新型コロナウイルスがこの世に現れ、あれよあれと言う間に拡がり、この2ヶ月ほど話題に上らない日はありませんね。
この新しい存在は、どれだけ私たち人類を揺さぶるのか、ちょっと離れたところから冷静に見ていると、今まで見ずに済ませていたいろんなものを、表出させてくれているなぁと思います。
何より、この存在によって感情を揺さぶられてる人の多いこと!
最初の頃は、わたしも「ただの風邪ウイルスやん」と思って、距離をおいて見ていることもでき、あまりにウザいのでニュースを遮断してしまうこともできていました。
ところが、この渦中、沖縄に旅した頃から感情的にかなり強く反応しはじめました。
反応が出た時は、自分を観る時。
また、自分を観ることは集合(無)意識にも繋がります。
ザワザワとする感覚を胸に持ちながら、「あぁこれ罪悪感よねぇ〜」と思いつつ旅立ちました。
旅するから戻って思うのは、こんな感覚をセルフワークするための旅だったのかと苦笑しています。
なにせ旅行中ずーっとザワザワしてましたから。
旅先で何をワークしていたかというと、これ↓です。
何か悪いことをしているような感覚
旅に出るといい塩梅に情報も遮断されていたんですが、1人旅で隙間時間にスマホを見てしまうと否応なく新型コロナウイルスの話題は目に入ってきます。
というか、埋め尽くされていました。
その度に、ザワザワするわけです。
沖縄の空や海の中で寛いでいる時は全くないのに、新型コロナウイルスの話題に触れると体が反応する。(苦笑)
気管支のあたりがチリチリと焼けるように痛い。
新型コロナウイルスに感染したんじゃないの?!と最初は思ったけど、実はこの症状は2月下旬から出ていて1ヶ月以上になる。
また、感染の目安となる他の症状(発熱、咽頭痛など風邪の初期症状)もなく、そもそも痛みは持続せず、一時的なもの。
たまーに、「あ、またヒリヒリしてる」程度。
カウンセリング・セラピーをしている時も、クライアントと共振して、こうやって体感覚に出るのはよくあるので、これは感染じゃなく、身体反応だろうなぁ。
しかも、新型コロナウイルスの話題に触れた後に反応が出るから、ほぼ間違いない。
身体はウソつきませんからねぇ。
これはセルフワークしろってことよね!と肚をくくって、旅の最中に、感情ワークやったり、ビリーフ(思い込み)リセットワークしたり、シータヒーリングしたり、この感覚がどこから来てるのか、時間がある度にワークしてみました。
新型コロナウイルスに感染してしまったら、どんな感覚・感情が起きるか、じっくり感じてみると、身体が震えるような感覚と一緒に出てきたのはこれです。
「何か悪いことをしているような感覚」
「誰かに責められてるような感覚」
これは馴染みのある感覚でした。
小さい頃、喘息持ちだった私は、母に「大人になるまで育たないんじゃないか」と言われていました。
よく風邪もひき、小さい頃の記憶と言えば病院通いの記憶がとても多いのです。
この「何か悪いことをしているような感覚」「誰かに責められてるような感覚」は、「病気にかかることは「悪」」という感覚でした。
病気になるのは悪いこと。
思い浮かぶのは親のガッカリした顔。
そして、「また」病院通いで迷惑をかける。
病気になった私が悪いんだ。
という罪の意識。
罪悪感。
あぁ、これあるある〜
持ってるわ〜
この感覚生まれたビリーフ(思い込み)をリセットワークして置き換え、シータヒーリングでこの感覚・感情を持たないことはどういうことかを書き換えました。
病気になったのは「私が悪いから」ではないですよね。
病気はさまざまなことが絡みあって起きます。
「私が悪いから」もあるかもしれませんが、それだけではありません。
病気になったという事実をそのまま受け止めて、治すためには? 二度ならないようにするためには? と次に繋げればいいのです。
そこに罪悪感はいりません。
