一時小さくなっていた舌の扁平苔癬が急に大きくなり厚みも増して、舌腫瘍と扱われるに至りました。

大きくなってないか? と気がついた時から検査結果が出るまで本当にいろんなことを考えました。

ここでは、診察の経緯ではなく、そのプロセスで感じたこと、気持ちの変化を書いておこうと思います。

癌かも… どうしよう!!

『どうしよう!!』

癌かもしれないと思った時、それが一番最初の自分の内側の声でした。

何をしていても頭からそのことが離れず、思考がグルグルグルグルと回るだけ。

不安と逃げたい気持ちが同居し、心ここにあらずでした。

どうしよう、どうしよう、どうしよう…

数日そんなグルグル状態で動揺していました。

やがて、不安でどうしようって言っていても、何にもならん と思いはじめました。

昨年通院していた口腔外科に直接行こうか、異常を見つけてくれた歯科に行こうか… ここでもまたグルグルと迷い、とりあえず、予約の取りやすい歯科の先生に診てもらうことにしました。
(通院していた口腔外科は予約が取りづらいんです。フツーに1カ月先の予約しか取れなかったりする)

扁平苔癬の原因は、患部に当たっている歯が原因だろうと、歯科の先生にも口腔外科の先生にも言われていたので、まずはその歯を抜こうと決めて、歯科へ。

そもそもその歯は歯科の先生に、1年以上前から抜いた方がいいと言われていたからなのです。

診てもらって、舌のことも相談し、歯のことも改めて相談しました。

「いつかは抜かなきゃダメだね」

抜かなきゃならない歯ならば、ここまで舌の状態も進行しちゃったので、今しかない。

先生も、歯の影響が大きいならば、抜けば舌もよくなるかもしれない と仰ったので、抜いてもらいました。

抜歯自体は問題なく終了。

数日後、抜歯後の診察で順調に治癒しているのを確認してもらいました。

でも、舌は変化なし。

不安は一気に大きくなっていきました。

まだ起きてもいない未来を想像し不安に包まれる

頭の中で思考がグルグルと高速回転している真っ最中は、とても余裕がなかったのですが、回転が少々落ち着いた頃に、「まだ起きてもいない未来を想像して不安になってるわ」と冷静に見れる自分も現れてきました。

思考は、未来と過去にしかいかない。
「今、ここ」にいない。

学び続けてきた中で、何度も何度も聞いてきた言葉です。

そこで、少しでも冷静になれるようにと、不安でグルグルする時は瞑想をしっかりするように心がけました。

ただただ呼吸を意識し、今ここに自分がいることを実感する。

何日か続けるうちに、落ち着いている時間の方が増え、今の状況を冷静に見られるようになっていきました。

確かに癌かもしれないという不安はある。

でも、今の自分は、舌に腫瘍があるだけで、痛みもほとんどなく、生活に困るわけではない。

食べることも、話すことも今までと変わりなくできる。

舌以外の身体に感じる異常はリンパの腫れぼったさぐらい。

起きてもいない未来の不安に異常なほど反応し、今ここでの生活に支障が出る方が、問題なんじゃないか?

起きてもいない未来とは、癌の影響で自分の今後がどうなるかわからない不安です。

わからない未来への不安…

わからないならわかるように知識を得ればいい。

そう、実は癌とは漠然と怖いと思っているだけで、その実態をほとんど知らないことに気づいたのです。

知っているのは細胞が異常増殖するということぐらいだけ。

そんな乏しい知識で、怖いと怯えているだけでは何にもならん!

たとえ、癌であっても治療するなら知識はあっても困らないはず。

そこで、早速読みやすそうな本を手に入れ、読んでみることにしました。

「ほんのリンク」

本の紹介は別記事に譲りますが、この本の冒頭に書かれていた言葉にそのままだと思いました。

がんは怖い病気だ、といった漠然としたイメージだけがあり、その実態について正しい知識を持っている人は非常に少ないのが現実だと思います。大事なのは、がんという病気について正しい知識を得ることです。なぜなら、恐怖は無知から生まれるからです。

