新年明けましておめでとうございます。
2020年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年は息子ちんが友人と年越しするということで、自宅で夫婦二人、穏やかな年越しとなりました。(^^)
例年は実家で迎えるので、家で迎えるのは何年ぶりかなぁ。
さらに夫婦二人で迎えるお正月は20年ぶり。
まったりと新年を迎えています。
さて、暦の上では新年となりましたが、古来1年のはじまりは冬至だったんですよね。
また、1年の運気を読むのに適する木星が12/3に山羊座に移動し、山羊座木星の年がはじまりました。
12/3から冬至を経て問いを立ててきた今年のテーマについて、書きながらまとめてみようと思います。
OSHOカードから
年明け直後にOSHO 禅タロットカードを引いてみました。
今年のテーマは?
〈LAZINESS -怠惰-〉
それをサポートするものは?
〈CHANGE -変化-〉
怠惰にしてる場合じゃないっすね(笑)
さらに、朝起きて今年の事始に風呂に入りながら意識で引いたのが、
〈INNER VOICE -内なる声-〉
そうよね。そうよね。
今年は内なる声に耳を澄ませ続ける年よね。
そして、瞑想後もう一度同じ問いで引いてみました。
今年のテーマは?
〈TOTALITY -全一性-〉
それをサポートするものは?
〈TRUST -信頼-〉
とんだけ飛び込めとww
2019年からの流れ
2019年は「自我実現で生きることを終わらせる年」だったように思います。
おもえば2019年はじめの記事で、
『今年のテーマは「終わらせること」』
なんて書いてます。
終わってみて、まさにそのとおりだったなぁと、思います。
この『終わらせること』は結構意識して1年を送ってきていたのですが、終わってみると、年初に思っていたこととは全然別次元で『終わらせること』をやってましたね。
それが「自我実現で生きること」でした。
自我実現とは、いわゆる社会的に成功をおさめたり、社会的な達成をめざす生き方のこと。
それは、金銭的なものであったり、社会的地位であったり、名誉・名声であったりもします。
こういったものをめざすことは、実は他人軸なんですよね。
「社会」という自分の外側にあるものを判断基準にしたり、手がかりにしているのでね。
他「人」軸というと、自分以外の人の価値観かなと思いますが、常識や社会通念、肩書や成果等も含まれます。
このことは、LPLでも何回も言われることであり、4年間聞き続け、アタマでは理解はしていたのですよ。もちろん。
でも、自分がやってるとはなかなか気づけないものです。
わたしの場合、それは自己否定、自分責めが止まらなくなるという形で表面に現れました。
自己否定する、自分責めするのは基準が自分の外にある(他人軸)からというのはわかってはいたんですが、自力ではなんともなりませんでした。
まるで暗闇の中で膝を抱えてうずくまっているような感覚がずっとあって、
もうどうしていっていいかわからない。
自分がどう生きていったらいいか、全く見えない。
そんな絶望と虚しさとに包まれてる期間が半年以上ありました。
そこにさらに病気がやってきて、心身共にある意味の「死」を味わうような感覚だったように思います。
心理学用語で、デッドゾーンやエッジと呼ばれる状態にどっぷりだったのです。
ブログの記事数の少なさが苦しかった2019年を象徴していますね。
苦しくて、辛くて、何度もセッションを受けてきました。
もうどうしようもない。
いい加減、自己否定、自分責めのループから抜け出したい。
このわけのわからない苦しさから脱出したい。
ドン底感にどっぷり浸りきって、もう我慢ならない!
