心屋仁之助さん著『がんばらない成長論』を読んで、あえて目標や実現したいことを設定しない1カ月を過ごしてみました。
ゆるゆる、だらだら、今日は何しようかな~ とその日、その時の気分で過ごす生活をやってみたらどうなるか試してみたかったんです。
目標があろうがなかろうが、やりたいことはやってしまう 手が伸びる
当然といえば当然ですけど、この1カ月やりたくないことはやってなかったです。
その時やりたいこと、ワクワクすることしかやってなかった。
つまり、目標設定していなくても「心からやりたいこと」「ワクワクすること」はやっちゃう、やれちゃう、できちゃう。
心屋さんのいう「好きなことならば勝手に成長しちゃう、どんどんやっちゃう」っていうやつです。
それが何なのかも、はっきりとわかりました。
さらに、今まで目標設定していたことが、本当にやりたいことなのか、そうじゃないのかもわかってしまいました。
「ワクワクすること」ではないのに、がんばるために目標設定していたものがあったんですね。
それは「がんばる」ための材料だったことがわかってしまいました。
振り返ってみると不満が残ってる… 罠でした(笑)
1カ月終わって振り返ってみると、もっとやれたんじゃないかという疑念、不満が残っています。
でも、ここに罠がありました。
もっと頑張れたんじゃないか?という罠。
はい、見事ひっかかりました(笑)
「頑張ろう」としていました(爆笑)
頑張って何かを得ようとしていました。
「そんなもんな自分」「ありままの自分」を受け容れていません。
「そんな自分でいい、大丈夫」とも思えていませんね(汗
ログとレビューが有効なんじゃないかと仮説を立ててみた
そこで、この罠にはまらないために、ログ(記録)とレビューが有効なんじゃないかと仮説を立ててみました。
たとえば「森に関する本を読んでブログに書きたい」と思っていたとします。
同じ結果だとしても、ログがある場合には何冊読めて何記事書けたか目に見えているので、「もっとできたんじゃないか?」ではなく、「これだけできたよね」と認める証拠になります。
タスクシュート式タスク管理アプリ「たすくま」に費やした時間のログもあるので、実際にUPできた記事がなくても本を読んだ時間や下書きに費やした時間は記録が残っています。
違うことをしていてもその記録も残っています。
「この日やろうと思ってたけど、他のことやっちゃったんだよね。」
これはログがあれば確実に確認できます
でも、読書録や「たすくま」にログがなければ、「できなかった」ような感覚残っているだけ。
「この日できてないけど、他に何かやったんだっけ?」
今月は「たすくま」のログもほとんど残さなかったので空白の記録だけが残っていて、何をやっていたかがわからない気持ち悪さだけが残りました。
やったことのログ(記録)を振り返るレビューをすることで、「できなかった」ような感覚があっても「やった」事実を思い出すこともできます。
もちろん、「できなかった」ログが残っている時もあるはずです。
こんなときは、「できなかったね~(笑)」とそのまま受け止めたことを残しておけばいいだけ。
「できなかったからダメ」というジャッジもいらないし、「明日頑張ろう」の言葉もいらない。
そのままを受け容れる練習にすればいいんです。
ログがないことで不安になる、自分を追いつめるくらいならログはあった方がいい。
記憶は曖昧です。記録(ログ)は嘘をつきません。
あった事実をそのまま伝えてくれるので「ありのまま」がわかるのでは?と思いました
来月からのプランニング&レビューを変えます
もうひとつ、「こんなことはやりたいなぁ」という確認は定期的にしておいた方が良さそうだと感じました。
そのための空き時間を把握する、やりたいことがこの時間にできそうだという見通しを立てる意味で、プランニングもやった方が良さそう。
これからイベントややりたいことの企画も立てていきたいので、書き出しておかないと忘れそう(忘れっぽいから、これが最大の理由かも(滝汗))
と、いうことで、来月からは、プランニングは「こんなことやってみたいな~」を書き出しワクワクする、レビューはログを見ながら「こんなことできた!」とまたワクワクする時間にします。
「ワクワクすること」しか、プランニング&レビューはやりません。
それにしても、このレビューを書くために本を読み返したら、まだまだ「できない」自分がいるなぁーと思いました。
「私だから大丈夫」「できなくても全然OK」と思えるところまではきてないですね。
油断すると、まだ「頑張ろう」としています。
「ありのまま」の自分を受け容れるのってなかなか難しいですね。
来月からも月次レビューのたびにこの本読み返してみようっと