2018年5月24日から28日までの5日間、岩手を旅しました。その旅の記録。
5/25から岩手県花巻を中心に、イーハトーブ(宮沢賢治が思い描いた理想郷)を巡る旅に参加してきました。
せっかく花巻まで行くなら、その前後で陸前高田を訪れたいと思い、同じツアーに参加する仲間に声をかけて、前乗りで陸前高田に行ってきました。
陸前高田と言えば、2011年に起きた東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた場所です。
震災から2年経った2013年5月、念願かなって、ようやく陸前高田へ行くことができました。
3月11日の記憶 東日本大震災の記憶を風化させないために続けていること – 和の森
あれから5年。
震災から7年。
陸前高田はどうなっているのか。
自分の目で確かめたかったのです。
2018年5月 陸前高田の今
一関から陸前高田へ、5年前と同じルート・国道340号線で陸前高田へ入りました。
町が見える場所まで来て、一言。
道こそ通るところは変わっていても、5年前とほぼ変わらない景色が目の前に広がっていました。
町の中心部だったところは嵩上げ工事が続いていて、砂塵が舞い上がっていました。
道路も通る嵩上げ工事が終わったところから、以前とは違うところに新しい道が作られていますが、町中心部はまだ以前と同じ道。
町を囲むように周辺部から工事が進んでる印象でした。
津波被害にあわなかった高台にあるエリアには仮説の建物のまま。
正直、7年経ってもこの状況なのか…
嵩上げ工事したって、地盤が落ち着くまでは建物も建設できないはず。
いつになったら“町”が戻るのだろう。
呆然と、工事を眺めることしかできませんでした。
海岸線の景色が一変していた
内陸から海岸へ向かい、一番驚いたのは海が見えない!!
ニュースでちらりと見聞きしていましたが、海岸線には巨大な壁ができつつありました。
高さは12.5メートル
近づくと圧倒される高さ。
陸前高田の中心部の津波高は13.8メートルと発表されていて、その高さに耐えられるような防潮堤が建設されているのですね。
これが広田湾に沿って2キロ続くように建設されていました。
海沿いを走る国道45号線は震災直後の仮設状態のまま。
道の駅・高田松原は震災当時のまま、撤去されずに残っていました。
左後ろに見える白い壁が建設された防潮堤です。
気仙川の防波堤にあがり、川越しに見た奇跡の一本松。
▲2013年5月撮影
ほぼ同じ位置から撮影した5年前の画像と比較すると、防潮堤によって景色が変わってしまったのがわかりますね。
防潮堤がない河口付近を見ると、5年前と同じように、海と山が見えます。
気仙川河口付近右岸にある3階建ての建物。
この建物も震災当時のまま。
手間には橋脚が建設されていました。
気仙川を渡る国道45号線の仮設橋。
内陸側に新しい橋が建設中でした。
国道45号線沿いに残る集合住宅。
5階建だった建物の4階まで津波被害にあっています。
この建物のおかげで津波被害がどこまであったかわかると同時に、嵩上げ工事がどれくらいまでの高さにされているのかがわかる指標になりました。
町には活気があった
町の景色こそ、5年前とあまり変わらないように見えますが、活気は伝わってきました。
5年前は正直に言って、活気どころか生気も感じず、荒涼とした景色の中で黙々と重機だけが動いている。
そんな印象でした。
あれから5年。
町を行き交う車は工事車両が中心なもののそれなりに多く、人が行き交う感じが伝わってきました。
内陸の高台では、生活の場として定着している感じもありました。
国道45号線と340号線が交わる交差点の角にある一本松茶屋に立ち寄りました。
奇跡の1本松まではここから歩いていけます。
(車では近づくことはできません)
時間の関係で1本松の元までは行けませんでしたが、この一本松茶屋で買い物。
少しでも復興に役立てればとの思いです。
陸前高田で作られている「りんごのスパークリング」
美味しかった〜
ちなみに、今回の岩手旅では見つける度に、陸前高田で作られている「マスカットソーダ」を飲んでいました。
これも美味しかったですよ。
防潮堤と嵩上げ工事に費やされてきたこの5年。
大津波からの復興にはまだまだ時間がかかりそうです。
機会を見てまた訪れ、その様子を写真に収めていきたいと改めて思いました。
遠くからですが、東日本大震災のことは忘れることなく、心を寄せ続けたいと思います。
via PressSync