わたしにとって、家を何日も離れることは、一人になる時間をもたらしてくれるとても大切な時間だ。
とくに、移動している時は景色を眺めながら、いつもと違うことに気づくことが多い。
同じことを違う視点から見ている自分に気付いたりする。
今日も東京に向かう新幹線の中で、遠く南アルプスの重なる山並みを眺めながら、ふと気づく。
あれ?
わたしって、なんでこんなに悲観的で、絶望的に捉えているんだろう?
それ、おかしくないか??
と気づく。
いま、気になることがあって、常に思考が回っている。
不安も、怖れも、絶望も、どっぷりと感じながら、感傷的になって涙することも多い。
でも、ちょっと待って。
なぜそんなに絶望的にとらえるのだ?
起きている事実に変わりはなく、それによってネガティブな想いはあってもいい。
でも、この先の未来について、そこまで絶望的になる必要はないんじゃないか?
悲観的であってもいいが、楽観的でもいいはずだ。
絶望を感じてもいいが、希望をもっていてもいいはず。
いまのわたしは、希望なんて1ミクロンも感じてない。
もうこの世の終わりのような気分だった。
そこから悲観的になり、感傷的になっていた。
でも、いまの状況の中でも、希望を感じてもいい。希望をもってもいいはずだ。
ゼロか100。
それは自我がいつもやるパターン。
1ミクロンも希望を持てないなんて、それは思考のクセでしかない。
ワハハ!
それに気づいたら笑えてきたぞ。
絶望100%がそんなに好きなのか?
悲劇のヒロインでいたいのか??
いやいや。
それは御免だ。
いつだって前を向いていたい。
絶望的な状況であっても希望は捨てない。
それはわたしの特技でもあるはずだ。
この特技で、苦境はいくつも越えてきた。
楽観主義だっていいじゃないか。
だって、その方が毎日が楽しいんだもの。
楽じゃない。
絶望的は状況だって、楽観的でいていい。
そんなことをふっと思った。
こんなことに気づける、ひとりきりの時間、移動時間はわたしにとっては宝ものなんだなぁ。
昔から一人普通列車に揺られながらの旅は大好きだった。
わたしにとって、移動時間は単なる移動のための時間ではない。
とかく長距離を電車で移動する時間は、景色を愛でながら、違う視点も持てる、とても有意義で大切な時間なんだな。
いまは仕事の一部として、この大切な時間を定期的に持てていることに幸せを感じる。
これからもこういう時間、一人になる機会と時間を大切にしていこう。