Blog - 自然に生きる https://4kira.jp/ Live in tune with Nature Earth Mon, 12 Feb 2024 00:49:57 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.4.3 https://4kira.jp/wp-content/uploads/2020/05/cropped-1xpert121000055-1-32x32.jpg Blog - 自然に生きる https://4kira.jp/ 32 32 74861950 あれから10年-会社を辞めてからの10年を振り返る1 https://4kira.jp/blog/11712 Mon, 12 Feb 2024 00:32:01 +0000 https://4kira.jp/?p=11712 「会社員」を辞めて10年が経ちました。 24年勤めた会社を退職したのは2013年の12月末でした。 私が入社したのは、空前の売り手市場と言われていたバブル経済の絶頂期で、いわゆるバブル世代。 雇用機会均等法施行直後だった […]

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「会社員」を辞めて10年が経ちました。

24年勤めた会社を退職したのは2013年の12月末でした。

私が入社したのは、空前の売り手市場と言われていたバブル経済の絶頂期で、いわゆるバブル世代。

雇用機会均等法施行直後だったため社内制度も充実していて、結婚と転居のために一度は退職したけれど、アルバイトとして手伝う期間を経て、その後社員復帰制度を利用して正社員に復帰。
思えば、社内でこの制度を利用した1人目だった気がします。

その後、産休だけでなく育児休職制度も利用して、通算して24年勤めたなぁ。

その間に社内も激しく変化していて、社名も3回変わった(3回目は分社化)し、私自身はほぼ同じ部署にいたのだけれど、所属する部門が変わったりして、今から思えばよく辞めずに続けてたなぁと思える。

というか、2013年に退職しようと思うまで、辞めたいと思ったことがなかった。

会社も業務も、社内の人間関係も好きだったのよね。

いっときは部署内がとても仲が良くて、毎年のように海外に社員旅行に行っていたし、子どもが小さい時は、子どもを連れて後輩たちと一緒に海に行ったり、日帰りグルメドライブしたりして、一緒に遊んでいた時期もあった。
その時の元上司や同僚たちとは、今でも飲みに行ったりする。
その頃は部署の業績も良くて、部門内で全国トップクラスだったはず。
(規模も大きかったけど、収益率も良かったはず)
社内の中でもパイオニア的要素のある部署で、いつも活気があったなぁ。

そんな会社だったんだけど、社内の体制が大きく変化してから、次第に働く意欲が湧かなくなっていき、併せてそれまで2人で分担していた仕事を1人で担当するようになってから業務量過多でどんどん疲弊していった。

退職した年・2013年の春にはストレスから片耳だけ聞こえなくなったり、下痢が1年以上続いたりしていて、「このまま続けていたら死ぬなぁ」と感じはじめた。

これより前に、業務中に救急車のお世話になったことがあって、医師にはストレスが原因と言われたけど、その頃は全く無自覚だった。
積もり積もって、ようやくこの頃自覚できるようになっていたんだろうな。

「このまま続けていたら死ぬなぁ」とは感じはじめていたけど、かといって退職の理由は何もなく、日々業務に埋もれていくだけ。

毎日、1時間早く出社し、夜は夜間業務ギリギリの22時まで。
特に月末日と月初は締作業があって休日関係ナシ。
というか、曜日に関係なく作業しないと報告日に間に合わない。
役職だったので、一般社員と違って届出とか面倒な手続きがなかったのはありがたかったけど、今から思えば、役職者だから休日に会社に行って、業務やってるっておかしな話よね。

ただ、誤解のないように書いておくと、労務に関しては社内規定はかなり厳しかった。
会社の規模も知名度もそこそこある会社だったので、ルールから逸脱するような行為はうるさく指摘された。

今から思えば、悲壮感漂わせて、犠牲者面していたかっただけなのかもしれない。

業務量が増える時に「無理です」って言ったのに、それを受け止めてもらえず、わかってもらえず、「とりあえずやってみて」と引き受けざるを得なかったことに対して、反抗心というか、拗ねというか、今振り返るとめっちゃ「子ども」な行動だったと思う。

今は心理を学んだからわかるけど、上司にめちゃめちゃ父親転移していたとも思う。
今でもその上司のことは好きなんだけど、好きだからこそ転移しちゃうんだよね。

行動で、「わかって〜」ってやってたわけ。
口には出さずにね。

でもって、月末月初の休日に会社で黙々と作業してると、その上司に声をかけてもらえたりして、実は嬉しかったのも思い出す。

今だから笑える🤣
やってる時の心理が「子ども」。

さらに、会社(上司)にわかってもらえないことの反発は、その上司と私の間に立っていた別の上司にするという悪態ぶり😅
当時はその人のことは嫌いだったけど、今は気の毒に思える。
ごめんね。
私の方が年上だったので、厄介なおばさんだったと思う。

