4月に受験した、LPL認定試験に落ちました。
結果発表直後から強い反応が起きてしまったので、その一部始終を綴っています。
その3は、少し落ち着いてきたからのことです。
不合格になったからこそ、出てきたもの
自分を責め続けるうちに、涙もぼちぼち枯れはじめ、落ち着いて考えれるようになってきました。
すると、今回のことでわたしが気づくべきことは何なんだろう? と思えてきました。
右腕の痛みだけでなく、自分を責めながら感じている、このハート(胸)の痛みは何なんだろう?
この痛みがわたしに知らせているもの、伝えたいことは何なのか。
LPLアドバンスコースで学んだ「ジャーニーワーク・身体の旅」を体験したからこそ、身体が伝えていることを知りたい。
これらの痛みは、試験に不合格にならなきゃ自覚できなかった。
不合格になったからこそ、出てきたものがある。
ようやくそこに目が向きはじめました。
ここに、無意識的な何かがある。
自分がわかっていない何かがここにある。
単に、
「試験に落ちた」、
「じゃあ、来年また」
て、思えないのはなぜ?
なんでこんなにも悔しくて、涙が止まらなくて、自分を責め続けるのか。
この胸の刺すような痛み、咽せる感覚、こみ上げてくる咳は何を言いたいのか。
身体は、頭の理解、知識なんかより遥かに饒舌です。
身体が何かを雄弁に語っている気がしてなりませんでした。
LPLで2年も学んでくると、こういう視点になるから面白いよね。
辛さ、苦しさ、苦痛から逃げても何も終わらない 終わらせるために突き詰める
そもそも「自分を責める」なんてことは久しくやってなかったんですよね。
だって、自分を責めて、痛みを感じることって、辛いじゃないですか。苦しいじゃないですか。
だから、そんなことをわざわざ自分に対してするなんてこと、やってこなかったんですよね。
でも、どんなことも感じきらないと自分の中で澱のように溜まっていく。
それが、自分にとって不快なもの、居心地悪いものであってもです。
逆に、どんな感覚も感じきれば、流れていく。
流れていけば、そこにあったものは終わってゆく。
これはLPLで学んでくる中で知識として得て、カウンセリング/セラピーを受けて体感してきたことなので、わたしにとっては真実なのです。
だから、どんなに辛くて、苦しくても、その感覚をとことんまで感じきる。
感じきって、流して、起きていることを終わらせていくために。
だから、敢えての苦痛の選択でした。
自分を責めて、そこにある感覚を、すべてのことを感じきって、解き放つ。
本当の意味で、ここで起きているパターンをやめたい。
もう二度と、こんな悔しい想いはしたくないから、ここでこのパターンを見極めて、終わらせよう。
苦しいよ。辛いよ。
でも、この苦痛から逃げたって、またいつか同じようなことをするだけ。
苦痛を感じる根本を見極めなきゃ、何が元にあるのか突き止めて、それを終わらせなきゃ、この「苦痛を感じているわたし」は、何度もこの苦しさ、辛さを知らせてくる。
この苦痛の下にあるものを見つけないと、また同じことをやってしまう。
これこそ、わたしが本当に終わらせたいもの。
もう、終わらせなきゃいけないもの。
自分の中から湧くものは、終わらせるべきものがあるサイン。
わたしが終わらせたいものは何なんだろう。
この視点までくると、かなり自分のことを冷静に見れている自分がいました。
その4につづく。