昨年の夏から通院していた口腔外科の紹介で、愛知県がんセンターに通院することになりました。
経緯
昨年春、通院していた歯科医の先生に見つけてもらった舌の白斑。
昨夏に口腔外科を紹介してもらい検査した時には「口腔扁平苔癬(こうくうへんぺいたいせん)」と診断されました。
扁平苔癬は、白板症とに比較して癌化する率はかなり低い(1%程度)と説明を受け、治療は特にせずそのまま放置。
今年3月には「小さくなってるね」なんて歯科医の先生と話してたんです。
ところが、今年の4月になってから急成長!
むくむく育ち、キノコみたいになり、大きさはほぼ倍に。
直ぐに歯科医の先生に相談し、昨夏に検査した口腔外科にも枠を空けてもらって診察してもらいました。
かなりの大きさ(2㎝ほど・親指の爪ぐらいの大きさ)なので、切除はした方がいいとの診断。
うん。確かに。
異物感あるし、この部分だけすっぽり感覚が抜けている。
痛みは縁の部分に少しある。
でも、常時痛いわけではない。
その日の体調によって痛みは変化する。
日によっては痛くない日もある。
一番困るのは、感覚がないため食べ物か自分の舌かわからないこと。
間違って噛まないか、食べる時はとても慎重になる。
間違って患部を噛んだ時には悶絶もの。
これだけの大きさになると、食生活に支障は感じる。
その分、慎重に、落ち着いて食事するようにはなったけど、切除はした方がいいと自分でも思う。
口腔外科の先生は、切除手術はできるけれど、術後の検査で悪性だった場合、放射性治療に対応できないため、検査の段階からがんセンターに行くことをお勧めしたいとのお話。
GW10連休直前の話でした。
すぐに紹介状を書いてもらい、がんセンターに予約。
その時点での最短予約日が5/14でした。
この日を迎えるまで、相当心の葛藤がありました。
そりゃ病院の名前を見ただけ、聞いただけでもビビるよね。
それが普通だと思う。
ま、その葛藤はおいおい書くことにして、とても穏やかな気持ちで病院に向かったことだけは書いておきます。
それは諦めや投げやりな気持ちではなくてね。
前向きな覚悟というか、決意というか。
肚を据えたというか。
だって現実だもの。
受け容れざるを得ない。
紹介してくださった口腔外科の先生のお気持ちに感謝しながら、ウン十年ぶりにがんセンターの敷地に足を入れました。
初診日の流れ-予約時間の45分前受付の理由-
今やがんセンターは紹介でないと予約が取れないぐらいだよ と口腔外科の先生に言われていたので、まずは紹介状を受付へ。
紹介状とデータを取り込んでもらい、診察券を発行してもらって、診療科へ… と思ったらここで2ステップあった。
1つは薬アレルギーの登録を薬局で、もう1つはバイオバンクに協力するかどうかの話がありました。
バイオバンクとは、血液や組織などの生体試料と、その治療や検査の記録をあわせて保管・管理して、研究に役立ててもらう仕組みのこと。
今後のがんの研究素材として、協力するかどうかの話でした。
このバイオバンクに登録した情報は国内外の研究機関で活用されるとのこと。
愛知県では2017年に設立。
結構、最近のお話なんですね。
敷地内には研究棟も2棟ありますし、さすが県立がんセンターだなと思いました。
自分の検査・診察・治療の経過が、未来の誰かの助けになれば と登録をしました。
登録手順が結構しっかりしていて、アンケートは冊子になっていました。
予約時間までにとても書き切れない量なので、帰りまでに書いてくださいね ということで、そのまま一式持って移動することに。
ここまででしっかり45分。
なぜ、予約時間の45分前までに受付なのかの意味がわかりました。
忙しい人や体が辛い人は「なんで45分も前に行くんだよ!」って思うかもしれない。
わたしもそう思った(笑)
でも、こういう流れがあるからなのね と理解できました。
過去の記録に驚く!
