息子が今のように、朝起きれない(起立性調整障害っぽい)状態になったのは、何を見せてくれているのだろう?とずっと考えてる。
どんな体験も、プロセスも、起きてくるべくして起きてくるからね。
彼にとっては、学びの機会ではもちろんあるけれど、わたしにとってはどんな学びの機会なんだろう?
思うに、受容力、“いのち”を信頼する力を試されてる気がすごくする。
どんな自分でもOK、大丈夫!
と、自分には言えていても、他人にはどうか?
援助職として、トコトンできるのか?
想いはある。
「どんなあなたでも大丈夫! 受け容れるよ」
って言えるし、想うんだけど、息子のことでそうでもなかったことがよくわかった。
息子の行動にめちゃくちゃ反応している自分がいて、ストーリーに巻き込まれていた。
これ、反応してるってわかってても、反応してる時は止めようがないのよ。
時間が経って、冷静になって、その時の反応を思い返してみてはじめて、ストーリーに巻き込まれていたこと、止めようがなかったことがわかった。
まだまだ自分の中には見るべき“反応”があるんだなぁ。
息子と話しているとこの“反応”が自分の中にある“怖れ”で発動しているのがよくわかる。
だって、わたしの“怖れ”“ストーリー”であって、彼はそんなことこれっぽっちも思ってもいないんだもの。
息子の話聴いてて、「これ、わたしの“ストーリー”じゃん!」て、背中で冷や汗かいてる(笑)
親の“怖れ”“ストーリー”で子供の可能性を潰してしまうことはしたくない。
どんなあなたでも大丈夫。
あなたの中の“いのちの輝き”を信じる。
あなたの“いのち”が生きようとする力、感性をとことん信じきる。
今回のことで、それがどういうことなのか、学ばせてもらってます。
今見るべきテーマ(反応)を浮き彫りにさせてくれて、本当に有難い。
ただ、これは顕在意識(わかっている領域)ではない気もしている。
セルフワークでは限界を感じるからね。
だから、自主トレでクライアントをしっかりやってきます。
ということで、この三連休も心の学び三昧の東京滞在です。
セッション相手がたくさんいるってホント有難い。
何が出てくるのかなぁ〜
超楽しみ(笑)
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