木のいのち 木のこころ「天」/西岡常一 著【読書録】法隆寺の宮大工に伝わる口伝と棟梁の自然観に学べ 二千年を越えて生きる命を想う

法隆寺の棟梁であった西岡さんは、法隆寺の昭和大修理、法輪寺三重塔の再建、さらに薬師寺伽藍の再建に携われた宮大工でした。

西岡さんが語られた話を聞き書く形で綴られており、読んでいると西岡さんが語りかけているような温かみと、棟梁としての厳しい眼差しを感じました。

法隆寺の宮大工に伝わる口伝に唸る

『堂塔建立の用材は木を買わず山を買え』
『木は生育の方位のまま使え』
『堂塔の木組みは木の癖で組め』

本書の中で繰り返し繰り返し書かれているこれらの言葉は法隆寺の宮大工に伝わる口伝です。
法隆寺や薬師寺を建てた、飛鳥時代・白鳳時代の大工たちから脈々と伝わっている教えです。

法隆寺といえば、現存する世界最古の木造建築物群。
法隆寺は創建後に火災にあって再建されていますが、この再建からでも1300年は経っています。

つまり1300年もの間、大工たちに語り継がれてきた教えなのです。

本書の中で、西岡さんが意味を解説していますが、これがとにかく深い。

山を買え

『堂塔建立の用材は木を買わず山を買え』

これは、木が切られて製材になってしまうと木の生育環境がわからなくなるから、山ごと買って育った場所や環境を見極めてからどこに使うか考えよ。ということなのです。

『木は生育の方位のまま使え』
『堂塔の木組みは木の癖で組め』

木は育った場所や環境によって個性があるから、それをそのまま生かせと伝えています。

山の斜面南向きで育った木は大きく太い枝が伸びる。だから節が多い。
北向きに育った木というと枝が少なく節が少ない。

その生育の方位のままに、山の南に生えていた木は堂や塔の南側に使い、北側には山の北に生えていた木を、東には東の木、西には西の木を使え と。

実際、法隆寺や薬師寺などではこの口伝に従って、山の南に生えていた木が堂や塔の南側に使われ、北側には山の北に生えていた木が使われているそうです。

その証拠に、堂や塔の南側の柱には節が多く、北の柱にはほとんど節がないそうです。

また、風当たりの強いところに育った木の枝は、風に押されて風下側に流されたように育っていきます。
そうすると木自体が風下側へと捻じれてゆく。
木は元に戻ろうとするので、反対側・風上側へ捻じれを戻そうとする性質(癖)ができる。

この捻じれを戻そうとする木同士を反対、つまり、右へ捻じれようとする木と左に捻じれようとする木を組み合わせて、部材同士の力で癖を封じ建物全体のゆがみを防げというんです。

この癖を山で見極めず、右へ捻じれようとする木同士を組んでしまうと、建物自体が捻じれてゆがんでいく。

この3つの口伝の話を読んだだけでも唸ってしまいました。

木が育った場所や環境を見て癖を見抜き、その生育環境のままに堂塔建立に使え、そのために山で木を見よ。

なんていう教えなんだ。

法隆寺の大工が教えてくれる「心」

法隆寺が千年もの長い間、傾きや崩れなどなく真っ直ぐに建っているのは、大工に伝わるこんな教えがあってこそだと思いました。

逆に言えば、法隆寺を建てた大工たちはこういったことを、もっと前から知っていたということです。

法隆寺が建てられるよりも、さらに前からこういったことを体験から学び、知識としていたということ。

これってすごくないですか?