前にもチラッと書きましたが、がんセンターに診察で実は訪れるのは初めてではありません。
がんセンターは実家の散歩圏内にあり、小さい頃は前をバスで通るのは日常でした。
さらに昔に遡ると、通っていた幼稚園からよく遊びに行った公園の向こうに見える建物でもありました。
結構身近な存在なんです。
で、身近ということもあって、中学生の時、首にしこりができ、それにビビった母親に一度連れて行かれたことがあるんです。
母親は自分の母(つまりわたしの祖母)が若い頃子宮がんを患っていることもあって、がんには過敏だったのかもしれません。
この時は、今のように紹介じゃなきゃいけない病院ではなく、近所のちょっと大きな病院的な感覚で行けたのですよね。
診察結果は、ただリンパ腺が腫れてるだけと診断され、同時に鼠径部にも同じような腫れもあるね。しばらく経って大きくなるようなもう1回来てね と言われて帰った覚えがあります。
その後、通ってないから、その腫れは引いたんでしょう(記憶にない(笑))
でね。
初診窓口で、「過去に通ったことがありますか?」と聞かれるので、正直に「あります」って言うじゃないですか。
「いつ頃ですか?」と訪ねられて、それも計算できず、「子供の頃なので覚えてないんです」とお答えしたんです。
「当時の診察券はありますか?」
「いやいや、親が持ってたと思うので、少なくとも手元にはないです」
「もし、記録があったとしても、名前も旧姓ですし、今と住所も異なります」と添えて。
そしたら、なんと!
それだけで、昔の診察券番号を探し出してくださったんです。
もう、びっくり!!
一致してるのは生年月日と、姓名の名だけのはず。
そんな古いデータも残ってるものなんですね!
今の名前と住所に変更届を出して、診察券を再発行してもらいました。
診察券番号のアタマの2ケタが初診年だとも教えてもらって、事務の方が指折り数えて何年か教えてくださいました。
何せ世紀が変わってるんで、暗算難しい(笑)
で。
35年前ですって!!!
その方と何回も指折り数えて、ホントですね!!と笑いあう(笑)
いやぁ〜
そんなに古い記録が残ってることに感動しました!
診察の結果
この日の段階での先生の診断は「舌腫瘍」。
これから「舌がんの疑い」で検査を受けることになりました。
ただ、結果がどうであれ、切った方がいいね ということで、入院と手術することは決まりました。
どんな治療方針(手術の方法も)になるかは検査の結果次第。
ということで、生体検査、MRI、CTの日程を先生と相談して決めました。
全部別の日で、ここは大きい病院ならではの難点だなぁ。
翌週が検査ウィークになっちゃった。
今日できるかぎりの検査はやっていってね ってことで、入院手術に必要な検査だけはこの日済ませました。
入院手術も4回目となると、はいはーい その検査ねって感じですね。
血液、尿、心電図、肺活量と入院の手続きを済ませて、会計へ。
午後の予約だったので、検査待ちもなくスイスイと済ませてここまで4時間。
さらに、敷地内にある東名古屋画像診断クリニックで、CTとMRIの予約もして、病院を後にしました。
親に話す
帰りがけ、あまりの懐かしさに遠回りして、幼稚園の方から帰りました。
景色が随分と変わっていたところもあって、別のところみたいでもありましたが、変わってないところは懐かしかったなぁ。
がんセンターに通うことになったじっかに経緯を話すために立ち寄りました。
入院したら近いから助けてね とお願いも含めて。
80近い両だけど、二人とも元気なので、そこは遠慮なしに甘えることにしました。
オカンは心配そうながらも、大きな動揺することもなく、「あんたも大変ねぇ〜」と。
オヤジ殿に至っては、「そりゃ優しく丁寧な対応もしてくれるさ。活きのいい研究対象が来たんだから」とデリカシーに欠けるお言葉(苦笑)
「そっかぁ〜」なんて呑気な返事もしたけど、このデリカシーに欠けたに昔は随分と傷ついてきたし、闘ってきたもんだ。
でも、それがオヤジ殿なりの反応だからね。
これしかできないんだよね。
仕方にゃい。
思っていた以上に冷静に受け止めてもらえたので、わたしは一安心。
親に心配かけたくない! は強烈なビリーフだったからね。
今回も発動して、どう話そうかかなり悩んだ。
親に感情的な反応されるのが、とことんイヤなんだよね。
そこに踊らされてきたから親の反応は正直見たくないし、できればパスしたい。
でも、本当は親の反応を見て、反応しちゃう自分の問題だからね。
親のせいじゃない と自分を見てきたから、今回は勇気をもってちゃんと話すことはできたな。
だから、親の反応が冷静で、あまりのクールさに拍子抜けもした(苦笑)
自分の中にある考え、ストーリーなんて、その程度のものなんだよね。
と、いうわけで、一番自分にとって重かった親に話すこともでき、あとは自分が自分にどう向き合うかだけ。
今回のこのことで、本当に自分とよく対話するようになった。
毎日しっかり内観や瞑想するようになり、未来への不安や心配でグラグラになっても、しっかりと「今ここ」へと戻れるようにもなった。
LPLで心のことを学び、整えてきた成果がこういうところに現れてくるんだなぁ。
まぁ、心の葛藤については、長くなるのでまた別のところに書きまーす。
初診日の話はこのへんで。