病理検査の結果
今日は3日ぶりに息子ちんが病院に来てくれた。
口から食べれるようになったので、家から酵素ジュースだの、サプリだの、欲しいものを持ってきてもらったのだ。
夕方、仕事帰りのけんちゃんも寄ってくれた。
今日の夕食タイムは狭いベッドの上に3人…
と思ってたら、親父殿も覗きに来てくれて4人に(汗)
座るとこないぞ〜
夕食後、みんなを見送ろうとナースステーションの前を通りかかったら主治医の先生がいらした。
軽く会釈をすると、先生がこっちに向かってきて、
『ちょうどいい。切除した部分の検査結果が出たんです。ご主人もいらっしゃるし、検査結果聞いていかれませんか?』
とちょっと嬉しそうに話された。
『ああ、じゃあ、聞いていきます。ちょうど息子もいますし。』
『では、準備できたらお呼びするのでベッドでお待ちください』
検査結果は時間がかかるので、退院後の外来でお伝えすることになるかもしれません。と言われいただけに、突然のことでちょっと驚いた。
『なんか先生嬉しそうだったよな。結果良かったのかな。』
『かなぁ』
わたしよりけんちゃんの方が緊張してる(笑)
しばらくして、呼ばれたので息子ちんと3人で部屋に入った。
先生はどんな手術をしたのかを図に書いて説明してくれながら、病理検査の結果をモニターに表示してくれた。
画面には切除した部分をスライスした画像や、組織検査した細胞の画像など、いろんな写真があった。
意外だった検査結果
結論から書こう。
切除した部分から癌が見つかった。
深さはごく浅く 0.5ミリ。
大きさはちょっと大きめで 2㎝大。
リンパ節への転移は術前のCT検査等からはナシ。
深さだけならステージⅠだが、大きさがあるので、ステージⅡと診断された。
手術前の検査では、良性だと思うけど、切ってみなければわからないと言われていたから、そうかぁ。あったのかぁ。と大きく動揺することもなく聞いていた。
でも、まったく無反応なわけではない。
どこかで動揺している自分もいる。
それをアタマ(理性)で抑え込んでいる。
そんな感じだ。
患部が大きくなりはじめた頃に最悪な事態は散々想定し、怯え、怖さを散々味わったから、顔に出るような動揺はなかった。
と、思う。
話を真っ直ぐ受け取って、ショックを受けているのはけんちゃんの方だったかもしれない。
息子ちんは淡々と聞いている。
こういう時に個性が出るよね。
『切除するときに健康な部分まで少し大きめに取っているので、取りきれていると判断しています。
良性ならこれで退院して終わり ですが、悪性だったので、これから5年間通院してもらって経過観察します。最初の3年は毎月になります。
まずは、術前のCT検査が胸部までなので骨盤まで全部CTを撮って他に転移してないか確認しましょう。』
どこか先生の話をよそごとのように聞いている自分もいる。
なんで先生はこんなに嬉しそうに話すんだろう。
クールな先生だけど、やっぱりそういった微妙な感情は表情や声のトーンからわかってしまう。
わたしには声が弾んでるように聞こえた。
わたしが反応したのは、癌という診断より、先生のその微妙な表情だったかもしれない。
一人になって
先生の話の後、そのままみんなをエレベーターまで見送って部屋へ戻った。
一人になって寝支度を終えると、やはりいろいろ自分の中で起きていることに気づく。
家族に見せていた姿も、マスク(自分の防衛パターンからくる仮面)だったとわかる。
緊急時、特に他人が反応してるのを見ちゃうと妙に冷静になるのだ。
そうやって自分の感情を押し殺すことをやってきたから、サラッとできてしまう。
でも、やっぱり、怖かった。
一人になると、とてつもなく怖かった。
自分はこれからどうなるのか。
不安でいっぱいで、押し潰されそうになる。
ただ。
扁平苔癬が大きくなりはじめて、癌化したかも?!と思った時に、その怖さに、不安に浸りきっていた。
毎日毎日その不安を味わい、ドン底の毎日を送った。
そのドン底の毎日から、自分の力で這い上がってきた。
毎日毎日、ただ瞑想していた。
瞑想して、今ここは生きていられて、好きなことができることに感謝を捧げる。
ただそれだけの日々を送り、ひとつの答えに辿りついた。
起きていないことで不安になるのはやめよう。
今ここに起きていないことで、不安になって、自分を追い込むのやめよう。
不安になるのは”その時”でいい。
それは”今”じゃない。
”今”意識することは別にある。
そう自分で答えを出し、ドン底から立ち上がった。
その上で入院・手術の日を迎えていたから、癌があったと聞いてもすぐに視点がシフトできた。
未来へ向く
癌が出てきたのは、切除した部分からだ。
先生の言葉を信じれば、取りきれているはずだ。
今わたしの身体の中からではない。
もちろんこれから再度のCT検査で全身を再チェックすることになる。
術前の様々な検査からは良性腫瘍という判断もあったことから、転移はない。はずだ。
ならば、訪れてもいない未来で不安になるのはやめだ。
そう思ったら、すぐに考えが切り替わった。
癌という診断を受けると、この先5年は経過観察になる。
その5年間、がんの専門医に毎月健診を受けると思ったら?
それなら通院も不安にまみれたものではない。
何もないことのチェックに通うのだ。
もし、何かあったとしても直ぐに対応してもらえるはずだ。
考えようによっては、何より安心かも。
そう思ったら、不安にまみれ、癌に怯える日々ではなく、”今”を悔いなく重ねることに注力しようと思えた。
未来に何が起きるかなんて、わからない。
そして”死”はすべての人に訪れる。
そのタイミングは誰にもわからない。
ならば、”その時”が訪れるまで、生きたいように生きよう。