カレンダーを見て、はっとしました。
もう、3月も終わるんですね。
気がついたらこんな日付になっていた。
とても静かな心持ちの今、今日までの毎日を振り返ると、わたし何やってたんだろうと思えてしまう。
これで良かったのかなぁ。
ここまでの道、これで良かったんだろうか。
どこかへ向かう登山道の途中で、立ち止まって上を見上げているような、そんな気分。
この道はどこかには通じているんだろうけれど、このルートで良かったのか と一抹の不安になる時がある。
目指している目的地は明確だし、登山道も1本しかない。
それでも、誰にも会わない森の中にいると、自分がここを歩いていていいものか、不安になる時がある。
そんな時の気持ちに似ているかな。
それに加えて、その気持ちのまま、ここにいたいと思う。
リアルな山なら、そのままいたら日が暮れてしまうので、それは自分を危険に晒すことになるから、どんなに歩くのがイヤでも、歩くけど。
ここは暗くて深い森ではなくて、明るくて、空も見えるし、居心地は悪くない。
鳥達の声と、風の音と、遠くから沢の音も聞こえる。
でも、誰もいない。
ここに留まって、佇んでいたい。
ただ、それをしたいだけなんだろうな。
この森の中に、道は1本しかないけれど、今はこの先に進み続けるタイミングじゃない気がする。
この森の中に、入ってきたのは、最近ではなく、もっと前だった気がする。
だから、3月31日という日付に驚いた。
なんか必死になって登ってきたけどさ、一度来た道を振り返る時なのかも。
木が多くて、隣の尾根が見づらくて、高度がわかりにくいけど、かなりの時間をかけて歩いてきたから、そこそこ歩いているとは思う。
でも、そもそものんびりペースなわたしなら、そんなに登ってきてないのかも。
そんなことも思う。
ふぅ。
腰を下ろして、空を見上げて思う。
自分のペースじゃなかったな と。
誰かに追いつき追い越せ。
あそこまでコースタイムどおりに着かなくちゃ。
何かに急かされるように、来たのかもしれない。
今までわたしが、コースタイムどおりに歩けた試しがあるのか?(笑)
いつもコースタイムの1.5倍はかかるじゃないか。
その自分を見失ったまま歩き続けたらバテるに決まってる。
山登りは誰かとの競争ではない。
少なくともわたしにとっては、時間を気にして歩くことに楽しみはない。
人の何倍ものんびりだって、道端に咲く小さな花や、聞いたことのない鳥のさえずり、頬を撫でる風、ひとつひとつに気づいて、心を動かしながら登ってる時が何より楽しい。
誰かと競うように、頑張って、登ったって何にも楽しくない。
そう。
今、自分の道を歩いていて、全然楽しくないんだよ。
歓びがないんだよ。
だからこれでいいのかと思ってしまう。
どんなに険しくて苦しい道でも、しんどくても、そこに面白い、楽しい、があれば登れちゃうんだよ。
それが、今ない。
今は、歩いていることの楽しさがない。
気がついたら、何かに急かされるように登っていた。
こんなんじゃ、このペースじゃ、目的地に辿り着くまで体力もたないよな。
うん。
今は、立ち止まって、ここに留まっている必要があるんだ。
だから、それを意識して選ぼう。
登山には撤退する勇気も必要。
前に進むことだけが結果を生むわけではない。
山頂を目指すことが必ずしも自分にとってベターじゃないことは、自分が一番よく知ってる。
自分の体力をわきまえて、山頂を前に、それ以上進まなかったことだって、いくつもあった。
それでも、その時の自分に満足できてるんだよね。
他の誰に、信じられんと言われたって、笑われたって、馬鹿にされたって、わたしにはとても印象に残る いい山だったりする。
というより、そっちの方が印象に残ってる。
だから、コースタイムだったり、誰か他人であったり、自分のペースでないものに合わせなくてもいい。
まずは、それを許そう。
マイペースでいいんだよ。
自分以外のものに合わせることは止める。
自分の心地良さを最も信じる。
それを何と言われようが、気にしない。
それぐらいには図太くいられる(笑)
だから、今ここで留まって、空を見上げて佇んでいてもいいんだ。
それは、意味ある佇み。
必要があるから、そういう気持ちになっている。
そう思えば、この佇みは楽しめる。
そして、心ゆくまで佇んで、動きたくなったら動けばいい。
それがどんな方向だって構わない。
たとえ、山を下ることになっても。
目的地に通じる道は、今の道じゃないかもしれないしね。
もしかして、道が1本というのも思い込みなのかもしれないね。
ま、今目の前にある道が間違っているとは思えないけど。
今は、ここに居て、ここに留まって、ここに佇むことを、ただ自分に許そう。
そして、何者にもとらわれず、来た道を振り返ってみようと思う。
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