10年ぶりくらいに、熱を出して寝込みました。
熱はさほど高くなく、いわゆる微熱域(38℃未満)で、そんなにしんどくはありませんでした。
発熱してくる時は、筋肉の痛みと悪寒、体の怠さ。
過去のインフルエンザの時とおんなじで、いつもの感覚。
鼻水や咳もあるものの花粉症の時に比べれば軽く、喉も3日目くらいに痛くなったけど、その時だけ。
持続するものではありませんでした。
今どき、「発熱!」っていうとざわつくじゃないですか。
でも、ちょっと待て。
発熱外来ってやつに連絡したところで診察してもらえるまでに時間がかかりそうだし、そもそも病院に行くようなしんどい熱じゃない。
過去に何回も発熱してきてるけど、今までで一番しんどかった発熱は、40℃近い熱が何日も続き、喉が腫れて痛くて、水も喉を通らなかった時。
水が飲めないのはさすがにまずいと思って病院に行ったら、即入院。
喉が指1本分しか通らないぐらいまでに腫れて、とにかく痛くて痛くて。
この時拾っていたのはEBウイルスという、誰でも拾うやつ。
子どもの時なら無症状で終わるやつみたいなんだけど、不幸にも、わたしはこの時まで巡り合ってなかったんだよね。
大人になって拾うと症状が重くなるってやつですね。
医師には、「検査はするけど、結果出るのに時間かかるから、出た頃には治ってるよ。」と言われて治療にかかりました。
確かに1週間経って退院する時までに結果はわからず、結構後になってから検査結果だけ聞きに行った記憶が残っています。
私にとって、発熱すると、この時の体験が基準になるので、今回はどこまで行くかわからないけど、酷くなってから行けばいいやと判断しました。
それに、こんな軽い状態で、予約して、病院行って、どうなるんだ?
検査して、陽性になって、それで???
疑問がいっぱいあって、友人の医師に相談したら「今は、解熱剤処方されて帰されるよ」と。
解熱剤飲むほどの発熱でもないしなぁ🤔
そもそも発熱って、体の免疫機能が働いている証拠じゃないですか。
発熱することには意味があるんですよね。
発熱は「悪」ではないです。
それを「解熱剤」で下げるのは、体の免疫機能を妨げることになりかねません。
検査のためだけに病院行って、貴重な検査薬を消費し、病院関係者に負担をかけ、使わない解熱剤をもらって帰ることに体力と労力かけるなら、家で寝てた方が早く治りそう。
そもそも病院に行くような発熱じゃないし。
こりゃ、病院行く意味ないなと判断し、自主隔離しようと決めました。
幸い1週間の出張から帰ってすぐに発熱したので、家族は濃厚接触者にも当らないので、寝室にすべてを持ち込んで引きこもり生活をはじめました。
※これはあくまで自分の体と対話して出した自主判断です。発熱がしんどい方は病院に行ってくださいね。
しんどさをあまり感じなかったせいでしょうか。
熱を出している間も、いろいろと感じている余裕がありました。
観照者の意識でいられたんですよね。
シータヒーリング・アナトミー(直観的解剖学講座)受講後というのもあって、自分の体、特に細胞レベルまで意識が向いていたので、自己治癒力を感じるいい機会だと思いました。
ただ、ただ、体(細胞たち)が為すこと=自己治癒力を信頼して、寝ているだけにしてみよう。
発熱で食欲が落ちて食べれなくもあったので、感覚的には「委ねる」を満喫してた感じ。
体中の細胞さんたちを想い、妨げになるようなことは何もせず、細胞さんたちに任せて、全て委ねていた感覚。
すべてに抗わず、起きてくることをただ受け入れ、体の叡智にお任せして、寝てるだけ。
振り返ると、以前、風邪ひいた!熱出た!となると、直ぐに治そうと病院行ったり、薬飲んだり、躍起になってたなぁ。
こういうところにも、何とかしなきゃ!な自分がいたなぁと思った。
熱が出るってことは、そこにも意味があるのにね。
今回は、熱が出てても「そーかい、そーかい」と思いながら、ただ寝てただけ。
以前は「早く治れー!」って思ってた。
そして、何もできないことを諦めるのではなく、何もできないのもただ受け入れる。
「あー そういうことー。」と。
ここに善悪は一切ない。
今まで全くしたことのない、自分の自然治癒力を信頼して、そこに委ねて任せてた感覚だった。
すごく穏やかな感覚でした。

