マインドフルネスという言葉が身近になりましたね。
でも、マインドフルネスってどういうこと?
わかったような、わからないような・・・
そのマインドフルネスを広めたのが著者、ティク・ナット・ハンです。
ティク・ナット・ハンは禅僧ですが、マインドフルネスは宗教を越えて、広く世界で実践されています。
その理由が本書を読んでわかったような気がします。
「今ここの現実に対して目ざめた意識でいる」ということを「心をとどめる(マインドフルネス)」という言葉で表すことにしましょう。
マインドフルネスというと「瞑想」を想い浮かべますよね。
「瞑想」というと、座禅を組んで、マントラを唱えて、うんぬん。ちょっとかたいイメージがあります。
でも、ティク・ナット・ハンはマインドフルネスについてこう書いていました。
たえず仕事に集中し、どんな状況にもうまく対応できるように注意をおこたらない
-これこそが心をとどめること(マインドフルネス)なのです。
ティク・ナット・ハンのいうマインドフルネスは時や場所を選びません。
どんな時も、どこにいても、何をしていても、「今ここに対して目ざめた意識でいる」ことこそ、マインドフルネスだと説いています。
一瞬一瞬に心をとどめて生きていく。
その方法として、呼吸をたどり、意識を集中させる。
呼吸はいのちと意識、体と心をつなぐ架け橋
「呼吸」という誰でもあたりまえに行っていることに集中するというわかりやすさと、それがもたらす「やすらぎ」の効果が、世界中で実践されている理由なんじゃないかと思いました。
「心をとどめる(マインドフルネス)」とはどういうことなのか、どう実践すればいいのか、1冊にわたって綴られています。
仏教的な考えや解説も最低限しかないという印象でした。
というのも、この本は手紙が元になっているからなんでしょうね。
ベトナム戦争という苦難の中でも、呼吸をたどることで心の集中をつちかうこと(マインドフルネス)を忘れないように と、ティク・ナット・ハンが亡命先のフランスから親友に宛てた手紙なんです。
これが英訳され世界に広がったのが本書なのです。
ティク・ナット・ハンの慈しみにあふれた、とてもとてもやさしい言葉たち。
読んでいくうちにひとつひとつの言葉が沁みてきて心穏やかになっていく、まるで自分に向けて書かれた文のようでした。
読んだあと、この記事を書きながら「気づき」がありました。
山や森を歩く時は知らず知らずにマインドフルネスになっていたんですよ。
登る時は苦しいので呼吸に意識はいってるし、歩くことにしか集中しない。
森や稜線で休憩する時は全身で心地よさを満喫します。
ティク・ナット・ハンが説いている「歩く瞑想」にかなり近く、もっともっとゆっくり歩けば、そのまんま「歩く瞑想」になるなぁと。
森でセラピーをやっていくときには、マインドフルネスをぜひ取り入れてみようと思います。
ティク・ナット・ハンは
週に1度マインドフルネスな1日を送るようになれば、3か月後には大きな変化があるだろう、やがてその影響は他の6日にも及び毎日がマインドフルネスになるだろう
と書いています。
未来へも過去にもとらわれない、今このときを「生きている」と実感できるマインドフルネスな日々。
日常生活でもマインドフルネスを取り入れていくと、「日々のとらわれ」「心乱されること」はいずれなくなるような気がしました。
<参考までに>
和訳されたタイトルには「マインドフル」と書かれていますが、原著には「Mindfulness」と書かれており、翻訳する時にあえて「マインドフル」としたことが、訳者あとがきに記されています。本書内は「マインドフル」という訳語に統一されています。
【最後に】
座右の銘にしたいくらい素晴らしい本なので、どなたにも読んで欲しいのですが、実は絶版でAmazonでもかなりの高値です。
私は図書館で借りて読むことができました。
カーリルのリンクを貼っておくので、ぜひお近くの図書館で検索してみてください。