宇宙はなぜ地球という星を作り、人類という生物を創ったのか。
瞑想していたらそんな問いが立ったので、自分なりに深めてみた。
そもそも地球という存在は「奇跡」とも言われています。
太陽からの微妙な距離感のおかげで、水が液体として存在し、様々な物質のバランスが取れているから、こんなにも生物が繁殖する豊かな星になったとも言えます。
地球が進化する過程で生まれてきた様々な生物たち。
そこに知恵を持つ生物として存在を許されたヒトという生き物。
もし、宇宙に意志があるならば、なぜ地球にヒトという生物を作ったのでしょうか。
きっと、宇宙は知恵を使える生物が何を為すのかを見たかったのだろうと思うのです。
ヒトの知恵がもたらすのは、地球という奇跡の
星を豊かに生かしていくことなのか、それとも滅ぼすことなのか。
もしくは全く違うことなのか。
宇宙はそのプロセスをただ見てるだけなんだろうな。
ならば、わたしは宇宙の想定を裏切りたい。
宇宙を驚かせたい。
へぇ〜! こんなことになったんだ! ってね。
ヒトはそれだけの力がある生物だもの。
ヒトが持ってる知恵は、ヒト自身が考え得る世界を超える力があると思うもん。
そう。
今、こうなるんじゃないか と言われている地球の未来の姿を超えたところへ、向かっていくとわたしは考えている。
今の地球の姿に大きく関与したのは、間違いなくヒトである。
これだけ地球環境を短期間に変えたのは、間違いなくヒトの営みの影響だ。
でもね、これだけ劇的に変化させるだけの力を持ってるんだよ。
その使い方が、偏り過ぎているだけ。
シーソーのバランスが、片方に寄り過ぎているだけ。
わたしはそうだと思っている。
わたしの好きな言葉に、『人類は未熟である』というのがある。
人類は未熟だから、今は地球をこんな姿にしてしまった。
だけれど、その危うさに気づいた人たちが、反対の方向へバランスを取り始めている。
それは日々大きくなり、地球環境のことを気にしている人は日増しに増えていってるはず。
人類は未熟だから、変えていくだけの力=知恵・叡智を、シーソーを今の反対側へと傾かせ、バランスを取る方へと使うはず。
地球は宇宙の実験場なのだ。
人類という、知恵を持った生物が、自らが生きる場所の環境が悪化していく時、何をするのか。
何を為していくのか。
わたしたちは宇宙に試されている。
ならば、わたしはどうする?
人類にはシーソーを今ある姿から反対側へ傾ける力があると信じ、支援していく側になる。
宇宙の想定を鮮やかに裏切りたい。
そして、こんなんになっちゃいました! と笑いたい。
起きた現実、今ある状態を責めません。
悲観もしません。
この状態がなければ、人類は自らがやってきたことに気づけなかったわけだから。
ここからどうするか。
人類の力をただただ信じて、サポートする側になるよ。
だって、人類ってすごいんだもん。
わたしはその力を知ってるよ。
見てろよ、宇宙。
へぇ〜〜〜! と言わせてやる。(笑)
わたしのいのちは、そのために今ここを生かされている。
地球という星に生きる生物として、この星の“いのち”に、自分のいのちを捧げるぜ。
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