睡眠不足
咳きこんで目が覚める。
たんが喉に下りてくると咳きこむ。
咳きこむとさすがに舌も痛い。
昨日までとは違って、入眠してから目が覚めるまでの時間が長くはなった。
3時頃まで一気に4時間半ぐらいは寝れただろうか。
家にいるときなら布団に入って即寝落ち、朝まで目覚めることなく爆睡の人だが、ここでは全く眠れない。
そもそも神経質なのはある。
若い時は枕や布団が変わっただけで眠れなかった。
だから病院という環境で寝付けないのもあるのかもしれない。
でも、今のわたしは布団を見れば速攻眠れる体に変わっている。
原因は、ある。
お隣さんがテレビをつけたまま寝るのだ。
病院のテレビは音漏れ対策のため、イヤホンでしか音声が聞こえないようになっている。
だから音ではない。
テレビで映像が変わる時の光の変化が気になるのだ。
室内が明るい間は昼間も夜も全く気にならない。
でも、消灯後、部屋が真っ暗になると、お隣さんのテレビの光が天井に反射ひ、画面が切り替わるたびにチラチラといろんな光を放つ。
しかも、お隣さんのテレビ画面は私の方に向いているので、カーテン越しにも見えてしまう。
痛みで眠れない時は超ストレスで、看護師さんにお願いして消してもらったこともある。
別の日にお隣さんに直接お願いしたこともあった。
でも、声をかけてお願いしても、寝ぼけ眼のまま「すみません」と言って、すぐ眠ってしまう。
その時、あぁこれは薬のせいなのだな とわかってしまった。
痛みを緩和するための強い薬なのかもしれない。
それからはお隣さんにお願いすることを諦めた。
だから毎晩テレビは朝までついたまま。
一度テレビカードが切れて、消えたこともあったけど、昨日で四晩連続この状態なのだ。
さすがに眠れないストレスが溜まってきていた。
昨夜はふと、アイマスクがわりにタオルを重ねて目の上に載せて寝たらどうなんだろう?と、アイデアが沸いたので実践してみた。
そのおかげだろうな。
時折、痰が苦しくて目が覚めてしまうことは変わらないけれど、このタオルのおかげで咳きこんだ時も音を押さえることができ、次に目が覚めたら外はもう明るかった。
時計を見ると5時過ぎ。
6時過ぎには看護師さんが巡回に来るから、もう眠れないな と諦めた。
前日より少し長く眠れてる。
こうやって凌ぐしかないのが相部屋の辛いところ…
退院まで、睡眠不足で体もつかな…(苦笑)
退院にむけて
今日から朝起きたら着替えることにした。
手術後はずっとパジャマで1日を過ごしていたけど、ぼちぼち日常生活への復帰を目指してメリハリをつけようと思ったんだ。
そして、鼻から入っていた胃管が抜けたので、朝の蒸しタオルも再開。
熱々の蒸しタオルで顔をパックすると目覚めもいいし、肌の色もよくなるし、何より全身が温まる。
洗顔の後は、食前の鎮痛剤をコップ一杯の白湯と共に飲む。
寝起きだからか、舌を大きく動かすと痛みが走る。
舌の痛みはかなり減ったけど、まだまだ薬ナシはムリだな。
病院での規則正しいリズムって、ある意味日常生活を正すのに使えるね。
このリズムを退院してからも続けられるといいのかもなぁ〜
なんて、習慣化のチャ〜ンス!と思っていたら、「鼻の管もとれて口から食べれるようになってきたので、退院日をぼちぼち考えてくださいね。」と看護師さんに言われた。
な〜んだ。ちょっとがっかり(笑)
思えば当初は手術後1週間で退院と言われていたので、予定どおりなら今日か明日に退院していただろう。
喉頭痙攣を起こしてICUに行ってしまったので、その後の回復がずれている。
ICUから戻ってからは順調に回復しているな と自分でも感じいたので、ぼちぼち退院かぁと思った。
看護師さんからは週末の土曜はどうですか? と言われた。
むーん。
この夜眠れない状況をあと4夜過ごすのか(滝汗
この睡眠不足状態の方が回復に悪い気がするんだが…
かと言って、荷物もあるから一人で退院して帰れるわけではない。
