2月に続いて、9/27〜29の3日間、女性限定リトリート- Divine Feminine – をスタッフとしてサポートしてきました。
会場は前回と同じく神奈川県湯河原町の「ご縁の杜」。
女性限定という形で開催する2回目。
「女性性」というテーマのもと、自分と向き合うと覚悟を決めて参加されたみなさんと一緒に、歴史の中で無意識に継がれてきた深いテーマをじっくりと時間をかけて繊細に丁寧に扱っていく3日間でした。
参加してくださった皆様に心からの敬意を表しながら、今回のリトリートを振り返ってみます。
このリトリートを開催する意味を改めて認識した
実は、開催前、スタッフのわたし自身も無意識に抵抗していたことに気がつきました。
「もう2回目だし、参加者も増えてきたし、次はいっかな〜」
なんて。
終了後の振り返り会で、自分で言って、自分で苦笑しちゃいました。
開催前は、
わたしはもういいかな〜
終わりにしよう〜
もう関係ないや〜
モードに入っていたんです。
リトリート3日間を通して、自我の抵抗だったと気がつきました。(苦笑
開催中、参加者のみなさんがシェアしてくださること、ひとつひとつ、どれも身に覚えがあり、どこかでそんなことを感じていた自分がいた。
自分もその当事者なんだと気づかされたんです。
文字で見たり、頭で考えたりしただけでは、そお?なんて思うけど、静かに自分の内側に問うてみると、間違いなく「ある」。
見ないふり、なかったこと、終ったことのように振る舞っていたんですね。
それだけ、見られていない、なかったことにされ、終ったかのようにされてることがあるってことです。
女性として感じてきた違和感、男性との間に生じること、職場でのこと、家庭でのこと、子育てのこと、体のこと、健康のこと、エイジング・・・
女性という体(ボディ)を持っているからこそ感じてることが、本当は「ある」はずなんです。
また、女性だけでなく、人間が長い長い歴史の中でメモリーし続けてきた生命の営みに対するネガティブな思い込みや信念。
本来は”生命”を繋いでゆく営みなのに、人間はそこにネガティブなイメージを持ち、それをあたりまえのようにDNAの中に組み込んで今に至ってるんじゃないかなぁ。
ついつい「なかったこと」にしちゃうんだよね。
なんでだろうね。
それをね、このリトリートでは「ある」こととして、その小さな声、声なき声を聴く。
テーマとして取り上げて、そこへの想いをちゃんと感じて、表へ出してあげる。
「なかったこと」にされた想いは抑圧されてしまい、わたしたちの内側に澱のように溜まっていきます。
でも、それは本当の終わりではありません。
「ある」と認めて、受け止めて、ちゃんと言い分を聴いてあげる。
「言える」は「癒える」です。
言い分を聴いてもらえると、その「あったこと」は次のステージへと進んでゆきます。
それが、このリトリートでされていることです。
とても繊細なテーマが多いので、優しく、丁寧に扱っていきます。
そう。
自分事として。
参加者のみなさんは、「なかったこと」にしていたことを代弁して、語ってくださっているんだと思うと、自分の奥から熱いものがこみ上げてきます。
自分ではない誰かを通して、みんなが癒されていくのをずっーと感じていました。
もちろん座に参加していないわたしも、みなさんの声を聴きながら深く癒されていました。
何が語られていたのかはプライバシーもあるのでわたしが語ることはできませんが、参加して、その場にいるだけでも癒しになることは間違いありません。
「参加するだけでも意味がある。」
「参加するだけでもギフト。」
そんな言葉がわたしの中からふつふつと湧いてきて、このリトリートは続けていくことに意味があるんだなぁと深く納得しました。
開催するまで、「もういっか〜」なんて思ってたけど、とんでもなかった。
いつでも、誰でも参加できるように、扉を開き続けていることに意味がある。
開催するのに準備も、参加してくださる方も集めなきゃいけません。
参加してくださる皆さんがあってこその場ですから。
でも、まずは、「場を設けること」。
それがわたしのお役目なんだと思いました。
女性としてこの世に生を受けたすべての人に関わるテーマを、さまざまな角度から扱っています。
女性なら「関係ない」とは言えないことを、ひとつひとつ時間をかけて扱ってゆくのだと思います。
どれだけ開催しても、テーマが尽きることはないと思います。
それだけ、必要とされてる場なんだと思います。
女性だけが集い、サポートしあう姿は、太古の昔から世界各地に存在していました。
