幸せとは、今ここで、自分が満たされていることに気づき続けること。
今この瞬間、ただただ満たされていると実感すること。
今のままで充分満たされているって感じ続けること。
それが「幸せ」なんだと思う。
その幸せと感じる瞬間を、繋ぎあわせてゆくこと、幸せと感じる瞬間の連続が、「幸せが続く」ということなんだと思う。
この、自分は満たされているという感覚を一度味わってしまうと、日々の些細なことでさえ幸せを感じられるようになる。
以前は、自分の欲しいものは、自分の外にあるような気がして、いつも気持ちは外に向いていた。
無意識にね。
それが、スイッチが切り替わるように変わった。
外に、足りないものを追い続けてる間は瞬間の幸せでしかないとも思う。
もっと、もっと、今よりもっとあるはずだ。
お金が、時間が、愛が、幸せが…
ずっとそのエンジンで生きてきた。
でも、そんなものは自分の周りにはずっと変わらずあって、あぁここにあったと気づけたら、もうそれ以上外に求める必要はない。
自分が満たされていることに気がつけば、これ以上他から搾取、奪わなくてよくもなる。
ここにあるものでいいんだもの。
ここにあるもので、今充分幸せなんだもん。
そこに気づき実感があるのと、ないのとでは、天と地ほどの違いがあると思う。
そこに気づきけば、毎日が幸せの連続になる。
これって、誰にでも感じられることなんだよね。
誰か他の特別な人だけのことじゃない。
すべての人が感じられることなの。
そしてね、すでに満たされていることが感じられるようになれば世界は変わる。
外から、他から、奪わなくてよくなれば、地球からも必要以上に奪わなくてもよくなるんだよ。
「足りない」
「満たされていない」
そう感じる人が減れば減るほど、今ある地球から、これ以上何かを奪わなくてもよくなる。
私が環境や社会問題と心の問題が繋がってると思ったのはここなのよね。
満たされていると思えば、これ以上他人や地球から奪うことは減る。
それが地球を救うことに繋がるの。
人類が地球のオーバーユースを始めたのは1970年代。
まだわずか40年じゃないか。
40年なんて、地球の歴史の中では微々たるものだ。
今なら取り戻せる。
人類は未熟だ。
未熟だから、これからどんどん成長できる。
自らがいのちを委ねている場所を破壊するかもしれないことを続けていくはずがない。
それは自らのいのちを危うくすることと等しいからね。
そう信じて、わたしは行動する。
わたしの欲は、自分のためだけでなく、地球ののために使うよ。
自我実現ではなく、大我実現のために、いのちを使う。