脱皮の季節 より太く、しっかりとした幹に育つ

変化の時だなぁ…

私の周りでさまざなものが変わりはじめた。

今まであたりまえのようにあったものが変わっていきつつある。

そもそも「あたりまえ」なんてもんは1つもないのだけれど。

以前のわたしなら、「あった」ものがなくなってゆくこと、その変化を「怖い」と感じただろう。

喪失の怖れ
混乱や動揺…

以前も、自分から変えていくこと、能動的に変化を起こしてゆくことには「怖い」とは思わなかった。

でも今は、周りから変化が起きてきている。

受動的な変化が起きている。

でもね。

怖くないんだよねぇ。

不思議と…

以前なら、「どうしよ〜 どうしよう〜😱」という混乱や動揺があったのに。

今は、

「あっそ。
そういうことね😯」

と、ただ見ていられる自分がいる。

とっても静か。

変化をすっと、抵抗なく受け容れられてる自分がいるんだよね。

そして、
その変化が、自分のために起きていると信頼できているから、その変化が心地いいとさえ感じる。

その変化が喪失を伴っていたとしても。

変化を受け止めながら、混乱や動揺なく、そこに寛いでいられる。

この感覚は新鮮だなぁ☺️

これも、自分の中に軸を据えたからだろうか。

自分の心地良さに従って生きる。

自分の歩きたい道に忠実に生きる。

自分の中にようやく育ってきた、いつでも戻れる場所・ホームという揺るぎない感覚。

ここからブレないぞ!という決意。

これがあるから、周りからの変化を、静かに受け止めていられるのかもなぁ…

今の自分は何事も受け止められる器がある感じがあるんだよね。

なんか一皮剥けて脱皮したというか、今までとは違う自分を感じる。

脱皮は脱皮でも昆虫ではなく、木ね。

木の幹って外へ外へと太くなっていくんだけど、成長した幹の太さに見合わなくなった樹皮は剥け落ちるんだよね。

内からの自分の成長に見合わなくなった樹皮が剥けて、より太く、よりしっかりとした幹になってゆく。

そんな感覚に近いかも。

それでいて、脱皮して、すごく軽やかな自分も感じるんだよね。

木は成長すると、中は空洞になってゆくものもあるんだけど、私の中にも「空」が育ちつつあるのかな。

外からの変化に動じない、この静けさ、穏やかさはなんなんだろうね。

とっても自然な自分で、受け止めている。

不思議な感覚だ。