とはいえ。
家には寝に帰るだけの仕事ぶりは2年余変わらず。
とてもじゃないけど、小学生の子どもがいる母の働き方ではなかったと思う。
いつもイライラしていたし、たまの休日は家事に終始し、常にストレスいっぱい状態。
超超超不健全だった。

日々の作業量に忙殺され、どんどん思考停止=何かを考えられる状況で無くなっていった。

以前は、いろんな話ができる同僚たちに恵まれていたけど、みんな次々と異動になり、相談できたり、愚痴や不満を話せる人は最後はいなかった。

体にも不調は出るし、家のことは何もできない。
このままいつまでこんな働き方するんだ、わたし。

定年まで働くことは考えたこともなかったけど、このままの働き方を続けていたら定年前に死ぬだろう。

退職する理由があるわけでもないから辞めることは考えていない…というか、先のことを考える余裕もなかった。

暗い洞窟の中で、ひとり黙々と仕事している感覚だった。

この時はすでに「人間的感覚」も「感情」も失っていたのかもしれない。
感覚的にはマシンやロボットのようだったから。

朝起きて電車に乗って出勤して、勤務時間中はパソコンに書き出したタスクを消化し続け、夜になったら帰る。

以前は同僚たちと毎日のように終業後にカフェに雑談しにいったりしていたけれど、それもなく、帰る頃にはウインドウショッピングするようなお店も閉まっていたし。
家に着いたらお風呂に入って寝るだけ。
子どもはもう寝た後。
そして翌朝、またこの繰り返し。

なんの楽しさも、歓びもなかった。

そして”しんどさ”だけがあった。

今振り返っても、あのまま会社員を続けていたら、早かれ遅かれ病んでいただろう。
あの時点で限界がきていたんだと思う。

それを無意識領域では感じていたんだとも思う。

そんな時、異動辞令が出た。

「10月1日付で異動」

その内容を聞いた瞬間思った。

そして聞き終わったその場で伝えた。

「辞めます」

(つづく…)

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写真で振り返る竹富島リトリート ーDay1 https://4kira.jp/blog/11622 Sat, 06 May 2023 03:03:02 +0000 https://4kira.jp/?p=11622 2023年4月28日(金)から5月1日(月)まで、沖縄県八重山郡にある竹富島でリトリートを開催しました。 事前告知は、LPL認定試験の準備で精一杯でブログに書けなかったので、共同主催者でリトリートの相棒・えりちんのブログ […]

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2023年4月28日(金)から5月1日(月)まで、沖縄県八重山郡にある竹富島でリトリートを開催しました。

事前告知は、LPL認定試験の準備で精一杯でブログに書けなかったので、共同主催者でリトリートの相棒・えりちんのブログリンクを貼っておきます😊

島から帰ってきて4日経ちますが、まだまだその体験を言語化できる気がしない。

きっとジワジワと来る気がしている。

また、ワタシとえりちんがやってるリトリートは”感じる”ことがメインだから、言語化には時間がかかる。

”感じたもの”が言葉となるまでに、時間がかかるのだ。(下手すりゃ年単位)

どんな時間だったかは、ちょっと時間をかけて言語化したいな。
わたしとしてもね😉

と、いうことで、4日間の竹富島リトリートを写真で振り返ってみようと思う。
(これならすぐできる😁

【1日目】

朝、家を出て、その日のうちに竹富島に着けるようにプランニングしたので、集合は17時頃。
1日が終わろうとするこの時間でも、始める意味はあるのだ😁


▲自己紹介を兼ねてのチェックイン後、最初のワーク

その後、早めの夕食へ。

竹富島に宿泊する魅力の1つは、夕陽が見れること。

夕陽をじっくり見るなら、日没前に夕食をとった方がいい。
(ワタシは特にサンセットから星空へのタイムラプス撮影をするので、日没前に夕食をとらないと夕食抜きになっちゃう😅


▲竹富島に来るとほぼ毎日通うお店で、初めて「もずく丼」をチョイス😄

竹富島の夕陽の名所といえば、西桟橋。

▲これは前日のタイムラプス撮影時に撮ったもの
こんなふうに、日没時間になると人がいっぱい集まってくる

この日はあいにく、空と海の間に雲が横たわり、太陽は早々に雲の中にお隠れに。
残念ながら日没は見れず。

多くの人は日没を見届けて帰ってしまうのだけれど、ここからのマジックアワーがいいのよ〜☺
この時間で帰るのはもったいなさすぎる!!


▲日没の瞬間は見れなかったけど、そのまま西桟橋に留まり、星空へと移ろってゆくマジックアワーを思い思いに過ごす。

危険とルール違反がなければ、基本的に何をしてもOKなわたしたちのリトリート。

こうやって桟橋で寝ころんでいるのも全然アリ。
(夏は桟橋が温まっていて、桟橋の温もりと、風の涼しさの体感の違いがなかなか心地いいのだ😁


▲ちょうど干潮時間だったので、なんと桟橋の先の海に下りれた

西桟橋には何度も来てるけど、夕暮れ時に干潮のタイミングになったことはなく、実は内心、とっても驚いていた😳

こんなに浅い時もあるんだねー!