治療方について様々な意見があるのは知っています。

どんな治療方法を選ぶにしても、がんとは何なのか、知らなければ自分で治療方法も選択できません。

まずは“知る”ことからはじめてみました。

「死」とは何か

この本が良書だと思ったのは、非常に客観的に書かれているからです。

がんと聞いた途端、「死」と結びつける人が多いと思います。

わたしもそうでした。

がん=死

本にも書かれていましたが、死刑宣告のように受け止めていました。

でも、人はいつか死ぬものです。

生まれた瞬間から死に向かっています。
必ず迎えるものです。

なのに、がんと死がなぜ直結してしまうのか、それはイメージでしかないことがこの本を読んでよくわかりました。

なぜだかわからないけれど、癌かも!ヤバイ!と思いつつも、どこかで、これが死に直接結びついてない感覚もありました。

自分の寿命は全うできる。

死因はわからないけれど、与えられている寿命は全うできる。

そんな感覚がどこかにありました。

根拠はないけれど。

そのうち、それがいつかはわからないけれど、不安だー、どうなるんだーと混乱している時間がもったいないないんじゃないの?と思えてきたんです。

残されてる時間、元気に生きていられる時間に限りがあるならば、不安でグルグルしてるのがもったいなくないか?!

元気なうちにやっておきたいことは山ほどある!

不安が消えたわけではないけれど、前向きに気持ちに切り替わることができるようになりました。

「生きる」と意識する

癌かもしれないと思った時、何が一番強烈だったって、「自分の死」を意識したことです。

頭ではわかってるんですよ。

生まれた以上、いつかは死ぬってことは。

生と死はセットです。

片方だけはあり得ません。

でも、自分自身の死となると、それはもっと先のような感覚を持っていました。

大きな病気やケガをした人は意識したことがあるかもしれません。
でも、健康な人ほどこんな感覚を持ってるんじゃないでしょうか。

わたしも、考えたことはあっても、いつかは来る、漠然としたものだという感覚でした。

それが突然、目の前にぶら下がった。

そりゃもう毎日どんよりしてました。

明日死ぬかも!の勢いで。

でも、ある日、ふと気づくんですよね。

わたしの横にいる人のこと。

夫・けんちゃん。

昨年、突然心肺停止になり、三途の川を渡りかけた人です。

何の前触れもなく「死」がやってくることもある。

あの時は、人ってあんなに簡単に死にかけるものかと茫然とした思いもありました。

中学、高校時代に突然、友人を亡くした時も同じことを思いました。

昨日まで一緒に教室にいた友人が、ある日を境にこの世界からいなくなる。

あの時の虚しさ、無力感は今でも忘れられません。

思い出すだけでも全身から力が抜けていきます。

でも、心肺停止から蘇生、心臓バイパス手術を経て復活したけんちゃんからは「生きる」とはどういうことかも教えてもらいました。

人間の強さ、逞しさ、生きる力を、真横でひしひしと感じてきました。

もちろん彼の努力は半端ありません。

生きたい! まだやりたいことがある!

強烈な「生」への望み、渇望がけんちゃんを支えていたのは間違いないです。

本人は煩悩っていうけど、それがあったから半年、左手のリハビリを頑張り、自力でほぼ動かせないところから、握力27キロまで戻してきました。

人はそうは簡単に死ぬもんでもない。

「生きたい」という希望は、人を生かす力がある。

少なくとも今のわたしには、あの時のけんちゃんとは違って、「時間」があるのは明らか。

だったら、ひとつひとつやりたいことを終わらせてゆこう。

そして、今、ほぼ何の不自由もなく生きていられることに、強烈な感謝が湧いてきたのです。

今は元気でいられる。

それで充分じゃないか。

今を生きるのに困らないだけの健康はある。

「死」を意識することをなんとなく避けてきたけれど、「自分の死」を強烈に意識することで浮かんできたのは、恐怖ではなく「生」。

「生きている」「元気でいられること」ことへの感謝でした。

いつかは思うとおりに動けなくなる日が来る。

それは明日かも、もしかしたら次の瞬間かもしれない。

明日も、次の瞬間もないかもしれない。

でも、それは誰にもわからない。
神の領域。

だからこそ、一瞬一瞬を意識的に生きる。

この瞬間、自分が何を感じていて、何をしているのか、意識して生きる。

そして、ひとつひとつを感じきっていく。

この瞬間に生きていられることに感謝して、生きてることを意識しながら生きる。

それぐらい丁寧に生きたっていいんじゃないか。

「死」から逃げることはできないのだから、「生」ある時間を大切に過ごしたい。

不安に包まれ、怯えながら生きるよりも、その方がよっぽど生きた実感があるんじゃないか。

思うように動ける時間は限りがある。

いつお迎えが来てもいいように生きることこそ、今の自分にできること。

クヨクヨ、グルグルしてるヒマなんてないじゃん!

