関わって4年目となるLPL養成講座の13期の全日程が終わった。
最終講では7ヵ月の学びを経て、おひとりおひとりの心の奥底、魂から湧き上がるミッションやビジョンをプレゼンテーションをするのだけれど、中には自分のミッションやビジョンがよくわからないまま最終講を迎える方もいる。
今期のLPL で私が一番心を打たれたのは、実はそういう方たちのプレゼンテーションだった。
一般的に言えば、最終講のテーマがミッションやビジョンのプレゼンテーションなのだから、それがわからないまま迎えるなんて、課題をこなせなかったよね と言われるかもしれないし、中には落第生のレッテルを貼られるところもあるかもしれない。
何より学んだ人自身が、なんのために7ヶ月もかけて学んできたのか、自分を責めたくなるだろう。
でも、LPL はそういう場ではない。
7ヶ月の学びを経てきた受講生さん達は、そんな自分をありのまま認め、許し、それを真っ直ぐに表現していた。
「できませんでした」
「やれませんでした」
「わかりません」
そう口にすることが今までできなかった人がそれを口にすることの怖さは計り知れない。
できない、やれない、わからない、と言えないことに苦しみ、「そんなことを言ってはいけない」「そんなんじゃダメだ」と、どれだけ自分を責め鞭打ってきたのだろう。
そういう人が「できていません」「やれていません」「わかりません」と言葉にして発するのにどれだけの勇気がいっただろう。
それを思うと、もうそれだけで涙がこぼれてこぼれて仕方なかった。
ここまで来るまでに、何の努力もしてこなかったわけじゃない。
7ヶ月の間、七転八倒しながら取り組んできての「今」なのだから、その結果がそれでいいじゃないか。
できていない、やれていない、わからないのは今の時点での話。
それを真正面から認めて、そんな自分を受け容れて、真っ直ぐに表現する姿に心底、心動かされた。
『これから探求していきます!』
そう堂々と話す姿に、その方のこれからを応援せずにはいられなくなった。
無理矢理成果を捻り出すことだけがいいわけじゃない。
自分の中の真実-今は「できていない」「やれていない」「わからない」こと-は、その人にとっての真実なのだから、それを偽ることなく表現できるってなんて素晴らしいことなんだろうと思う。
今の真実を偽り、そうでない自分を責めるから苦しくなる。
まずは今の真実を認めて、これからどうするか考えればいいじゃないか。
ビジネスの世界ではこれでは通らない一面があるのは百も承知している。
でも、自分の中にある真実を、自分でわかってあげているかどうかが大切なのだ。
大切だからもう一度言う。
自分のことを、自分でわかっていてあげること。
自分の最大の理解者は自分だということ。
そして、そんな自分を許せること。
そんな自分を責めないこと。
それを表現することに挑戦できる場がLPL なのだ。
ミッションやビジョンが今はわからなくてもいい。
今感じているままを、自分自身が否定することなく受け容れ、これでいいのだと自分を許してあげること。
それができなかった人が、LPLの場をとおして真摯に今の自分に向き合い、それができるように変容してゆく姿に、今期ほど心打たれた年はなかった。
星野道夫さんがこんな言葉を残している。
『 本当にやりたいと強く思うことはときとして勇気を生む』
人が本当に求めてやまないことって、それは「自分に素直であり続けること」なんじゃないかと思う。
そんな勇気をたくさん見せてもらえて、その勇気を与えていただいた最終講だった。
受講生さんの人生という樹が、これからものびやかに育ってゆくことを願わずにはいられない。
なんでこんなに心動かされたって、わたし自身がまさにそこに立っているからなのだ。
今のわたしは歩き出す方向がわからず困惑している。
例えてみれば、そこは森の中で、森の外の景色が伺えるような場所ではなく、高い樹々に囲まれ、仰げば星空が少し見えるだけ。
夜のとばりの中で、これから自分がどちらに歩いていけばいいのか、進むべき方向がどこなのかわからない。
立ち止ることしかできないでいる。
ミッションやビジョンがわかっているようで、なんかいまいちフィット感がなくて、モヤモヤしていた。
ミッションやビジョンのことを考えても、なんかやる気になれず楽しくない。
心の奥底、魂が喜んでいるような感覚はなかった。
でも、そんなんじゃダメだ と自分にダメ出しして、ずっとどこかに向かわなきゃ、歩き出さなきゃとも自分に鞭打ってきた。
でも、もう、それもやめようと思う。
動けないなら、動けなくていい。
歩き出せないなら、歩き出せなくていい。
今は立ち止まることしかできない自分を許そうと思う。
今までは立ち止まること、何もしていない自分は許せなかった。
でも、なす術もなく立ち止まることしか、今のわたしにはできない。
もう、それでいいや。
その結果、収入が途絶えてもいいや。
幸いなことに生きていくのに困るわけじゃないもん。
自分の自由な活動資金がなくなるだけ。
それが嫌でこんなにももがいてきたけど、もういい。
神さまからは、生きていけるだけのお金は与えられているのだから。
こんな自分を許そうと思えるまでに長い時間がかかったなぁ。
会社員を辞めてまもなく6年。
稼げない自分を許せるようになるまで6年もかかるとは(苦笑)
これからは自分だけの願いを叶えるだけではないんだと思う。
共に幸せになりたい人のために、時間を使おうと思う。
もうね、そう思って、肚括って、すべてを天に投げたら、お金では手に入れられない宝物が手の中にあることに気がつけたんだよね。
今まではその宝物が手元にあるなんて自覚もなくて、外へ外へともっともっとと求めてた。
でも、もうすでに手の中にあったんだよね。
幸せという宝物。
この宝物はやがて形を変えてゆくだろうけど、今はこの宝物を大切に大切に、慈しむように味わい尽くそうと思う。
この宝物の存在に気づかさせてくれたのも受講生さんのプレゼンだった。
手の中にあるささやかな『家族』という幸せ。
わたしの宝物。
失いかけてはじめてその存在に気づくなんて。
失くなってからでなくて良かったよ。
今年の冬は、ただ家族との時間を慈しみ、その幸せに浸ろうと思う。
そして改めて、自分の魂が喜ぶものは何かという問いを持ち、じっくり内観しようと思う。
いやぁ〜 想像しただけで幸せになれるなぁ
きっと豊かな時間になるだろう。
今生を生きられる時間が有限だと実感したからこそ、今「ある」もの、今感じていることを大切にしていきたいと思う。