電車の中で見かけた老齢のご夫婦。
じっとその様子を見ていると、奥様はしきりに何かに対して文句を言っていらっしゃるよう。
隣にいらっしゃるご主人は知らぬ顔で、景色を眺めていらっしゃる。
あまりに奥様の勢いが止まらないので、やがてご主人が怒った口調で奥様に何かを言い出しました。
こういう光景って、よく見かけませんか?
もしかしたら、昨日やってたばっかりだよ。 という方もいらっしゃるかも。
わたしも、心の学びを始めるまでは、よくやってました。
家でも、会社でも。
『〇〇は△△だから□□なのよ!』
たいてい、〇〇には他人の名前が入るんじゃないかと思います。
それはお隣にいるご主人、もしくはそこにはいない第三者かもしれません。
こうやって自分ではない誰かのことに文句を言い、責めてしまっている時に、こう自分に問いかけてみてください。
『その時、わたしは穏やかですか? 緩やかな気持ちですか? 幸せを感じますか?』
まぁ、たいていの人は、『そんなわけないじゃん!』って言うかな?
わたしだって、他人のことをブリブリと文句言ってる時に、穏やかでいられません。
緩やかさを自分に感じません。
幸せも感じません。
下手したら鼻息荒くて、争い寸前です。
ても、ここ。
これが、ポイントなんです。
自分でない誰かのことを責めてる時って、自分にとって、穏やかで、緩やかで、幸せを感じない時なんです。
もちろん、誰だってこんなときもあります。
人間ですから。
わたしだって、プリプリと誰かのことを言いたくなる時もあります。
でも、それが多い人、よく言ってる人、口にしてる人って、幸せなのかなぁ〜 って思ってしまいます。
幸せを感じる基準って、自分の中にあるんですよね。
何かをやったら幸せになれるとか、何かを手にしたら幸せになるとか、そういうものじゃないと思うんです。
どんなことも、どんな時でも、その瞬間を「幸せ」と感じられるかどうか なんです。
誰かのことを責めたくなった時、そこに「幸せ」はありますか?
「〇〇は△△だから」と言っている、△△は自分の中の条件づけ、定義です。
「△△だから□□になる」と思っているその条件は、自分に「幸せ」をもたらすものでしょうか?
この「△△だから」がもしなかったら?
誰かを責めることはなくなるかもしれませんね。
そしたら、イライラもせず、穏やかで、緩やかで、幸せでいられるかも。
誰かのことを文句言いたくなったら、「△△だから」と相手に貼っている「ラベル」を見極めてみると、意外な発見があるかもしれませんね。
今日も「幸せ」で「穏やかな」1日でありますように。