2023年末。
今までに考えたこともなかった言葉が自分の中に湧き上がってきて、戸惑いながらも、その道を歩むのだなと 思ってから1年。
2024年を振り返ります。
2024年大晦日の印象
2024年を振り返ってみると、まず印象の残っているのは、とにかく多忙だったということ。
私は「忙しい」という言葉があまり好きではなく滅多に使わないのだけれど、今年、特に下半期は本当に忙しかった。
文字どおり、心を亡くしてしまうほどに。
「忙」という漢字の成り立ちを調べるとわかるのだけれど、「落ち着かない」という意味が含まれているんだよね。
いや、ほんとに、落ち着くことがなかった。
と、今感じています。
真夏以降は何度か体調も崩し、3回も寝込むことに。
今思い返してみれば、食事がおろそかになっていって、手軽に食べれるものにシフトしていってしまったので当然と言えば当然の結果なんですけどね😅
2度目に体調を崩した10月下旬、寝込んで全ての行動を止めてみて気がついた。
あれ?
私、楽しさを感じてない…
歓びがない…
自分と繋がれてない…
自分と深く繋がれる時間を持てていない…
文字どおり忙殺されて、全然自分とつながれてなくて、
自分が何をしたいのか、
何が楽しいのか、
どんなことに歓びを感じるのか、
それさえもわからなくなっていました。
感じられる心が亡くなってしまっていました。
もうね。
愕然…
呆然…。
忙しさのあまり、
自分を楽しませること、
歓ばせることを忘れてる。
その時間が取れていない…
あー
これ、ダメなヤツ。
このままいくとアカンやん…
寝込みながら、そのことに気づいてしまいました。
回復して、これじゃいかんと思い直して行動を変えたものの、12月にもさらに体調を崩しました。
これはからだが完全に止めに入っている。
そう思いました。
今のままではもうダメ。
無理。
やり方を変えた方がいい。
限界を知らされました。
しかもその”限界”は今までと同じではない。
年齢的に、肉体的な限界があることを実感しつつあったので、それをしっかりとわからされてしまいました。
能力的にはできるんだけど、肉体的についていかない…
できると思うアタマ(思考)と、いやいやそれはできないよと言うカラダと。
人には許容量・キャパシティというものがあると思うのですが、その限界値が小さくなってきたというか、できないことが増えてきたというか。
年を重ねるってこういうことなんだろうな🙄
それが悪いとは思いません。
それが現実だから。
それをただ、そうなんだなぁと受け止めています。
高熱で寝込みながら、その変化を受容する時間になりました。
思うところがあって、今年は今までとは違うやり方にいくつかチャレンジしていたのだけれど、その中でどうも合わないものがあるということにも気づきました。
失敗とは思わないけれど、やってみたからわかった、自分には合ってないという結果。
その「合わない」と思ったものは、精神的な負荷をかけていたようで、想像以上に私を追い込み、結果として体にも負荷をかけてしまったようです。
チャレンジしたけど、今の私には合わなかった。
楽しみや歓びがなくなってしまって、そのことにも気づかされました。
「できるから、やる」と強行するのではなく、「できる能力はあるけれど、やらない」を選択する。
そういう選択肢もあるだなぁ。
そんなことに気づいた3度目の寝込み期間でした。
楽しさや歓びを感じられないという感覚は、体調が回復した今もあります。
でも、これはもしかしたら、今までとは違うところにも、楽しさや歓びがあることに気づくために起きているのかもしれないとも思えています。
一旦 何も感じられなくなったところから、小さな、繊細な感覚に意識を向けてゆく。
今までには感じていなかったこと、方向へ、変化してゆく変換点にいる気もしています。
8年前もこれと同じ景色を見ながら、人生の舵がゆっくりと切られてゆく感覚を味わっていました。
今もまた、この先の未来図は全く見えないのですが、同じように、ゆったりと舵が切られている感覚があります。
下半期での気づきを通して、「閉じる」「終い」という言葉が浮かんできました。
自分には合わないもの、向いていないものは終わらせていくタイミングなのかもしれません。
しかも、より多くのものを閉じ、終うんだなという感覚なんですよね。
終わりがあれば、始まりがある。
何かが閉じられ、終うことで、何かが動き出す。
動き出し、始まっていくこと以上に、「閉じる」「終う」ことが多いんだなという感覚ですね。
これは今までにない感覚です。
2023年末に湧いてきた言葉の方向へ集中していく…
そういうことなのかもしれません。