船越康弘さんは30年以上にわたって玄米菜食を実践し、食を追求してきた料理人です。
船越さんはご自身のことを「ただの田舎の民宿のオヤジ」と言われてましたがなんのなんの。
こんな料理人に会ったことがない!
人生のターニングポイントになりそうな出会いでした。
船越さんのお話を伺う機会があったのは、名古屋在住の伊藤ヒロさんの料理人復帰記念として2016年9月21日、22日と2日間にわたって開催された「重ね煮料理教室」と「講演会」でした。
2日間のお話を通して一番心に残ったこと。
それは、「食べ物を変える」とは「食べる」物を変えることではなく、「食べ物への心構え」を変えるということでした。
どんなに体に「いいもの」を食べても、そこに大地の恵みへの感謝の気持ちがなければ全く意味がない。
食べようとしている食材の存在、食材を育ててくださった農家さん、食材を育んだ大地の恩恵をあたりまえだとは思わず、心からの感謝を持って口にする。
“食”理論よりも作る人、食べる人の気持ちの方が食べ物に影響を及ぼす。
それが 2日間、いや「人生の学び」でした。
食べようとしている野菜たちは放っておいて勝手に育つものではないですよね。
土を耕しタネを蒔く農家さんがいて、タネから芽を出し“生きよう”とする野菜自身の生命力があって、それを育む太陽と雨と土があって、何カ月という時間と愛情があって育ったものです。
その“いのち”を私たちは口にして、栄養として体を作って、自分たちの“いのち”を繋いでいます。
私たちは100%食べ物でできています。
食べ物があるから生きていけます。
食べ物たちが“いのち”を提供してくれるから生きていけるのです。
それを忘れて、あれがいい、これが体にいいとジャッジして、“いのち”を選り分ける。
『理論に振り回されて、いのちを選ぶのは「正しさ暴力」だ!
有機、無農薬、自然栽培が体にいいのは当然だけれども、そこに感謝の念がなければ体になんかちっとも良くない!!』
野菜たちの生きる目的は人間に食べられることではないですね。
野菜も、どんな食材も、生きる目的はその“いのち”を繋ぐこと。
その“いのち”を、どうぞ食べてください、食べて人としての“いのち”を繋いでください と捧げられた尊いものなのです。
本当は、花を咲かせ、タネを実らせ、野菜としての“いのち”を繋ぎたかったはず。
それなのに農薬をかけられ、苦しい思いをし、それでも成長し続け、育った頃には子孫を残すこともできずに、刈り取られ食卓へやってくる。
そんな野菜たちに、農薬かかってるからいらない、体に良くないからいらないなんて失礼なんじゃないか。
それが果たして“いのち”を繋ぐことになるのだろうか。
供された“いのち”の潔さにただただ感謝して、さらにその“いのち”が輝くように想いを込めて丁寧にいただく。
『なにをおいてもそれが先! 有機、無農薬、自然栽培、そんなのどうでもいい!!』
農薬がかかっていても手元にやってきた野菜たちに対して、天地の恵みにして、育ててくれた農家さんに対して感謝を込めて、美味しく楽しくその“いのち”をいただく方がよっぽど体にいい。
お話の端々から、長い間“食”にこだわってきた船越さんだからこそ伝わってくる強い強い想いがありました。
会場で購入した船越さんのレシピ本にこんな一文がありました。
「暗い顔で食べるオーガニック食より、笑って食べるハンバーガーのほうが、よっぽど体にいい」のは本当です。
普段から私が森や山といった自然に対して感じていること、天地の恵みはあたりまえではない、そこにあることにまず感謝する。
太陽があって、木々が育つから山に森ができる。
山々に豊かな森がなければ、その麓は肥沃な大地にはなりません。
雨が降って、森が潤い、染み出した雨が川となって良質な土を運ぶから、その麓で農耕ができる。
これらがあってはじめて私たちは生きていける。
地球という星に生まれることができた最大の感謝を忘れない。
それを“食”に込められてるのが船越さんでした。
天地の恵みに謙虚であり続けること。感謝を忘れないこと。
早速、毎日の食事で、食べ物との「一期一会」の出会いに心からの感謝を込めて“いのち”をいただこうと思います。
船越さんが30数年以上、手に入れるたび、料理するたび、いただくたびに食材たちにかけ続けてきた「感謝の言葉」をかけていきます。
料理教室で学んだことは、別の記事でご紹介しますね。
▼ 主催 伊藤ヒロさんのご紹介
▼ 船越康弘さんが岡山で営む「WaRa倶楽無」のご紹介
▼ 船越さんの著書