日次・週次プランニング&レビューをやらなくなって3カ月がたちました。
プランニングをやめようと決めてやらなかったわけではなく、プランニングをしなくても「やりたいこと」には自然と手が伸びてしまうことがわかったので、気がついたらプランニング&レビューしていませんでした。
3カ月前は「もっとあれこれできたんじゃないか?」と疑いの気持ち、できないことへの不満が残ってたけど、そのままやらずに3カ月経ってみて、それがなくなりました。
いまは、これが自分、やれないのも自分、でもそれでもいいんじゃん と思えています。
「できない自分」「やれない自分」を許せるようになっていました。
プランニングするのが昔から好きで、「やること」を緻密に組み上げていた時期もありました。
会社員時代は「やらなければならないこと」に追われて、徹底的にタスク管理や時間管理をやっていました。
その頃はそうしなければ1日が回らなかったんですよね。
それだけ仕事、家事、いろんなことに追われていたし、そのたびに「できない自分」をジャッジし、自分を許していませんでした。
今から思うと、なんて自分をないがしろにしていたんだと思います。
今は時間をほぼ自由に使えます。
追われる「やらなければならないこと」は家事くらい。
家事だってやらなくても困らないので、頼んでしまうこともままあります。
時間が自由に使える身になったのに、「やらなければならないこと」に縛られるのは何ともイヤな心地になってきたんですよね。
さらに、プランニングして、それができなかったりすると、それがストレスになり、自己否定に繋がるんですよ。
時間はあるのになんでできない!
なんてだらしない奴だ!ってね。
でも気づいちゃった。
なんでわざわざこんなことしてるの?!
「やらなければならないこと」をわざわざ作り出して、できない自分を責めるなんて、アホちゃうの!ってね。
心屋仁之助さんのいう「コント」ですね。
だらしない、できない、情けない自分を確認するために、タスク作って、できない現実を作り出しちゃってるんじゃないかって思えてきちゃったんです。
でもこの「コント」は非常に苦しい。
3カ月プランニングをやらずにいて、ようやく自己否定するための「コント」を延々とやってたんだと気づきました。
自己否定するくらいなら、プランニング&レビューの必要はありません。
だって自由になる時間はいっぱいあるんだし、その時間で何をやっても誰にも責められわけでも、叱られるわけでもありません。
なのに自分で自分責めるってどうよ。
アホです!(笑)
時間やタスクに追われているいた頃はタスク管理は必須だったけど、いまはかえって自分を縛るものになっていたんですね。
唯一、続けていることもあります。
久瑠さん式の月次プランニングです。
できた時の感情までありありと感じて書くって言うのがなかなかよくて続けています。
その月のページを常に目につくところに広げてあります。
そうすると、プランニングした「やりたいこと」が目につくし、引っかかってて、だいたいそのとおりにはできちゃうんですよね。
だから「やりたいことができてない!」「そんな私はダメっていう!」自己否定は起きないどころか、「プランニングしなくてもできちゃうじゃん!」ていう自己肯定感が上がりました。
ゆるゆるとやってもやりたいことはできちゃう。
やれないことで苦しさを感じているなら、おもいきって手放してみるのもアリなんですね。