シャドウを受け容れて共にいる。見たくもない自分の影の一面があることを認めて受け容れる

ここ最近、自分のシャドウ(自分の影・闇・暗いの部分のこと)を常に感じながら、毎日を送っています。

シャドウとはわかりやすく言うと、認めたくない自分の姿ですね。

こんな自分であって欲しくない。
こんな自分なんてイヤだ。
こんな自分なんて見たくない。
と、思えるような影の部分です。

例えば、誰かを責める言葉だったり、他人のせいにしてしまうような言葉、そんな言葉(考え)がぱっと浮かぶ。

すると、あ、こんな考えをもってるんだ、こんなこと思うんだ、と自分で気づくわけです。

そんな自分なんて、見たくもないのです。

口に出すことはあまりないので、他人に不快な想いをさせることはないのですが、(家族は不快な想いをしてるかも)、気づいた瞬間、いや〜な気分になってしまうのです。

このいや〜な気分をどっぷり味わいながら、毎日を送っています。

なんで、このこのいや〜な気分を打ち消さずにいるか。

それは、心の学びの中で、シャドウが現れた時こそ、自分を見つめる、内面を深めていく機会だとわかっているからです。

だから、どんなにいや〜な気分であってもその不快さを打ち消さず、そこに留まり、受け容れています。

そんな、イヤな自分もわたしの中にあるのよ。
そんな一面もあるのよ。

だって人間なんだもん。

でもね。
正直、とっても苦しい。

影の自分を認めることは、アタマでできてもカラダが反応する。

身体的な痛みがずっと続いている。

ただ、浮上して表面化してるってことは、この苦しさを越えていける証でもある。

苦しさの中から何が見えてくるか。

それが楽しみでもある。

あぁ、なんてドMなことやってんだろう(笑)

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