陽が昇って、太陽の傾きが時間と共に変わってゆき、それと共に、光の色が変わる。
空の色も、雲の形も、移ろってゆく。
やがて、部屋に差し込む夕陽を眺めていると、空は光を少しずつ失いながら夜が訪れる。
自分の体内の変化と、環境の変化をただ見てるだけ、感じてるだけの5日間でした。
いかに普段、自分以外のものに影響されて慌ただしくしているのだろう。
現代人は忙しすぎるよね。
ゆったりと流れる時間を感じながら、自然に流れている時間に合わせていた感じ。
ある意味、調律していたような感覚。
体の中に流れる時間って、本来は自然の時間と同じだもんね。
こんな発熱時間を過ごしたのは初めてでした。
時間が経てば、体はちゃんと治癒していく。
その能力を体は持っている。
それを妨げないように、体のために、ひたすら寝てるだけ。
細胞たちの声に耳をすまし、充分に働けるように送るのは愛と栄養だけ。
時に必要があればヒーリングもしたけど(途中、喉が痛くなったので、そこにあった思い込みは掘り下げてリリースした)、体と対話だけしてた、思い返せば豊かな時間でした☺️

そして、ちゃんと治癒していくんだよね。
体は。
それを実感した時間でした。

今回の発熱の最大の収穫は、自分の体への信頼感が増したこと。

自分の身体がもつ叡智、自然治癒力ってちゃんとあって、こんな力なんだと実感したこと。
何より、ちゃんと治癒させてゆく自分の身体、細胞たちが愛おしかった🥰

すごいよ!君たち

今までその力を信じてなくてごめんね。
仕事があるから早く治さなきゃっていう理由で何も考えずに薬飲んだりして、実はかえって自己治癒力を妨げるようなことをしてたのかもなぁ。
もちろん薬が必要な時もある。
でも、前述したEBウイルスに感染して、高熱と喉の腫れで飲食できなくて入院してた時も、治療は点滴(補液)と鎮痛剤で助けてもらいながら、自己治癒を待っていた感じ。
そもそも薬って、体が本来持ってる機能を助けるものであって、治すのは薬でなく、自分の体よね。
主体は体。
それを勘違いしてたなぁ。
これからは君たち細胞がより働きやすいように大切にしてゆくし、サポートするのが私がやることだね。
日常生活に戻りながら、
食べるって体力いるんだ。
食べると体が変わる。
お腹が空くってすごいな。
空く感覚があるって、体が食べもの(栄養)を欲してるってことだとわかる。
熱が引くと体が冷える。
冷えてるってこういう感覚なのか。
平熱に下がったから、発熱してる時との感覚の違いがわかる。
熱が引いた朝の清々しさ✨
デトックスしたー!
浄化したー!
って感じ。
熱がないと体動かしたくなる。
体を動かすと気力が湧いてくる。
体を動かすってエネルギーいる。
動く→気力が湧く→動いてエネルギー使う→お腹空く→食べる
食べるってエネルギーを体に入れることなんだなぁって、今さらながら腑に落ちた。
そして、体を動かすってこのエネルギーを消費すること。
ここに循環があるんだなぁ。
気力が落ちるのは食べ物と関係してる?
鬱ってこうやってはじまるのかも?
そんなことも回復しながら体験してた。
いやぁ。
発熱という1つの症状で、ここまで深く自分の体と向き合ったことないなぁ、今まで如何に体や自分の感覚を蔑ろにしてたなぁって思いました。
何より、今まで意識していなかったことまで意識が行くようになり、より感覚が繊細になった。
まぁ、子どもの頃は繊細過ぎて、生きてこれなかったから全部閉ざしちゃったんだけどさ😅

今は、その繊細さの扱い方、使い方に慣れた感じ。
自分の体、臓器、細胞との対話が楽しい🥰
発熱によって、こんな豊かな時間を過ごせるとは思ってもいませんでした。