前記事からの続き、ビリーフを探求するセッションの体験話その2です。
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言えなかった言葉を伝える
自分から出てきた言葉を、今度は「場」を立てて、実際に彼に伝えることをします。
「場」を立てるというのは、その時の状態をイスや人を使って目に見える形にして、同じシチュエーションを再現するのです。
今回は1:1セッションだったので、イスを使って「場」を再現し、あの時感じていた言葉と想いを、その場で「彼」に伝えてみました。
そして、彼の側にもなって「わたし」に声をかける。
あの時できなかったコミュニケーションを、「今」体験し直すことで未完了だったものを終わらせてゆきます。
そして、そうなるかもしれないと思い込んだことが、単なる思い込みであったことに気づくこともできます。
あの頃のわたしは「言ったら迷惑に思うだろう」「困るだろう」等々いろんな思い込みをもって、「言わない」という選択をしたんですが、これが単なる思い込みだったと改めて思いました。
セッションの中で、思い込みから「できなかった」ことをやってみることで、そうではなかったと気づくことができるんです。
心配してくれてありがとう
セッション中の彼(の側)からの言葉から、自分が思い込んでいたこととは全く違う言葉が出てきました。
迷惑とか困るとかなんて微塵も思ってもいなかったし、過去に何回も何回も夢に見てきたのは、わたしのことが心配で会いに来てくれていたのです。
彼との対話の最後は『ありがとう』の言葉しか出てきませんでした。
心配してくれてありがとう。
どれだけ心配かけてんだか。
わたし自身はそんな自分を認めるどころか、強がって気丈にしていたわけです。
バレてーら!(笑)
ちっぽけで、非力で、一人で小さくなってるわたしのこと、彼(ら)はわかってくれてたんです。
自分のことをわかってるつもりで、まったくわかってないのはわたし自身でした。
自分の想いを受け止めることは自分をわかってあげること
ここまでのセッションで、またしても自覚してしまいました。
自分のことを、一番わかってあげていないのはわたし自身なんだと。
相手のことを思ってとった行動だったけれど、実はそこで自分を止めているんです。
相手のことを思って行動を止めるのはアリだと思うのですが、わたしがやっていたことは「感じること」を止めていたのです。
寂しい、悲しいという感情を感じてはいけないとブレーキをかけていたんですね。
自分の感情に制限をかけていたわけです。
感じることは自由なはず。
それを止めてしまうのは、自分を殺すことにも繋がります。
どんな想いでも、感じて、受け止めてあげれるのは自分自身しかいないと思うのです。
それが、「自分をわかる」ということ。
いまこうやっていくつもセッションを重ねて、感じることは自分に許せていますが、最初はそれさえもできないでいました。
悲しいと思ってはいけない。
寂しいと感じてはいけない。
感じることが「悪」だから、自分の心にフタをしてしまう。
これを重ねてくると、本当に辛いです。
だからこそ、こういったセッションで、自分が感じたこと、寂しい、悲しいといったことを一旦受け止めてみる。
そうすることで、逆に、この時、自分を受け止めてなかったことに気づけるのです。
自分を受け止めてなかった。
認めてなかった。
わかろうともしてなかった。
自分を傷つけ、痛めつけてきたのは、またしてもわたし自身でした。
ごめんよー わたし。
あぁ、どれだけ自分をいじめてきたのか。
またしても、身をもって知ってしまいました。
あの時は仕方なかったとしても、今こうやってセッションの中で、さまざまなことを感じ直し、未完了だったことを終わらせる。
こうすると、過去を過去を置いてこれるようになります。
そして、こうやって自分を大切にしてこなかったことにどんどん気づいていきます。
これが、どれだけ自分を苦しめていたのか。
わかればわかるほど「自分を大切にする」とはどういうことなのか、体感でわかっていきます。
次はいよいよビリーフ置き換えワーク。
笑い飛ばしましたよ