家族の誰かのサポートは必要だ。
しかも退院して帰宅したら、食事は自分で作らねばならない。
いくら普段からしてないからと言ったって、家族の分はともかく、最低限自分の食べることは自分でやらなきゃいけない。
この体力で、買い物行ったり家事をするのはかなりの負担。
病院にいれば食事は出てくるし、大して動くこともないから大きく体力を消耗することもない。
しかし、このまま病院にいては睡眠不足が重なる。
むーん。
難しい選択だ。
実家で二晩ぐらい泊まって睡眠不足解消して、体力回復して帰るのがベターだろうけど、母親に「私が倒れるわ!」とかなんとかいろいろ言われそうだ(汗
けんちゃんや息子ちんとも相談しながら考えてみよう。
せめてお隣さんがテレビ消して寝てくれれば、土曜日までいたいんだけどなぁ。
無理だろうなぁ(苦笑
朝昼晩で食事がステップアップ
なぜケチャップが付いているんだろう? とメニューを見たら「オムレツ」と…
左上の黄色い物体はオムレツなのか!(笑)
ケチャップなしで食べてみてもオムレツの味はあまり感じない…
ケチャップをかけて、そのつもりになっていただく。
味噌汁も「汁」のままでいいのにとろみが付いている(笑)
今日の具は「なめこ」だったんだろうか?
なんとなく味もするなぁ。
見た目はただのとろみの付いた味噌汁なので、こうやって想像するのは、味覚が磨かれるかも(笑)
ミキサー食が問題なく食べれるので、ミキサー食より1段硬さのある超軟菜食を1品足してもらった。
お魚が柔らかく煮たものだ。
うん。
いける。
このレベルでも食べれるぞ。
昼食で超軟菜食が食べれたので、夕食から全品超軟菜食にしてもらった。
おー!
形があるー!(笑)
通常よりは柔らかく煮てあるので、問題なく食べれる!
家でもこれぐらい柔らかくすれば食べれるんだな。
我が家にはミキサーがないから、せめてこれぐらいは食べれるぐらいになって退院したかったんだよね。
これで退院後の食事についての不安はなくなったな♪
あとは退院までメニューのバリエーションを学ばせてもらおう。
病理検査の結果
今日は3日ぶりに息子ちんが病院に来てくれた。
口から食べれるようになったので、家から酵素ジュースだの、サプリだの、欲しいものを持ってきてもらったのだ。
夕方、仕事帰りのけんちゃんも寄ってくれた。
今日の夕食タイムは狭いベッドの上に3人…
と思ってたら、親父殿も覗きに来てくれて4人に(汗)
座るとこないぞ〜
夕食後、みんなを見送ろうとナースステーションの前を通りかかったら主治医の先生がいらした。
軽く会釈をすると、先生がこっちに向かってきて、
『ちょうどいい。切除した部分の検査結果が出たんです。ご主人もいらっしゃるし、検査結果聞いていかれませんか?』
とちょっと嬉しそうに話された。
『ああ、じゃあ、聞いていきます。ちょうど息子もいますし。』
『では、準備できたらお呼びするのでベッドでお待ちください』
検査結果は時間がかかるので、退院後の外来でお伝えすることになるかもしれません。と言われいただけに、突然のことでちょっと驚いた。
『なんか先生嬉しそうだったよな。結果良かったのかな。』
『かなぁ』
わたしよりけんちゃんの方が緊張してる(笑)
しばらくして、呼ばれたので息子ちんと3人で部屋に入った。
先生はどんな手術をしたのかを図に書いて説明してくれながら、病理検査の結果をモニターに表示してくれた。
画面には切除した部分をスライスした画像や、組織検査した細胞の画像など、いろんな写真があった。
意外だった検査結果
結論から書こう。
切除した部分から癌が見つかった。
深さはごく浅く 0.5ミリ。
大きさはちょっと大きめで 2㎝大。
リンパ節への転移は術前のCT検査等からはナシ。
深さだけならステージⅠだが、大きさがあるので、ステージⅡと診断された。
