激しく感情が動いたのはいつぶり?!
先日珍しく、激しく感情が動きました。
とある人と話している時に、なんともいえないざわつき、不快感、嫌悪感を感じることがあったのです。
ここしばらく感じたことのないような大きな感情の動きで、自分が動揺していることがわかりました。
「あー!もうこの続きは聞きたくなーい!!!」
以前なら、シャッターを下ろすように、ガラガラ ピシャッ!と心を閉ざしていたパターンです。
でも、今回は動揺しながらも、「相手の何に反応してるんだ私!」と自己観察もしていました。
投影ってやつですね。
「相手は自分の鏡」ってヤツです。
激しい感情に揺られながら、自分を客観視しようと必死でした。
この何ともいえない感情は何なんだ!と自分に問いかけてました。
結局、この時はいっぱいいっぱいでわからなかったのですが、後から冷静になって考えると、この時感じていたのは「怒り」のようでした。
ほぅ。
わたしは怒っていたんだ。
そう思ったら、ニヤニヤしてきちゃいました。
怒りの感情を封印して生きてきた
わたしは長い間、「怒り」を封印して生きてきました。
長い間って、ほぼ人生まるまるです。
自己探求をしていく中で、かなり小さい頃(おそらく3歳頃)に感じた、親への「怒り」をそのまま表現できなかったことを知りました。
カウンセラーの方に「そこは怒っていいところでしょ?」と言われたのが、大きな気づきとなりました。
そっか、あの時感じていた戸惑いの感覚は、「怒り」を怒りと表現できなかった戸惑いだったのか。
ここで起きた小さな誤解が引き金となり、その後、「怒り」を感じ、そのエネルギーを発することが怖くなっていき、いつしか「怒り」を感じなくなってしまった・・・というよりも、感じても表現しなくなってしまったのです。
心理学的に言うと、「怒り」は二次感情といったり、感情的反応といったりします。
つまり、「怒り」を感じる前に感じている別の感情があることが多いのです。
わたしの場合、「怒り」の下には「淋しさ」「悲しさ」といった感情があったことを知りました。
「淋しさ」「悲しさ」といった感情を感じたくがないゆえに、「怒り」を感じることも封印してしまっていたのです。
「怒り」の下にあった「淋しさ」や「悲しさ」の感情をしっかりと感じ直し、そこで本当は何を感じていたのかを自分の中から蘇らせました。
その時のニーズをしっかり認識し、その時感じていた「淋しい」「悲しい」といった感情を終わらせました。
本当の感情ってね、しっかり感じると流れていくんですよ。
川の流れのように、静かにね。
「淋しい」「悲しい」といった感情が流せたので、その後「怒り」の感情を感じることを許しました。
だからね、今回は、自分が怒っていたことを自覚できて嬉しい。
嬉しいっておかしいかもしれないけど、今までこういった「怒り」を感じた時には、自分を抑えこんでいたわけだから、怒っていると自覚するどころか、わたしは怒ってもなんかいない! と自分の感じていることを否定していたんです。
それが今回はちゃんと怒っていると感じることができた!
もうニヤニヤせずにはいられないんですよ。
感情に揺さぶられながらも、不快感を相手に伝えることもできた
しかも、今回は相手には不快であることを伝えることもできたんです。
感情のまま伝えるのではなく、相手がなぜそういう話したのかを思いやって、言葉を選んで伝えました。
ちょっと言葉尻はキツかったかもしれません。
表情も絶対穏やかではなかったはず。
それでも、相手の気持ちをちょっと考えただけで、感謝の気持ちが湧いてきたんです。
だからその気持ちをそのまま伝えました。
「ありがとう。わたしのことを想ってくれてなんだね。それだけで嬉しいよ」
それがその時は精一杯でしたけどね。
でも、以前なら怒りのままシャッターを降ろしていただろうに、相手に「ありがとう」って言えた自分、エライ!
その後別れてからもどうしても落ち着かず、あまりに気分が乱れてしまったので、その後の予定を変更して近くの森へ行っちゃいました(笑)
木々に囲まれてるとホント落ち着く〜
おかげさまで、すっかり沈静化して、次の予定に向かうことができました♪