「わたくし暦(わたくしごと×暦)」と名付けて、その日の自分の体感・実感を、AIと対話しながら私的七十二候として綴る新しい試みの記録です。
12月31日・大晦日:奔走 止みて箸をとる
読み:【ほんそう やみて はしをとる】
AIによる解説:一年を象徴するように走り続けた大晦日。日付が変わる2時間前にようやく家族が揃っての夕餉。ギリギリで日常の幸せ(箸)にたどり着いた候
終わりよければ全て良し!(笑)
実は仕事納めにしようと思っていた12/28夜の打ち合わせの直前のこと。弟が入所している施設から電話がありました。これから救急搬送すると。
その夜はケニーも不在。1人でのんびり夕食をとった直後のことでした。こんな時間に施設から電話とスマホ見ただけでわかるじゃないですか。緊急事態って。
そのまま、1時間車を走らせて搬送先の病院へ行きましたよ。
施設からの電話をとった時は、脳梗塞再発か?と思いましたが、診察の結果はてんかん発作でした。初めてのことだったし、年末ということもあって、医師と相談して入院をお願いしました。 おかげで、年末年始の予定が大幅変更になり、その煽りで、大晦日も通常業務。全然年の瀬感のない1日でした。
それでも、紅白を見ながら、夕食の支度と明日からのお雑煮のために重ね煮を作り、息子ちんが作ったシーフードのアヒージョと、ケニーが作ってくれた年越しそば代わりの味噌煮込みうどんで、22時からの遅い夕食。落ち着いたのは日付の変わる1時間前でした。 AIに「カオスの食卓(笑)」と言われちゃいましたが、このカオス感こそ、慌しかった2025年を象徴するようだなって思いました。
それでも1年の最後にほっとできる時間ができて、それだけで充分幸せです😊

1月1日・元旦:福寝 陽を吸う
読み:【ふくね ひをすう】
AIの解説文:リビングの日向で、息子さんの布団に包まれて眠る姿は、まるで太陽のエネルギーを身体いっぱいに吸い込んでいるよう。ただ寝ているだけでなく、福を取り込んでいる豊かな候。
私の2026年は書初めならぬ「眠り初め」で始まりました(笑)。
気づけば寝てる1日。
ゆっくり起きたのに、お雑煮をいただいてリビングに広がっている布団の上で日向ぼっこしていたら…太陽の温もりに誘われて寝てました。
初詣帰りの車中、夫と息子はミニストップのパフェに夢中。私はそこでもまた夢の中…。
夜はテレビを見ながら何回うたた寝したでしょうか。
「寝正月」という言葉では片付けられない、まるで電池切れの私を太陽が充電してくれたような穏やかな元旦を「福寝 陽を吸う(ふくね ひをすう)」 と名付けました。

1月2日:病窓の光 老いの背
読み:【びょうそうのひかり おいのせ】
AIの解説文:入院中の弟が「外を見たい」と窓の方を指し動き出した時、そこには確かな生命力(光)があった。一方で、それを共に喜ぶ米寿を迎えた父の背中には隠せない老いの影が落ちていた。 安堵と寂しさ、希望と切なさが交錯する、家族の命を見つめた候。
1月2日は父の誕生日。 今年は米寿でした。
毎年、父の誕生日は父が包む水餃子を家族で食べるのが子どもの頃からあたりまえのように繰り返されてきました。
でも、今年は、弟のことで心身ともに疲れが重なってしまった両親の体を思い、その「あたりまえ」が無くなりました。
電車を使っての移動が難しくなってしまった両親を連れて弟の病院へ。
窓の外を見たがり、車椅子を漕いで窓際に行き、興味深そうに外を眺める弟の姿にホッとした反面。
けれど、その横で小さく丸まった父の背中を見た時、切なくなってしまった。
あれだけキビキビと動いていた父も、確実に老いている。
年を重ねるということは、こういう複雑な感情を 一つずつ受け止めていくことなんでしょうね。
そして、それは確実に私にも訪れる。
米寿祝いのケーキの甘さが、複雑に沁みた一日でした。

1月3日:日向 午睡を誘う
読み:【ひなた ごすいをいざなう】
AIの解説文:冬の太陽が思いがけず暖かく、つい床でうたた寝をしてしまうほど、穏やかで緩やかな時間が流れる候。
今日は、息子ちんが友人たちとの集まりがあって出掛けていった。
その後、テレビの前に座って箱根駅伝を見ていた。
足に当たる太陽の温もりが心地よくて思わず裸足に。
さらに、その心地よさから離れがたく、そのまま、ランチも食卓ではなく、床に置いたトレーの上でいただき、なんだかピクニック気分。
窓の外は風が強くて寒そうだけど、 家の中は太陽の恩恵でポカポカ。そして、 ついうとうと…

1月4日:温気去りて 空白し
読み:【ぬくもりさりて そらじろし】
AIの解説文:「温気(ぬくもり)」とは、昨日までそこにあった太陽の熱であり、息子さんが家にいた賑やかな熱気のこと。それらが同時に去り、見上げれば一面の白い雲。 その白さは、雪のような冷たさを視覚から伝え、心の空白とリンクする。気温の数値以上に、不在の寂しさが肌に吸い付くように冷たく感じられる候。
帰省していた息子ちんが、早朝東京へ帰っていきました。
「気をつけてね」と手を振って見送った後の、あの独特ななんとも言えない感覚。
昨日あんなに降り注いでいた太陽も、今日は厚い雲の中。
「寂しいから寒いのか、寒いから寂しいのか」
昨日の穏やかで和んだ空気とは対照的に、寒さと日差しのなさが見た目以上に心に沁みました。
賑やかさと日差しが同時に去ると、 太陽の温もりが届かない空と、さっきまで息子ちんがいた空間がなんとも白々しい。
毎回のことだけれど、ぽっかり空いた心の空白と、楽しい時間があったからこその空虚な余韻を少し寂しく味わうお正月最後の1日でした。

七十二候:雪下出麦
読み:【ゆきわたりてむぎのびる】
意味:雪の下で、麦がひっそりと芽を出し始める時期
冬至の末候。
私的七十二候:暖寒織成
読み:【だんかん おりなす 】/ 暖と寒 綾を成す
意味:本来の「寒暖(かんだん)」という順序をあえて逆にして、「暖(年末年始の熱気・日向)」から始まり、「寒(別れの寂しさ・老いの現実)」へ移ろった期間でした。
「織成(しょくせい/おりなす)」というのは、異なる色の糸を組み合わせて、一つの美しい模様(綾)を作り上げるという意味。
喜びも寂しさも、全てが美しい模様の一部。
一年という月日、人の一生とも重なり、感慨深い候だったなぁと思います。
年末年始という時期は、その一年や一生が凝縮される期間なのかもしれないですね。
本来の七十二候は「雪の下でひっそりと動き出す麦の芽」に目を向けています。
私の中でも何かがひっそりと麦の芽のように動き出した感覚もあります。
感じているものがどんな芽なのかはわかりませんが、この”芽”がどう育つのか。
自分のことではありますが見守っていきたいなぁと思います。
ちょうど年末年始のこの期間は、1年を振り返り、次の1年を想う。
そんな”芽”を感じる人も多いかもしれないですね。
あなたは自分の中にどんな『芽』を感じましたか?
その『芽』は2026年にどんなふうに育っていき、どんな花を咲かせ、どんな実を実らせ、次の1年につながっていきそうでしょうか?
その予兆を感じられたでしょうか?
良かったらコメントで教えてくださいね😊