今ここにある”未来”に気づいた
大晦日から元旦にかけて、年越し蕎麦を食べて「生さだ」を見ながら夜更かし。
年越しの時だけの特別な時間を過し、元旦は朝、お節とお雑煮をいただいたらそのまま昼寝してしまった。
朝食べて昼寝るなんて久しぶり。
元旦ぐらいは時間に追われずに過したいもんね。
昼すぎ、ケニーに「もうぼちぼち起きないと、日暮れまでに初詣でに行けないよ〜」と声をかけられて起きる。
かなり深く眠ってしまったので、起きるのが辛い(汗)
大晦日に、雪の中御参りしたのと同じ、冬山用のアンダータイツとオーバーパンツと、スキー用のフリースを着て、東谷山・尾張戸神社に初詣でに行ってきた。
大晦日と違って雪はないけど、昨日の雪ですっかり空気が冷えきっていて、森の中は昨日より冷えているように感じた。
汗冷えもあって、下山してから冷えがかなり効く。
帰宅して、着替えないで、そのままお風呂に飛び込んだ。
▲元旦の夕暮れ
ふぅ〜
温かい湯に体が緩み、心も緩む。
リビングからケニーがつま弾く三線の音と、沖縄民謡が聞えてくる。
ゆったりと流れてくる三線の音を聞いていると、沖縄にいるようなゆったりとした心地になってくるから不思議。
いつもなら、アタマ(思考)が賑やかで、ここまで緩むことはない。
でも、今日は違った。
ただ、聞えてくる音に耳を傾け、無心な自分がいる。
何も考えずに、ただお湯に浸っているだけ。
ふと、
いつかこんな生活したいなぁと思っていたものが今ここにあることに気づいた。
子供の手が離れたら、ケニーが退職したら、
いつか二人で森に囲まれた家に住み、流れる時をただ感じて、気ままに過すだけのゆったりとした生活がしたいなぁ。
そんなものを思い描いていた。
ああ。
それと同じ時がここにある。
森に囲まれた家ではないけれど、あの生活で得たかった時間、過し方がここにある。
そう思えた。
そう思えたら、ますます心地よくなり、緩んでゆく。
心から寛いでいる自分がいる。
あぁ、幸せだなぁ。
得たいと思っていたものが、ここに「ある」なんて。
この寛いだ時間。
それが欲しくて、この1年頑張って家の中を片付けてきた。
でも、片付けは途中(苦笑)
そう。
目に見える、形だけじゃないんだ。
寛ぎを、この家で感じられるようになった「自分」がここにいる。
2020年の冒頭に願い、この1年努力してきたことが実ってるじゃん。
ちょっと見た目は違うけどさ(笑)
それに気づけたこと自体が嬉しくて。
文字にしておきたくなった。
幸せとは今ここにある
幸せー幸せを感じる心ーって今ここにしかないと思うんです。
幸せって、遠い未来に、また、どこか遠い、ココではないところに、あるんじゃないかと思いがち。
でもね。
すべては”ここ”にあって、他にはないんだよね。
それに気づいて、感じとることができるか。
それを感じられる豊かさと、満たされた心地を味わえるか。
そして、そんな環境に感謝し、
そのささやかな幸せで満たす心地良さを知っているか。
今、生きていて、
今日の生活に困らず、
お家にいられて、
家族と一緒に、
フツーにご飯を食べることができる。
これってフツーじゃない。
あたりまえじゃないんだよね。
それは二度の入院体験で身に沁みた。
あたりまえと思えることは、
実は、あたりまえではない。
それを知っているだけで、
そのささやかな幸せに気づくことができる。
そのささやかな幸せを感じとれることに感謝して実感し、
満たされた心地を味わう。
このほっとした、寛いだ感じがまた、たまらなく幸せだ。
今この瞬間をじっくりと味わえる幸せ。
豊かさ。
それをずーんと体に沁みこませておく。
幸せとは、豊かさとは、こういう感覚なのだ。
今ここ以外の場所にあったらいいなと思えるもの。
それを求めて方々に手を伸ばしてきたけれど、
自分が今いるところにある幸せと豊かさに気づいたならば、
今ここを大切にしようと思える。
だって、今ここ以外の場所ー未来ーに生きて、それを味わえる保証は誰にもないのだから。
今ここで実感できるものは、すべて一期一会。
「今」味わい、自分を満たすもの。
後から味わって、幸せと思えるものではないんだよね。