手術前の検査では、良性だと思うけど、切ってみなければわからないと言われていたから、そうかぁ。あったのかぁ。と大きく動揺することもなく聞いていた。
でも、まったく無反応なわけではない。
どこかで動揺している自分もいる。
それをアタマ(理性)で抑え込んでいる。
そんな感じだ。
患部が大きくなりはじめた頃に最悪な事態は散々想定し、怯え、怖さを散々味わったから、顔に出るような動揺はなかった。
と、思う。
話を真っ直ぐ受け取って、ショックを受けているのはけんちゃんの方だったかもしれない。
息子ちんは淡々と聞いている。
こういう時に個性が出るよね。
『切除するときに健康な部分まで少し大きめに取っているので、取りきれていると判断しています。
良性ならこれで退院して終わり ですが、悪性だったので、これから5年間通院してもらって経過観察します。最初の3年は毎月になります。
まずは、術前のCT検査が胸部までなので骨盤まで全部CTを撮って他に転移してないか確認しましょう。』
どこか先生の話をよそごとのように聞いている自分もいる。
なんで先生はこんなに嬉しそうに話すんだろう。
クールな先生だけど、やっぱりそういった微妙な感情は表情や声のトーンからわかってしまう。
わたしには声が弾んでるように聞こえた。
わたしが反応したのは、癌という診断より、先生のその微妙な表情だったかもしれない。
一人になって
先生の話の後、そのままみんなをエレベーターまで見送って部屋へ戻った。
一人になって寝支度を終えると、やはりいろいろ自分の中で起きていることに気づく。
家族に見せていた姿も、マスク(自分の防衛パターンからくる仮面)だったとわかる。
緊急時、特に他人が反応してるのを見ちゃうと妙に冷静になるのだ。
そうやって自分の感情を押し殺すことをやってきたから、サラッとできてしまう。
でも、やっぱり、怖かった。
一人になると、とてつもなく怖かった。
自分はこれからどうなるのか。
不安でいっぱいで、押し潰されそうになる。
ただ。
扁平苔癬が大きくなりはじめて、癌化したかも?!と思った時に、その怖さに、不安に浸りきっていた。
毎日毎日その不安を味わい、ドン底の毎日を送った。
そのドン底の毎日から、自分の力で這い上がってきた。
毎日毎日、ただ瞑想していた。
瞑想して、今ここは生きていられて、好きなことができることに感謝を捧げる。
ただそれだけの日々を送り、ひとつの答えに辿りついた。
起きていないことで不安になるのはやめよう。
今ここに起きていないことで、不安になって、自分を追い込むのやめよう。
不安になるのは”その時”でいい。
それは”今”じゃない。
”今”意識することは別にある。
そう自分で答えを出し、ドン底から立ち上がった。
その上で入院・手術の日を迎えていたから、癌があったと聞いてもすぐに視点がシフトできた。
未来へ向く
癌が出てきたのは、切除した部分からだ。
先生の言葉を信じれば、取りきれているはずだ。
今わたしの身体の中からではない。
もちろんこれから再度のCT検査で全身を再チェックすることになる。
術前の様々な検査からは良性腫瘍という判断もあったことから、転移はない。はずだ。
ならば、訪れてもいない未来で不安になるのはやめだ。
そう思ったら、すぐに考えが切り替わった。
癌という診断を受けると、この先5年は経過観察になる。
その5年間、がんの専門医に毎月健診を受けると思ったら?
それなら通院も不安にまみれたものではない。
何もないことのチェックに通うのだ。
もし、何かあったとしても直ぐに対応してもらえるはずだ。
考えようによっては、何より安心かも。
そう思ったら、不安にまみれ、癌に怯える日々ではなく、”今”を悔いなく重ねることに注力しようと思えた。
未来に何が起きるかなんて、わからない。
そして”死”はすべての人に訪れる。
そのタイミングは誰にもわからない。
ならば、”その時”が訪れるまで、生きたいように生きよう。