もうひとつの罪悪感
実は、新型コロナウイルスに関して言えば、感染してもたぶんこれじゃあ死なないだろうという根拠のない自信がありました。
なので、感染して重症化する怖さより、どちらかというと、「他人にうつすのでは?」という加害者意識の方が強かったのです。
他人にうつす罪悪感。
もしかしたら、うつったその人が死んでしまうかもしれない罪の意識。
加害者意識の方が強い恐れとなって、わたしを苦しめていました。
この加害者意識が健全に働いていて、感染を拡散するような行動を自制できているのならワークする必要はないのかもしれません。
でも、わたしはそれが苦しくって。
この苦しい感覚、危ないんですよね。
昨年、舌に腫瘍ができて、結果癌化した時、実はこの苦しい感覚がずっとありました。
責められてるようなこの感覚。
この感覚がなくなった後からわかったことですが、これは自分の「考え」が、無意識に自分を責めている感覚でした。
自責の念てヤツです。
別の名を自己否定ともいいます。
この責められてるような感覚がある時って、自己肯定感なんて感じられませんからね。
これ、病気になります。
これじゃあ新型コロナウイルスに感染して重症化するよりも、この苦しい感覚からまた癌化がはじまるかも!と、すぐにワークとヒーリングをしました。
誰かを死なせてしまうかもしれない。
この加害者意識からくる罪悪感も、要らないものです。
「誰かに広げてしまうかも」「誰かを死なせてしまうかも!」という起きてもいないことに感情的に反応して、自分を不必要に傷つけることはありません。
自分に起きている感覚=苦しさや不安などが、感情的反応から来ているならば、自分を苦しめているのは単なる「考え」だとして、真逆の「考え」に一旦意識を持ってゆき、さらに多角的にこの「考え」をみて、ニュートラルな立ち位置に立ってみることはやってみていいと思うんですよね。
もちろん、この「考え」をニュートラルにしたからといって、何をしてもいいということではありません。
このワークとヒーリングはあくまでも、想像からくる自分の感情的反応を止めるためのものです。
知らないうちに感染していて、それを広げていたとしたらどうなるか。
そこは感情からではなく、すでに感染が蔓延してしまった国々から学び、理性を使って考えて、恐れからではなく思いやり(愛)から冷静な行動をしたいものです。
新型コロナウイルスは「悪」? その「考え」が引き起こす現実
誤解のないように書きますが、感情を持つことは「悪」ではありません。
罪悪感を感じたっていいのです。
怒りを感じたっていいのです。
ただ、その罪悪感や怒り等の感情のまま、行動するのは止めましょう、と言いたいのです。
その感情のエネルギーが誰かを攻撃する刃になっていませんか?
今の地球はその感情のエネルギーが刃となって地球全体を覆っている感じが凄くします。
そのネガティブなエネルギーの方が怖い。
そうわたしは感じます。
その刃のようなエネルギーは、周り回って自分を傷つける刃になります。
世界中を覆い尽くす怒りや憎悪のエネルギー。
その方が、ウイルスよりも怖いと感じます。
もうひとつ、わたしが怖いなと感じるのは、「新型コロナウイルスを「悪」だ」とする「考え」です。
コロナは悪だ、敵だ、やっつけろ!
そんな声や、そこに渦巻く感情的反応を多く見ています。
特に、志村けんさんが新型コロナウイルスに感染し、亡くなったことでこの反応が強くなったと感じています。
この考え方に違和感を感じています。
善・悪、敵・味方、という対立する二元の考えにハマってゆくことに怖さを感じます。
この構図、きっと戦前にもあったんじゃないかと思いますが、どうでしょうか?
何かを「悪」「敵」に据えて、反対側に自分を置き、自分を正当化してゆく、一致団結(してるように見える)して戦争へ…
なんかその構図と似てないかー?
