4月に受験した、LPL認定試験に落ちて出てきた反応の一部始終を綴っています。
その4は、内観していった過程の話。
冷静に自分のやったことを振り返る
胸の痛み、苦しさを感じながら、自分と向き合い続けていると、やがて、冷静に自分のやっていたことを振り返れるようになってきました。
逐語記録を出すか出さないかの瀬戸際まで、限界まで頑張った。
ここは、結果はどうあれ、「よくやった、あれでいい」と言えるようにはなりました。
じゃあ、その前段階、逐語記録に取りかかるまで、わたしは何をしていたのか。
LPLの事務局仕事に熱中していたんですよね。
右腕の痛みは感じながら。
作業が楽しかったのもありますが、腕が痛い、日程的に厳しい、無理だ、と思う瞬間もありました。
「このままいったら無理だよ。」
「身体も壊すし、逐語記録も書けなくなる。」
そう思う瞬間もあったのです。
なのに、その時、わたしは何を選択していたのか。
何がわたしの中で起きていたのか?
楽しい、面白いに熱中し、腕の痛みを「なかったこと」にしていた
痛みも感じながら、日程的に厳しい、無理だ、と思いながら、「楽しい」「面白い」に熱中し、腕の痛みを「なかったこと」にしていました。
痛みがあるのに、ケアすることは後回しにして、自分のやりたいことに熱中していたのです。
ここでひとつ、よくやりがちなパターンが浮き上がりました。
自分のやりたいこと、楽しいことに夢中になるあまり、自分が本当に大切にしなければならないことをなおざりにしている。
これ、ホントによくやるんです。
だから日常的にタスクの先送りもすごく多い。
やりたいことからやってしまうので、やりたくないことが溜まる。
そして、溜まったものにどうしてもやらなきゃいけなくなる状況に自分を追い込む。
追い込んだ結果、にっちもさっちもいかなくなって、期限前に悲鳴をあげる。
酷い時には、それでもやれずに放置する、投げ捨てる。
このパターンを散々やってきたことに気づきました。
このパターンは薄々は感じていたんですけどね。
逐語記録を出す前にも同じことをしかけました。
「出すのをやめよう」
「もう諦めよう」
でも、さすがに、ここで踏みとどまりました。
結果は同じ不合格だったかもしれませんが、ギリギリまで投げ出さずに頑張った自分は褒めたいと思いました。
楽しい、面白いに紛れて、自分の身体をケアしていない
そしてもうひとつ。
楽しい、面白いに紛れて、自分の身体をケアすることをしていない。
これも、昔からよくやってるパターンです。
自分が納得いくまでとことん追求してしまい、もうダメだと身体が悲鳴を上げるところまで追いやってしまう。
会社員の時もそんな一面がありました。
自分の全く気づいていないところで追い込み、営業先で体調が悪くなり、救急車を呼んだことがあります。
救急搬送された病院で、ストレスが原因と言われて、『え? ストレスなんて感じてませんでした』と話したことを覚えています。
実は、今回もこの時と同じような状態になりかけていました。
何年ぶりかにまたあの症状が?!と思う時があったのです。
無意識にそこまで身体を追い込んでいました。
自分の身体の変化にいち早く気づけるのは、自分しかいません。
自分より大切なものはないはずです。
なのに、自分をケアすることをせずにとらわれているものがある。
うーん。
何なんだろう?
問題は、行動ではなく、その時何を思い、どんな決断をしていたのか
さらに、試験を受けてから提出期限まで、自分のとっていた行動と、その時何を思っていたかを振り返り続けました。
試験前後は本当に忙しかった。
5月から開講する12期のための資料作りやテキストの校正、秩父WSにもスタッフで参加していました。
それらに取り組んでいたことに後悔はなくって、やりきれたことに充実感を感じていました。
問題はその行動ではなく、その時何を思い、どんな決断をしていたか だったのです。
パツパツのスケジュールの中、時間もなくなり、期限が迫る。
その時、わたしが発していた言葉は、
『わたしなんてどうなってもいい』
でした。
時間も、体力も、限界まで追い込まれた時に呟いたこの言葉。
実は、いままで何度も言ってきた言葉でもありました。
会社員時代も、子育ての時も、思い起こせば、似たような状況になると、いつもこう思っていました。
そして、ここで、自分の発した言葉に「はっ!」としました。
これが、繰り返しているパターンだ!
この気づきが、今回起きたことへ深くつながっていくことになりました。
その5につづく。
その1~3はここからどうぞ。