古来から伝わる教え、知恵といったものには意味があるし、侮ってはいけない、と改めて思いました。

古来の智恵を学び、忠実に守り、それを後世へ伝えてゆく。

何かとても大切な「心」がここにあるような気がしました。

棟梁の自然観に学ぶ

法隆寺の木はまだ生きている

西岡さんは、法隆寺の「昭和の大修理」に棟梁として解体・修理に携り、これらの口伝を目の当たりにされたそうです。

法隆寺には樹齢千年を越す檜が使われています。

木として千年生き、建物となってさらに千三百年生きる。

しかも、さまざまな風雪に耐えても、その姿は千三百年前と同じ。
乱れがない。
傾いたり、朽ちかけてるわけでなく、千三百年前のままの姿を今に伝えています。

西岡さんによれば、鉋(かんな)をかけてやれば、今でも品のいい檜の香りがし、瓦をはずしてやれば反りが戻ってくるそうです。

『法隆寺の木はまだ生きている。』

教科書に出てくる字面だけを見てると、ふーん1300年前ねって思うだけですが、実際に法隆寺の解体修理に携れた西岡さんにこう言われて、鳥肌が立ちました。

ふたつの「命」

西岡さんは木にはふたつの命があると言います。

ひとつは木の命としての樹齢、もうひとつは用材とし生かされてからの耐用年数です。

千年の木なら、建物としてさらに千年生かすようにする。

この「ふたつの命」の寿命を全うするようにするのが大工の役目。

そうでなければ木に申し訳が立たない。

自然に対する人間の当然の義務だと言い切ります。

『木は大自然が生み育てた命ですがな。木は物ではありません。生きものです。人間もまた生きものですな。木も人も自然の分身ですがな。この物言わぬ木とよう話し合って、命ある建物に変えてやるのが大工の仕事ですわ。』

たった一本の木であっても、種が播かれ、芽を出し、仲間と競い合って大きくなり、育ってゆく。
育った山はどんな山であっただろう。
日当たりは?
風はどこから吹いていた?
そんなことに想いを馳せて、その自然のままに木を建物に変え、できるかぎり命を永らえるように建てる。

そこには木を育ててくれた自然に対する感謝の気持ちがあるからできること。
空気も、水も、大地も、どれもあたりまえにあるものではなく、それがなければ命は育たない。
その命を使わせてもらっている。

これは大工さんだけではないですね。
わたしたち人間は、地球という星の上で同じように生きている命、木だけでなく、植物・動物たちの命を使わせてもらって生きています。
その命への感謝の気持ちと、使わせてもらった命を別の形で永らえるようにしてやる。
そんなことを法隆寺の大工さんに伝わる口伝から学べると思うのです。

神々の木 二千年以上生かされている木を想う

いまの日本には飛鳥時代や白鳳時代に寺院建築などに使われた樹齢千年を越す檜は存在しないそうです。

伊勢神宮の遷宮に使われ、日本の檜の名産地といわれている木曽の檜でも、いまあるのは大きくても樹齢500年ほど。

伽藍作りにはこれだと長さも太さも足りないそうで、地球上に唯一、樹齢二千年を越す檜が現存する台湾へ、薬師寺再建のために山を見に行かれたそうです。

その時にことを、西岡さんはこんなふうに表現されてました。

『今から二千年、二千五百年といいましたら神代の時代でっせ。(中略)
実際に台湾の樹齢二千年以上という檜の原生林に入ってみましたら、それは驚きまっせ。それほどの木が立ち並ぶ姿を目にしますと、檜ではなく神々の立ち並ぶ姿そのものという感じがして、思わず頭を下げてしまいますな。』

『金堂の柱を作るときに、こうした樹齢二千年の木をもってきまして四つに割って四本の柱を取りました。この木はすばらしかったですな。(中略)第一、触り心地が違いますし、木の力というものを感じますわ。』

二千年も生きている木。
どんなだろう・・・
機会があったら原生林に行ってみたい。

それよりも、まず薬師寺の金堂に行って、この柱を感じてみたい。

法隆寺も同じくです。

仏像好きとして、奈良は好きなお寺が多く、中でも法隆寺はとくに好きなお寺で、何回も足を運んでいますが、こういう見方をしたことはなかった。

法隆寺の西院伽藍には意味もなく惹かれるんですよ。

でもね、今回この本を読んでよくわかりました。

わたしは無意識に法隆寺の木たちに惹かれていたんです。

同じように薬師寺の東塔にもものすごく惹かれるんですよね。

千年以上大地に根付いて生き、さらに千三百年建物として『今も」生きている木たち。

二千三百年を越えて生きる命。

近いうちに会いにいきたくなりました。

今度行ったら、この木を生かしてきた宮大工さんたちの心も感じてきたいと思います。

木のいのち 木のこころ

『木のいのち 木のこころ』は、西岡さんが語った〈天〉の巻、西岡さんの唯一の内弟子小川三夫さんが語った〈地〉の巻、小川さんが主宰する鵤工舎の若者19人へのインタビューをまとめた〈人〉の三部作になっています。
以前は分冊でしたが、いまは一冊の文庫版にまとめられています。

著者の西岡さんはすでに他界されてますが、薬師寺の伽藍再建がドキュメンタリー映画となって、在りし日の西岡さんの言葉を直接聞くことができます。

西岡さんの著書は他にもたくさんあります。
今度はこれを読んでみたいですね。

心理セラピー
カウンセリング

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