と思っていたりもします。
今で言えば、人類対ウイルス。
どっちも同じ地球で生きてる存在ですよ。
言葉を変えれば、地球というひとつの星の上でしか生きてゆけない存在です。
(ウイルスは宇宙空間でも存在し続けるかは知りませんが。)
地球というひとつの存在の上でしか生きていけないということは、バランスをとりあって共存してるわけです。
このウイルスという存在、今は「人類の敵ー!」みたいになってますが、将来は特定の病気を治す特効薬みたいになるかもしれません。
まぁ、それは仮定としても、同じ地球に存在するということは、どこかで繋がっていて、助けあってる部分もあるはずです。
それを崩すとどうなるか。
それは今の地球ですでに起こってることですよね。
生態系のバランスは人類によってかなり崩されています。
もしかしたら、その結果、地球上のバランスを取り戻すために生まれてきた存在かもしれません。新型コロナウイルスってヤツは。
この世界に必要のない存在なんて、ひとつもありません。
必要があるから存在するのです。
この世界は相反する存在がバランスをとりあって成り立っています。
敵対すればそのバランスは崩れます。
また、何かが失われれば連鎖的に影響は広がります。
もういい加減、「対立、排除」という思考パターンから、「共存」へとシフトする時が来てると思うんです。
それを今の地球は教えてくれてるんじゃないでしょうか。
だから思いきって、「新型コロナウイルスは「ギフト」だ」という置き換えもしてみました。
実際、新型コロナウイルスのおかげで、「今まで違和感があったことが解消された」「悪いことばかりじゃない」と感じていらっしゃる方もいるんじゃないかと思います。
もちろん亡くなってる方もいるので、歓迎しているわけではありません。
この「考え」=「新型コロナウイルスは「悪」だ」があるから、一生懸命現場で対応されている医療従事者の方やそのご家族、また、治癒された方やそのご家族に対して、風評被害みたいなことも起きてるんじゃないでしょうか。
看護師の子は(保育園で)預かれないとか、
看護師の家族は出勤するなとか。
とあるTV番組で見ましたが、看護師や医師等医療従事者の方にも家族があり、生活があります。
その方達が疲弊していっては、本来の力を発揮することができなくなったり、治療する病院がなくなったりはしないでしょうか。
また、治癒された方やそのご家族をどこか悪者、汚れたものを見るような目で見てませんか?
病気にかかることは、かかられた方が何より苦しく辛い体験をされてきた思いをされ、労りの言葉こそあっていいもの。
新型コロナウイルスがどんな「ギフト」を私たちにもたらしているか、一度考えてみてもいいんじゃないでしょうか。
わたしは、少なくとも、地球環境に対しては恩恵はあったと思っています。
中国で工場が停止したことで大気汚染が短期に解消されたり、イタリア・ベニスでは観光客が激減し水質汚染がなくなったりと、今までのやり方では改善できなかったことがわずかな時間で達成できています。
一瞬であれ、こうすれば改善するのかという気づきをくれただけでも、ギフトをもたらしてくれたと思うのです。
また中には、今の状況を不幸な出来事と捉えず、チャンスと捉えて前向きに戦略を練っている企業や人も多いと思います。
ピンチはチャンス!
この世界は捉え方を変えるだけで見えるものが変わってきます。
言葉を変えれば、人は見たいようにしか見ないのです。
それがネガティブなものであっても。
ネガティブな「考え」にとらわれ、そこに留まっているのを選択するのか、チャンスと捉えて新しい道を模索するのか。
それだけでアフターコロナの世界に差がつくと思うのですがいかがでしょうか?
冷静に状況を見れるようになろう
ちょっと話が変わりますが、この日本で、突然の心臓停止で毎日何人の人がなくなってるか知っていますか?
答えは、200人です。
1日に亡くなる人、200人!です。
7分に1人の割合と言われてます。
1年で7.9万人の方が亡くなっています。
情報ソースはこちら↓
単純な数字の比較にはなりますが、新型コロナウイルスのニュースをよーく見てください。
「感染者」数は「速報!」のように毎時間といっていいぐらいのスピードで更新されています。
でも、本当に注目すべきは亡くなった方の数じゃないでしょうか?
もちろん海外では1万人を超える人数の方が亡くなってる国もあります。
注意喚起という意味ではこの数字を知っておくのもアリです。
でも、日本の「現実」はどうですか?
夫が何の予告もなく心肺停止で倒れた経験のある私としては、新型コロナウイルスで騒いでいることが異常に思えてなりません。
ニュース(情報)に翻弄されていると思いませんか?
インフォデミックという言葉があります。
インフォデミックとは、インターネット上の噂やデマも含めて大量の情報が氾濫し、現実社会に影響を及ぼす現象のことです。
これがまさに起きていると思うんです。
裏で起きてることがあるんじゃないの?と意図を感じてる人もいるようですが、それは今は触れないでおきます。
この世界で同時に起こっている他のことに目が行っていないのではないのでしょうか。
確かに、未知であり、言い様のない怖さみたいなものはあります。
爆発的に感染者が増え、イタリアやスペインのように医療崩壊が起きるかもしれない怖さもあります。
でも、今の報道の仕方、情報の氾濫は異様にしか思えないのです。
「今日は何人の方が突然の心肺停止状態になりました。」
または、
「今日は何人の方が交通事故死されました。」
なんてTVニュース見たこともないですし、連日の報道なんてありましたっけ?
