ進めない、わけもわからず前に進めない時。
それは、自分が無意識にとってしまっている行動を終わらせる時でもあります。
「過去」に作った生存戦略を終わらせて、「今」を生きる自分が新しい選択ができるようになるための「呼び鈴-Calling-」なのです。
わたし自身が、この進めない感覚から「呼び鈴-Calling-」によって目覚め、「自分を生きる」ことをようやくはじめた、歩く証拠ですから。