羽生結弦選手が、平昌オリンピックで金メダル連覇し、中学生棋士・藤井聡太五段が羽生善治竜王を下し六段に昇段したと、ネットやらテレビで賑やかだった2/17、我が家ではもうひとつお祝いがありました。
両親が金婚式でした。
50年前の今日、当時30歳だった父と23歳だった母が結婚した日でした。
二人は従兄弟同士なんです。
父方の母と、母方の父が兄弟なんですよね。
だから、親戚同士が非常に仲が良いんです。
ここの一族を軸に、太平洋戦争当時、満州にいたというのもあると思います。
わたしの母は満州生まれなのです。
そのことは戸籍にも残っています。
父は終戦時、7歳でした。
子供の頃、親戚のおじさんおばさん達をはじめ、記憶のある父から、満州の話を何度も何度も聞き、わたしの記憶にもその話のことは残っています。
満州でどんな暮らしをしていたのか、終戦後どうやって日本に帰ってきたのか。
母は生後1歳にも満たない赤ちゃんだったため、親戚のおじさんやおばさん達(当時は少年少女だった)にしっかりと抱かれて帰ってきたと何度も聞かされました。
これが、人数も少なく、離散して帰ってきていたら、今ここに母はいないと。
そう、中国残留孤児だったかもしれないのです。
今でこそ、中国残留孤児という言葉はほとんど耳にしなくなりましたが、わたしが10代の頃はニュースであたりまえのように聞かれる言葉でした。
もし、母が残留孤児だったら、わたしも日本人として生まれてなかったかもしれない。
元より母が生き延びてることさえなかったかもしれません。
つまり、わたしは存在していなかったかもしれないのです。
だからなんでしょうね。
わたしは小学生の頃から、自分の存在する意味をずっと問うて生きてきました。
何をするために、わたしが生きているんだろう? ってね。
わたしには直接戦争の記憶はありません。
でも、父や母や親戚のおじさんおばさん達の話から、わたしにとって戦争の話、残留孤児の話は他人事じゃなくて、すぐ隣の話なんです。
祖父母や親戚のおじさんおばさん達が、なんとしてでもという想いで連れ帰ってくれた母がいるから、今ここにわたしが存在する。
その母が、父と結婚し、わたしを生んでくれたからこそ、今ここにわたしがいます。
自分とは、様々な人の想いの結晶だと想うと、とてもじゃないけど、自分のいのちを粗末にするなんてことはできなかった。
どんなに苦しい10代の頃も、そう想うから生き延びれてこれた。
どんなに苦しくても、自分のいのちの役目を果たすまでは逃げ出さない。
ま、結局、これが自分を苦しめ原因にもなったのかもですが、こうして両親の金婚式を迎えると、やっぱりこのいのちがここにあることがそもそも奇跡なんだと思うわけです。
両親からみれば、自分たちができなかったことやたくさんの期待を寄せたかもしれませんが、祖父母からしてみれば、いのちが継がれているだけで充分だったんだろうと思います。
だからなんだろうなぁ。
母方の祖父母には今でも守られてる感覚があるんですよね。
生きているだけで感謝されてる。
そんな感覚が自分の中にあるんです。
こうやって、両親が健康で金婚式を迎えられて、一番喜んでいるのは、母方の祖父母なのかもしれません。
そして、両親の結婚記念日は、わたしにとっても感慨深い日なのです。
本人たちに「おめでとう」って言いに行ったら、父は地域の会議で不在だし、母は「あんたよく覚えてるわね」って笑われましたけど(笑)
ま、それぐらいでちょうどいいのかもしれません。
両親が結婚50年ということは、わたしも今年で50歳になります。
数字見るとギョッとしますが(笑)、ようやくわたしも自分自身の人生を歩きはじめました。
引き継がれてきた“いのち”を大切にしながら、自分の使命を自覚し、この“いのち”を未来へ繋いでいきます。
それを改めて、両親の金婚式に思いました。
たくさんの出来事を重ねて、この日を迎えたこと、ただただ感謝と尊敬の念しかありません。
その月日の重みは、自分がその日を迎えるまでわからないんだろうな。
わたしたち夫婦は昨年、その半分の25年に達したところ。
この先の25年で何を創造していくのかな。。。
でね、大事なのはここから。
いのちの重みはみんな同じだよってこと。
自分の“いのち”は脈々と繋がれている“いのち”の流れの一点。
でも、止めてしまってはこの先流れていかない。
“いのち”は脈々と繋がれていくもの。
今ここに“いのち”がある(存在する)のは生かされているから。
生きていることだけでも意味がある。
そして、生かされていることにも意味がある。
その“いのち”の使い方を決めていくのは自分なのですよ。
繋がれ、与えられた“いのち”をどう使っていくかは自分で選ぶことができるのです。
あなたはその“いのち”をどう使いますか?
わたしはどんな“いのち”も、無意味なものはひとつとしてないと心底信じています。
人のいのちも、植物のいのちも、動物のいのちも。
そして地球のいのちもね。
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