そう思って受けたセッションで、わかってしまったのです。
わたしの幸せは、自我実現の先にはない。
社会的な成功、社会的は達成、社会的に何かを成し遂げることは、今生わたしがめざすことではない。
他人軸から、自分軸へ
大きなシフトが起きました。
考え方や生き方が全く別の次元へシフトしたといっても過言ではないぐらい、自分の中で意識が根底から覆るぐらいの変化があったのです。
わたしがめざすのは、ただただ自分を幸せで満たすこと。
外の世界からの価値観を持ってきて、それをめざして進むことではなく、自分の中に元々あったものを世界に与えること。
無意識のうちに、社会的な成功や達成をめざしているから、そちらに行かせないようにとブレーキがかかる。
そのブレーキは、社会的に何も為していない自分に対する自己否定や自負責めという形で起きる。
わたしの〈いのち〉の目的は、そっちじゃないよ と、苦しさや辛さが教えてくれていたのです。
その構造がわかり、思考だけでなく、見えないレベルにまであるビリーフの書き換えをしてから、ガラリと意識が変わりました。
あまりの変わり様に、なんだかキツネにつままれているような感覚でもありました。
世界がとても軽やかになったのです。
わたしがここから先、求めていくのは、社会的な達成や成功ではなく、自分が心の奥底から幸せと思える生き方に徹すること。
自分の奥底にある魂が、幸せで震えるような生き方をせよ。
そうメッセージを受け取り、深く心に刻み、
骨身に沁み渡らせ、血肉とし、細胞のひとつひとつが意識を変えたような感覚になりました。
2020年の生き方
魂が幸せで震えるような生き方。
大きな意識のシフトから、これがどんな感覚なのかが体でわかるようになってきました。
魂が幸せで震えるような生き方をしているかどうか。
それをキャッチする感覚をもっと研ぎ澄ます。
それが2020年の目標のひとつです。
そして、もうひとつ。
全く今までには持ってなかった感覚を磨きます。
『〈いのち〉がわたしを生きている』
今までは何か大きな〈いのち〉という存在に「生かされている」という感覚がありました。
が、今年は立脚点をシフトしてみようと思います。
「〈いのち〉がわたしを生きている」という感覚を磨くためには、まずは〈いのち〉の声に耳を澄ます。
そして、〈いのち〉からの呼びかけに無心で応じる。
そのために、「わたし」から離れる。
自分という自我意識から目を離し、〈いのち〉から流れてくるものを感じとり、信頼する。
〈いのち〉からの声、呼びかけとは、別の言葉で言えば、未来からの声であり、呼びかけだと思っています。
未来からの呼びかけにただ応じる。
そこには、「わたしから」という能動的なイメージはなく、受動的。
積極的でアクティブなわたしからすれば、ある意味、非常に難易度が高いことにチャレンジすることになります。
実は、先程書いたセッションからの気づきはもうひとつあって、それは「今ここに留まる」というものでした。
ついね、次から次へと衝動的に気持ちが動いちゃうんですが、その衝動的なものを敢えて流して、その場を感じ尽くす。浸りきる。
そんなことも2019年の流れの中で実践してきました。
わたしの中の感覚では、『終わらせる』ために必要なことなので、2019年のテーマを実践していたわけです。
その流れから、今その場にじっくり留まりながら、感じ尽くし、浸りきり、〈いのち〉からの声・呼びかけに耳を澄ます。
それぐらいの静けさが今の自分に必要な気がすています。
また、『〈いのち〉がわたしを生きている』とは、言い換えると、
自分の人生を自分でコントロールすることを手放してみる。
未来に自分を委ねる。
みたいなイメージでしょうか。
未来に動かされるような感覚を持ちながら、その感覚を磨いてみたいと思います。
今まで持ってなかった感覚を、持つことにチャレンジするという意味で、OSHOカードはそれを見事に表していると思います。
どうなるかはこれからのお楽しみ♡
2020年はすでに持っているけれど、忘れているであろう感覚をどんどん呼び覚ましていこうとも思っています。
自分の「あるもの」「持てるもの」にどんどんと気づいていける1年。
そんな予感がしています。
2020年のわたしをサポートしてくれる樹は何ですか?
という問いで引いたThe Tree Angel Oracleカード。
出てきたのは〈IVY(アイビー)-つた-〉
あまりにピッタリなメッセージに驚きました。
報酬を求めず、代償も求めない
あなたの行いの偉大さを
いつか、誰かが知るのだろうか
それは、あなたには、どうでもいいこと
栄光など、いりません
心のままに歩むことに、至福があるのだから