100年先の未来を想定して作られた明治神宮の森を歩いてきました。
いまからおよそ100年前の1914年、今の場所に造られることになった時はこの一帯は荒地だったそうです。
今の姿からはちょっと想像もつきませんね。
そこに明治天皇を祀る神社を造り、鎮守の森を造ろうとした当時の林学・造園の第一人者たち。
今の明治神宮の森はその叡智が現実となったものです。
植物が生育すると共にその周囲の環境が変化し、安定した生態系が組織され完成されていく過程を植生遷移といいます。
植生遷移の進行が停止し、長期間安定とみなせる状態(極相)をめざして変化していき、どの遷移も最終的には陰性高木林になっていきます。
陰性高木林とは、陰樹(陽当たりが充分でない林床でも幼木が育つ木)が文字どおり高く育った森で、光がほとんど届かなくなり、育つ木が限られてくるのです。
この状態になると森での植生変化はあまり起こらなくなり、森の姿は安定します。
シイ、カシ、クス、ブナといった木たちが多い森ですね。
明治神宮の鎮守の森はこの植生遷移を考えて造られています。
植生遷移が進んで安定した森となるには何を植えたらいいか。
当時の第一人者たちは100年後、200年後の未来の姿を描いて樹木を植えたんですね。
参道を歩いていて目に入ったのが、大きいクスが多いこと。
クスは陰性高木林を構成する代表的な木で、植えられた当時はここまで大きくなかったでしょう。
それがいまのこの大きさです。
この森では想定どおりに遷移が進み、極相(安定した森)に向かっているのだなとわかります。
ところどころ、まだ陽の光は地表に届いてますが、冬でもこれだけ日陰があるわけですから、100年経って、充分遷移は進んでいますね。
当時の第一人者たちが今の森を見たらなんと言うんでしょうね。
計画当時、荒地だった場所は鬱蒼とした森に変わりつつあります。
関東大震災や第二次世界大戦もあり、本殿をはじめ森も戦災にあっていますが、それでも今この森が残されているのは奇跡といってもいいでしょう。
この奇跡の森を造ってくれた先人たちの叡智を称えずにはいられないですね。
この森にはたくさんの生物が息づいているといいます。
荒地だったところに森ができ、生物たちが生きていける環境を作り出しました。
こんなに豊かな森は自然だけの力でできたものではありません。
荒地を豊かな森に変える「人」の知恵があったからこそ100年という短い期間でここまで変わったのです。
自然に「人」の手をいれることは自然保護ではないと言う意見もあるかもしれません。
でも、これこそ「人」ができる自然保護だと思います。
「保全」することだけが自然保護ではありません。
「人」が関わることは、自然な姿を取り戻す助けになる。
適切な手入れをすれば、自然はその助けを借りて、もともと持っている力以上の発揮する。
『森あっての人、人あっての森』
明治神宮の森はその好例だと感じました。