時には雲で自らを隠し見えなくさせてしまうかもしれないけれど、見上げればいつもそこに広がっている澄んだ青空のように生きてゆきたい。
岡部明美さんのびわ湖ワークショップを終えたいま、そんなふうに自分の人生を感じています。
ほかにもさまざまな変化が自分の中で起きています。

落ち着いて、素直に生きている

自分本来の姿が出てきている気がします。なんというか、無理なく自然体な自分を開放している感覚。開放・・・というか、開いてる感じ。
気張らず、力みがない。
ビリーフを手放せたからでしょうか、素直な自分でいてもいい、自分の心の反応をストレートに出してもいいという安心感があります。前はもっと抑えていた感覚があるんですよね。
自己主張の強い私ですが、それが落ち着いたというか、自然に力が抜けてる感じ。思えばワークの中で出てきた「力を抜く」という言葉。私にも意味があったんですね。

素直な自分への相手の反応も気にならないです。どんな反応されても、そっかそっか、そうなんだね~とまっすぐ受け取っています。だから、こんなことすることに抵抗がなくなりました。

誕生日を祝う気持ちになれた

これが一番不思議です。Facebook等で自分の誕生日を公開する気に全くなれなくて、家族にさえ祝ってもらえればいいや と思っていたのです。どこかで知ってる人には祝ってもらいたいと思いながらも。
過去に公開していたこともあったんですが、返信が面倒だし、なんか素直に受け取れない自分を感じて止めてしまったんですね。

それがですね、逆になりました。

誕生日を公開してもいいや! という気持ちと、誰も祝ってくれなくても、興味を持ってくれなくても全然OK! 私が自分で祝うんだも〜ん♪ と思っているんです。いま。

もちろん他人の誕生日も心から素直にお祝いできるようになりました。
前はちょっと面倒だなぁと思っていたんですよね。

心の深いところから自然にあたたかい気持ち、「おめでとう~」という気持ちが湧いてくるんです。不思議だー。
どれだけひねくれてたんだ、自分 と笑えます。

セキュリティの問題もあるので、SNS上で公開するかは?ですが、いま周りでみなさんがやっている「欲しいものリスト」の公開を・・・でも欲しいものないんだよな私。
しいていえば、東京に通う交通費が欲しいです。(笑)

実名、顔出ししてもいいかな??

これからガイド業などをするにあたって、実名で活動しようとは思っていたので、大きな変化ではないんですが、そのタイミイグがきたのかな、とちょっと思っています。
実は、自分の名前が嫌いでした。
でもいまは愛おしく感じられます。父と母が想いを込めてつけてくれた名前ですからね。

「存在するだけでいい」と深いところから思える

アドラー心理学でも学んだし、よーくわかってはいますが、どこか「そうだよね」と自分で噛み締めながら思い込ませていた感があります。アタマで意識していた と言えます。それが、自分の深いところからそう思えていると実感できるんです。
だから、他人なさまざまな言動に心がザワつきません。落ち着いていられます。

たとえば、子供が勉強をせずに遊んでばかりいる時、前なら心のザワつきを抑えこんで、そう思おうとしていたのが、今は全く違和感なし。正直、遊んでいることが気にならない。寝ていても、テレビしていても、ザワザワしない。前はあった気持ちを抑え込んでる感触もない。無視してるとかではなく、穏やかに見ていられる。見ている? いや、何しているか、そもそも気にならない。「いる」んだなぁ と、ただ存在を認識しているだけなんです。
存在を感じているだけなので、行動にジャッジもしていません。
前以上に何も言わなくなったので、子供はやりたい放題ですね。(笑)

これは子供だけではありません。家族、友人も同じ。
以前は気になるし、その言動に私の価値観でのジャッジが入っていました。
それがなくなりました。
ふ~ん。この方はこういう言動をするんだ とまっすぐ、ただ受け容れているだけの自分がいます。すごく不思議な感覚です。

自分の「強み」はこれなのかな?

これが一番の収穫なのかもしれません。
「強み」について話しあうワークがありましたが、自分ではどちらかと言えば、「ない」と思っていたものが「ある」と言われました。
「受容力」「母性」「感性」
感性はもしかしたら人より過敏かもとは思いますが、「受容力」と「母性」は人並み以下だと思っていました。
それを「ある」「すごい」と言われてしばらくは「本当?」と真っ直ぐに受け取れずにいました。
でも、1人ではなく、複数の方に言われたことで、もしかしてこれが「強み」なのかも? と思いはじめています。
よく「ない、ない」と思うものこそ、「強み」だと言われますが、それがこれらなのかなぁと。
まだ半信半疑ではあります。
でも、あの場で言われたことだから信じられる。そうも思います。

私の『火花散る一瞬』が垣間見えた

あけみちゃんのワークショップに参加するずっと前から考えていた私が生まれてきた意味。
まだはっきりとした形はありませんが、なんとなく輪郭は見えてきました。

あけみちゃんは、人生のミッション・ビジョンはアタマで考えてもムダ。自分のいのち・魂が喜ぶことがミッションであり、ビジョンである と教えてくれました。
私の魂が喜ぶこと、いのちが輝いてると思えることはやっぱり「自然」の中にある とワークショップに参加した3日間で改めて実感しました。山や森の中にいる時、そのことを考えている時、私が一番自然体でいられるのです。
あの解放感、歓びをいろんな人に体感してほしい。そして自然・森の力を使って、自らのいのちの輝きに気づき、本当の自分を取り戻して欲しい。それがわたしの『火花散る一瞬』=人生のミッション のような気がします。

その『火花散る瞬間』を見極めるために次のステップへの歩みも決めました。
あけみちゃんの主催する「LPL養成講座」を受講しようと思っています。
この歩みの先に何があるのか、見てみたい。
ひとつ感じているのは、これからいろんなことが加速していきそうな予感。人生のフローに乗れる予感がしています。

岡部明美の「第9期LPL養成講座」のご案内

 

 

この記事を書いた人

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みうら 雪絵

Nature Therapist / Healing Practitioner / Outdoor Activist / World Traveler / Nature Photographer

人間は地球に生きる多様な生物の一種であり、自然界(生態系)における”いのちの循環”の一部です。自然界との繋がりから離れて生きてゆくことはできない存在です。
自然界と繋がって生きることは、生きる力・生命の力の根源と繋がることだと思っています。

自然界(生態系)の一員としてこの地球に生きている意味を考え、自然の理を感じながら生きるとはどういうことなのか。
今までに学んだ様々なヒーリング・セラピー・カウンセリングスキルを駆使しながら、体(ボディ)・心(マインド)・魂(ソウル)・霊(スピリット)の関係性を探求しています。

このブログには、わたしのライフスタイルを通して、わたし自身が”自然に生きて”いけるようになってゆくプロセスを綴っています。
体験したことを感じたままを表現している「人生という名の創造物」の記録でもあります。

白馬三山を映す八方池

ネイチャーセラピー

五感を使って自然と一体となるだけで、人は日ごろのストレスから解放されます。

Outdoor Activist歴30年以上の経験で培ったフィールド知識を活かして、安心して楽しく自然と触れ合うサポートをしています。

日本シェアリングネイチャー協会 公認ネイチャーゲームリーダーとして、ネイチャーゲームを取り入れた自然体験もご提供可能です。