魂の願いに気づく

自分の死を意識した時、自分に問いかけたことがあります。

1つは、「次の瞬間死ぬとしたら、悔いはあるか?」

答えは、ありまくり!

このまま死ねるか!

まだ、やり残したことがある!

やりたいことだって山ほどある!!

全部はできないかもしれないけど。

2つめは、「あと1年しか生きられないなら何をしたいか?」

けんちゃんと世界を旅して歩きたい。

身体が動く限り、世界中のトレイルを歩きたい。

これをせずには死に切れない。

同じことをワークでもやったことがあるけど、全然リアリティが違った。

切望だった。

これだけは、どうしてもやりたい!

魂の叫びだった。

そう感じた瞬間、自分の魂の願いから目を背けていたことにも気づいてしまった。

何、血迷ってたんだろう。

ずーっと、わかっていたことなのに。

これも、いつかは… みたいな感覚でいた。

でも今回のことで、いつ実現できなくなるか、わからないと思った。

けんちゃんだって、健康の不安がないわけじゃない。

わたしだって、がんじゃなかったとしても、もうそんなに若くはない。

お互い、いつまで元気に跳び回れるかわからない。

お互いが元気なうちに、着手したいし、ひとつでも実現したい。

すぐに実現するには難しい面もあるだろうけど、そこは知恵で何とかなるだろう。

生きるために治療する

最初はほんとに怖くて、怯えていて、病院に行くことさえ嫌だと思っていました。

“こども”みたいにね。(笑)

でもとことんまで病気と、自分の死と向き合ったら、生きたい!という強い願いが自分の中から湧いてきたのです。

この「魂の願いを実現させたい。やりきるまで死ねない!」という強い思いが、病院に行く目的を明確にしてくれました。

自分の人生を生ききるために治療する。

検査結果がどうあれ、この病気が教えてくれたことは山ほどありました。

その気づき、ひとつひとつに感謝して、舌の腫瘍とはお別れしたいと思うようになりました。

病は悪ではない。

師である明美ちゃんから何度も聞いた言葉です。

そして、明美ちゃんと、もんじゅさんと、一足先に天へ還ったぼくちゃんこと鈴木さんの3人が岡山で鼎談した時のことを思い出しました。

この時、ただの好奇心で聞きにいって、何でわざわざ岡山まで聞きに行ったんだろう? と思ってましたが、まさかこんなところで活きてくるとは。

鼎談のメモから、一番印象に残っている言葉を引用します。

自分に起きてきた病という現実は、自分のいのちへの問いかけだと捉えている。

病に問いかけ続ける。

生とはその問いに答え続けること。

生自身がどう生きるか問いかけてくる。

病はマスター

あの日のお三方は、とことん自分のいのちの力を信じ、諦めずにいたからこその輝きがあった。

わたしもしぶとく生きようと思う。

魂の願いの、今生の願いを叶えるまで。

この記事を書いた人

みうら 雪絵

みうら 雪絵

Nature Therapist / Healing Practitioner / Outdoor Activist / World Traveler / Nature Photographer

人間は地球に生きる多様な生物の一種であり、自然界(生態系)における”いのちの循環”の一部です。自然界との繋がりから離れて生きてゆくことはできない存在です。
自然界と繋がって生きることは、生きる力・生命の力の根源と繋がることだと思っています。

自然界(生態系)の一員としてこの地球に生きている意味を考え、自然の理を感じながら生きるとはどういうことなのか。
今までに学んだ様々なヒーリング・セラピー・カウンセリングスキルを駆使しながら、体(ボディ)・心(マインド)・魂(ソウル)・霊(スピリット)の関係性を探求しています。

このブログには、わたしのライフスタイルを通して、わたし自身が”自然に生きて”いけるようになってゆくプロセスを綴っています。
体験したことを感じたままを表現している「人生という名の創造物」の記録でもあります。

白馬三山を映す八方池

ネイチャーセラピー

五感を使って自然と一体となるだけで、人は日ごろのストレスから解放されます。

Outdoor Activist歴30年以上の経験で培ったフィールド知識を活かして、安心して楽しく自然と触れ合うサポートをしています。

日本シェアリングネイチャー協会 公認ネイチャーゲームリーダーとして、ネイチャーゲームを取り入れた自然体験もご提供可能です。