それを、継承しているのだと思っています。
詳細をお伝えできずに言うのもなんですが、
「すべての女性に参加して欲しい」。
なにより、
「わたしには関係ないわ〜」
と思っている、わたしのようなあなたにこそ参加して欲しい。
そう、心を込めて、お伝えしたい。
女性性と男性性
この女性性と男性性というのは、「質」「エネルギー」であり、誰にでも、どちらもあるものです。
今回象徴に残ったのは、「女性性」とは「真の自己受容」であるということ。
それは、どんな自分を受け容れていくということ。
そこに善悪の判断はなく、どんなに「ダメ」な自分であってもです。
豊かな感受性を使って、全身全霊で、全面的に自分を受け容れる。
そして、能動的に世界に自分を委ねる(サレンダー)する勇気を持てることでもあるということ。
そこには、深い自己信頼があるからです。
また、「男性性」とは「真の実行力」。
どこまでも潔く、自分を与えるパワーであること。
また、「直面力」、つまり見なかったことにするのを止めることは、男性性のエネルギーでもあります。
女性性=「受け容れること」と、男性性=「与えること」。
ここで、循環が起きているんですよね。
そうなんです。
このリトリートに「参加した」というだけで、どちらも「ある」ことになり、その循環をほんとにたくさん見せていただきました。
「与える」人と、「受け容れる」人。
そんな循環がいろんなところで起きていた3日間でした。
地球と女性
今回、わたしの中で最も深く繋がったことは、「地球と女性」でした。
女性は子宮を持っています。
母なる大地が生きとし生ける“生命”を育む「地球」。
地球も、女性も、“生命”を育める存在。
子宮と地球は同じなのだと深く肚落ちすることがありました。
この地球は、命の喜び、生きてる喜びを体験し、表現する場。
女性が心から喜びに溢れて生きていることこそ、この地球が喜ぶことなのだ。
最終日に見れた、喜びに溢れた”いのちの賛歌”はほんとうに美しかった。
心が震えました。
体験の星といわれる地球で鳴り響く”生命の賛歌”。
すべての存在が奏でるその喜びの歌に、加わる時が来たんだなと思えました。
この地球で生きる喜びを、女性として表現し続けていきたい。
前回、「女性」を選んで生まれてきたことを自覚するところまでだったけど、今回はその意義まで辿りつけました。
自分が「女性」であることを、心底、祝福したいと思えた。
わたし自身がとことん女性であることを否定し、男性原理の社会の中で、男性のように競争してきた身として、ここに痛みがあったのだね。
だから、このリトリートに関わっているのでしょう。
もちろん、私だけでなく、現代に生きる女性たちは本当によく頑張っているし、気がついていないだけで、嘆きと痛みをたくさん抱えているはず。
その肩の力を抜き、緩み、たくさん嘆き、悲しんだ先に、本当に美しい”いのちの喜び”がある。
女性を癒すと、地球が喜ぶ。
そして、”いのち”が喜び、生き生きとする。
なんという地球への貢献!
今まで地球環境のことに関わりたいと長く思ってきたけれど、こういう形で関わってゆくのか。
心・魂の学びを続けてきたことと、地球環境がどこでどう繋がるのか、ずっと問いが立っていたけれど、ここで繋がってるんだなって腑に落ちました。
既知のアプローチとは全く違うけれど、人間の心、意識に関わるところから地球環境にアプローチしていく。
まぁ、どこかで繋がりはじめてはいたんだけど、今回はズドン!と響きました。
そこが自分の中での大きな気づきであり、喜びでした。
次回予告
続けていくことに意味と価値を見出したので、またやります!
次回は2021年2月19日〜21日。
次回も同じく、湯河原「ご縁の杜」です。
美味しいお料理と温泉とで癒し効果も倍増です。
詳細は追って告知しますね。
「女性限定」であることにこだわって開催します。
あ、ぼちぼち「男性も参加できる」場も設けていきますね。
「続けることに意味がある」をモットーに、幅広いニーズにこたえていこうと思います。
なお、今回参加できなかったけど、次回は参加したい!という方には、告知準備ができ優先的にご案内をお送りします。
また、興味がある、参加してみたいという方は、わたし宛にMessengerでご連絡ください。申し込みページができ次第、個別にメッセージお送りしますね。
最後に。
どれだけ開催したいとわたし達が願っても、参加していただくみなさまがいて、はじめて実現するリトリートです。
みなさまのご参加を心からお待ちしております♡