嫌われる勇気の中で哲人はこう語っています。
人が課題を前に踏みとどまっているのは、能力の有無ではなく、純粋に「課題に立ち向かう“勇気”がくじかれていること」が問題、と考えるのがアドラー心理学です。
この課題に立ち向かう勇気を、横の関係に基づき援助するのが「勇気づけ」です。
今回はその逆、「勇気くじき」をされたら、同じ思いをしているだろう子供の悔しさがよーくわかってというお話です。
図らずも10日間、どこも行けなくなってしまったゴールデンウィーク。今まで「やるやる」と言いながらなかなか手をつけられなかった家の片付けでもやるかな! と思っていた矢先のことです。
そんな密かな決意を知らないオットからいきなり矢のような言葉が降ってきました。
「あのさーいつになったら部屋の片付けやんの?!」
若干怒りを帯びたその矢はぶすぶすと突き刺さります。
「いいかげん邪魔なんだよね〜」
「オレは自分のところはやったよ」
「いつになったらやるわけ?」
はいはい。
確かに「ヤルヤル詐欺」してるのは私です。
わかってますよ。
よーくね。
でもね、こういう言葉を受け取って、めちゃめちゃイヤ~な気分になりました。
悔しいというか、何というか、腹立たしいというか。
そして、この時思い出したのがこんなシーン。
宿題をやらなければいけない状況なのに、どう見てもまだ手をつけていない子供は、ゲームに夢中で手をつける素振りも、動く気配もありません。
そこで、たまりかねた親は言います。
「宿題は?終わったの??」
「…」
「あるんじゃないの? まだやってないじゃない?」
「…」
「いつになったやるの?!」
「…ぼちぼち…」
「ゲームなんか後でいいじゃない。先に宿題やってしまいなさい!」
「…」
「いつも同じこと言われてるじゃない。言われる前にやったら?!」
「…」
よくある光景ですね。
我が家でもよくあります。
こんな時の子供の気持ちが、今回のオットとのやりとりでよーくわかったんです。
気が重いことに取りかかろうと、なんとかヤル気を奮いたたせ、重〜い腰をよっこらしょと上げようとしていた矢先に、降りかかる言葉。
それも「できてない」が前提の言葉です。
やらなければならないのはわかってるんです。
それは子供の宿題も同じはず。
そこへ、他人(親・オット)が、「できていない」現実、さらに「できなかった」過去や「できない」いつもを引っ張り出してきて攻める。
なかなか踏み出せずにいるのを、「よし、乗り越えよう!」と一歩出そうとしたその矢先、「ほら、できてないじゃない!」とヤル気を挫かれてしまったのです。
せっかく上がりかかっていた重い腰は見事ドスンと地面に落ち、奮い立たせたヤル気もしぼみました。
そして、「この人私のことなんかわかってない!」そんな気持ち、不信感がムクムクと湧いてくるのです。
反抗期なら言ってしまうかもしれません。
「わかってるよ!やろうと思ってた矢先にうるさいなー!」
こんな状況はどこにでもありますね。
親子、夫婦、会社。
言いたい側の気持ちもわかるし、「相手を動かしたい」という目的があるのもわかります。
でも、こんな言葉はヤル気を失くし、不快にさせることはあっても、ヤル気を促したり、気持ちよくできるようにしたりする効果はないんですね。
逆効果でしかないんです。
こんな時、言いたい側はどうしたらいいんでしょう?
そして言われた側は?
その続きはまた別記事で。
オットに挫かれた私のヤル気は「自己勇気づけ」で底上げ中です(笑)