今の報道を見ていたら、そりゃ不安にも心配にもなるし、恐怖もあって当然です。
そんな情報しか目に入ってこないですもん。
でも、これを、事実だけを冷静に見れるようになれたら、過剰に反応しなくなったら、苦しくなくなるんじゃないかなと思います。
不必要だと思った情報は見聞きしなくてもいいわけですし、今時欲しい情報は自分で検索すればいくらでも手に入ります。
不安が強くなっていくなら、情報を絞ることも考えてもいいんじゃないでしょうか。
情報による不安・心配・恐怖ウイルス蔓延の方が本当は怖いと感じます。
残念ですが、おそらくコロナウイルスは地球の隅々まで広がるでしょう。
避けることは不可能ぐらいに思ってた方がいいんじゃないかと思っています。
そもそもウイルスという存在がどんな存在かもわかってないんですから、完璧になんてわかるはずもないとも思っています。
わからないままでいいと思うんです。
まだまだ人類が知らないウイルスもあると思うし、これから先、変異して人類を脅かすウイルスや別の存在が出現する可能性だってあるでしょう。
そのたびに、情報に踊らされ、過剰に反応し、パニックに陥る。
このパターン、悪用できますよね。
悪意のある人が、操作に使うことも可能じゃないでしょうか。
冷静に、ニュートラルに、世界と、起きていることを見れるようになる。
そして、静かに対策する。
これってかなり大切なことのように思います。
それにチャレンジできるのが「今」です。
未知の世界を、それでも生きる
今、わたしたちができることは、ニュートラルに世界を見る冷静さを持つことじゃないないかと思っています。
そして、自分の感情的な反応で、他人(人でないものも含む。ここでは新型コロナウイルスも。)をジャッジし、コントロールしようとすることをやめることなんじゃないでしょうか。
そもそも他人は動かせません。
自分が動かせるのは自分だけです。
不安はあるでしょう。
恐れもあるでしょう。
でも、そこに留まっていて幸せですか?
今、私たちは今までにない、未知の体験をしています。
でも、こういうことって、自然界の中で生きている生物にとってはあたりまえなんじゃないでしょうか。
地球の歴史や人類史を紐解いてみても、実は未知の体験の方が多いんじゃないでしょうか。
だからこそ様々なものが発見・発明され、文明が育ってきたんだと思います。
そんな時、「正しい」ことや、「正解」は存在しないというのは歴史から見てもわかりますよね。
何が良くて、何が悪いかなんてわからないはずです。
なにせ未知のことなんですから。
今良いことでも、後になればそれを批判されることもあるでしょう。
逆もまたあると思います。
また、するべきことは1つではないでしょう。
だとすれば、それぞれがベストと思える選択をし、それを実行することしかできないと思うのです。
様々な考えや意見があっていいのです。
今は多様性の時代、個の時代です。
どこまで多様な考えを受容できるか。
それによって自分が感じたことを真っ直ぐ受け止められるか。
(良い・悪い、ポジティブ・ネガティブ関係なくどんな感情も否定せずに「そう思うよね」と自分を受容できるか)
そして、どうすれば自分が幸せでいられるか、喜びを感じられるか、それをどう実行するか。
また、自分が感じたことを健全に表現(言葉で伝えることだけでなく、行動も)できるか。
どんな時も、自分がどうしたら幸せで、平和で、安らぎ、寛いで居続けられるか。
どんな苦難が目の前に現れても、幸せでいられるか、平和でいられるか。
その中でも、安らぎと寛ぎを求め続けることができるか。
さらに、それを表現するすべての存在を許し、繋がりあっていけるか。
そんなことを地球人として試されているんじゃないかと感じています。
自然界では、嵐のように荒れた時、動食物は身を潜め、ただただ嵐を過ぎ去るのを待ちます。
今は人類にとっては全世界を巻き込む壮絶な嵐のようですが、それでも太陽は光を届け、雲は雨を降らし、大地が潤い、その恵みで植物は育ちます。
その植物から栄養をいただき、昆虫や動物は生きています。
そして、そのお裾分けをいただきながらわたしたち人類も生き延びてきたはずです。
どんなに不自由であっても、制限されても、それでも生きていくしかない。
そして、それでも生きていけるんです。
こんな時だからこそ、日々の生活の中に幸せを見つけ、心の中に温かさを感じる毎日を送りませんか。
きっとそういうものが自分の中にあるはずです。
ほっこりとハートがあったかくなるようなものが。
それを見直す時間を神様から与えられているのかもしれません。
未来からの大いなる流れの中で「今」を見た時、起きていることに必ず意味があるはずです。
それが何なのか、見定めていきたいものです。