SONY α6000を手にしたのは、2016年の秋でした。
もう6年半も経つんだね。
このカメラがやってきて、わたしは”撮ることの楽しさ”を思い出したんだよね。
α6000の前は、Nikon D5000を使っていたのだけど、7年くらい使っていて、後半はカメラそのものをあまり使わなくなっていたんだよね。(詳しくは上のリンクからどうぞ)
α6000を手にした時、カメラ自体の性能アップもあり、ファインダーから見たもの、そのままが撮れる描写力にものすごく感動した。
”撮ることの楽しさ”を思い出して、再びカメラを持ち歩くようになった。
軽くて、コンパクトで、どこにでも連れていける身軽さ。
どこに行くにも一緒だった。
でも、レンズがZEISSの単焦点しかなくて、次第にジレンマも抱えるようになっていった。
「撮りたいものが、撮りたいように撮れない。」
かたや、発表される度に進化するiPhone(のカメラ)。
ちょっとしたものなら、iPhoneでも全然OK。
でも、iPhoneのカメラは賢過ぎて、時にガッカリする。
「これはわたしが撮りたいものじゃない。」
iPhoneのカメラでも、撮りたいように撮れないイライラを味わう。
その時、カメラの買い替えがよぎった。
ずっと憧れ、いつかは欲しいなと思っていた、フルサイズ・デジタル一眼レフにする?
価格の壁がね、どうしてもあって、なかなか手を出せなかった。
いや、だって、20万なんて金額、そう簡単には手を出せないじゃない?
さんざん迷って、ものすごく考えて、思いきってSONY α7Ⅲ に手を延ばしたのが、ちょうど2年前の2021年春。
α7Ⅲを手にして、その重さに慣れたら、α6000 は使わなくなってしまった。
センサーの違いは大きくて、「撮りたいものが、撮りたいように、撮れる」ようになり、それはどんどん表現の深みへと誘ってくれた。
α6000 は、この2年、ずっとお蔵入り。
α6000 はAPS-Cセンサーとしてのメリットもあるけれど、もう9年も前(発売は2014年)のモデルゆえ使うことも、もうないだろうな。
心友に譲ってもらった機材でもあり、ずっと手放す気になれなかった。
α7Ⅲを手に入れる時は、とてもそんな気にはなれなかった。
でも、そのタイミングがやってきた気がする。
思えば、α6000 に出会ったあの日から、ずっとカメラと共にいる。
相棒として、ある意味、わたしの一部になった。
心動いたものを写す時、ファインダーを覗くと、この目で見たもの以上に感動させてくれた。
人間の目は優秀でもあるけど、偏りもある。
でも、カメラには人間の目とは違う忠実さがある。
ファインダーを覗くと、見えていなかったものに気がつくんだよね。
そんな感動をたくさんくれたカメラだった。
今までも、それなりにカメラは使ってきたけど、α6000ほど一緒にいて感動があったカメラはなかったなぁ。
今、思い出しても、あの時々の感動が甦ってきて、幸せな気持ちになる。
▲ α6000 を手にして、一番最初に撮影に行った駒ヶ根での写真
今での心の中にずっと残ってる写真たち
ありがたいことに、9年も前のカメラであっても買取に出せるんだよね。
次の活躍の場がどんなところかわからないけれど、わたしのところにいては、このままお蔵の中。
α6000のためにも、手放すタイミングだと思う。
寂しさもあるけれど、「ありがとう」をいっぱい込めて、旅立ちを見送ろう。
ちなみに、ZEISS Sonnar T* E 24mm F1.8 ZA SEL24F18Z は手元に残します。
このレンズはまだまだ現役で活躍してくれてるので💕