このままどこまでも歩いていけそう☺

やがて日没から1時間も経つと、わたしたちだけに。

空には雲の間から星が輝きだす。
天頂近くには上弦の月があって、薄い影が足元にできる。
海からは生き物たちが動く水音が時折バシャっと聞こえてくる。
森からは聞こえていたアカショウビンの声が消え、コノハズクの声だけになる。
遠く、小浜島や西表島の街灯りが煌めく。

そんな夜の西桟橋でワーク。
視覚情報が限られるので、他の感覚が昼間よりいろんなものを拾っているのがよくわかる。

この日はちょっと寒かったのと、移動疲れもあるので、早めに宿へ戻ることに。
(わたし的にも空が雲で覆われてしまったので撮影中断)

集落へ戻ろうとすると、桟橋の入り口の茂みでガサガサっと音がする。


▲ヤシガニ!

西表島では何回か見たことあるが、竹富島では初めて見た!😳
そんなに大きな個体ではないけれど、それでも手のひらよりは大きかった。

ヤシガニはハサミの力がとても強い。
甲殻類最強とも、ライオンの噛む力に匹敵するとも言われる。
うっかり挟まれると指ぐらいなら簡単に折れてしまう。
危険なので、間違っても手を出したりしないようにしよう。

何より環境省のレッドリストでは絶滅危惧II類に指定されている。
見かけたら、優しく見守ろう。

彼ら、夜行性の生物たちの時間にお邪魔しているのは、わたしたちの方だしね😉

一気に4日分書くつもりだったけど、書き出すと長くなっちゃうね。
2日目以降は次の記事で。

次回リトリートのお知らせ

次回リトリートは、白神山地で行います🌳🌳🌳

白神山地は青森県・秋田県にまたがる広大な山地で、人の手がほとんど入っていない原生的なブナ林が残っている、世界的にみても貴重な山域です。
1993年(平成5年)に世界遺産(自然遺産)に登録されています。

その白神山地が黄葉に包まれる頃を狙って開催します。

日程は10/27(金)〜29(日)

今回は「入門編」と銘打って、何回かに分けて白神山地リトリートの開催を計画しています。

当初、9月末の開催と予告していたのですが、様々な巡り合わせにより10月開催となりました。

9月で予定してくださっていた方、改めて10月での日程確保をお願いします🙇

白神山地リトリートに興味のある方、是非ともスケジュールを空けておいてくださいね☺

白神山地リトリート詳細、オンライン説明会については、別途お知らせします。

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LPL認定試験に合格しました https://4kira.jp/blog/11604 Sun, 23 Apr 2023 12:48:00 +0000 https://4kira.jp/?p=11604 タイトルどおり、LPL認定試験に合格しました😊 「合格」という言葉を聞くまでに5年かかりました。 (誤解のないように言っておきますが、合格するのに5年かかる試験と言いたいわけではありません。 ほとんどの方 […]

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タイトルどおり、LPL認定試験に合格しました😊

「合格」という言葉を聞くまでに5年かかりました。

(誤解のないように言っておきますが、合格するのに5年かかる試験と言いたいわけではありません。
ほとんどの方が1回で合格されてますし、5年もかけて合格したのは私が初めてじゃないだろうか。少なくとも3回受けたのは私が初。)

初めてチャレンジしたのが2018年。
ー結果、不合格。

翌2019年、再チャレンジ。
ーましたしても不合格。

その後、「カウンセラーは二度とやらない!」と決めて過ごすわけですが、パンデミックを経て自分の中で徐々に変化が起き、三度目のチャレンジを決めるまでに3年半。

この間、一言で言えば「いろんなことがありました」なんですが、とてもそんな一言で片付けられないくらいのことがありました。

それについては、また別で書いてみようと思ってます。
忘れないうちにね😉

三度目のチャレンジを決めるのも、ものすごく迷って揺れました。

三度不合格になる恐怖と、試験のキツさ(精神的にも、肉体的にも)もよくわかってるから、ギリギリまで「受ける」と決められませんでした。

でも、それを超えてこれたのは、二度も不合格になるという現実を創造してしまったことをテーマに半年間セッションを受けてきて、自分の中にある怖さとガッツリ向き合ってきたから というのもあります。

一番は、1月にLPLマスターコースで、これをテーマにコンステレーションを立ててもらい、自分の中にある敗北感への異様な反応が家系の中にあるものだったという理解と、親戚一同がどんな想いで生命を繋いできたかということへの深い感謝が湧いた時、肚が決まったことかな。

それでも、試験当日は実技試験が始まるまで、”怖さ”と、自分の意志との間で葛藤し続けました。
ごはんだけでなく、水も喉を通らないくらい、異様でした。

自分の中の”怖れ”を、”怖れ”と認識しながら、その”怖れ”と共にいる。

そんな感覚で、マジ、おかしくなりそうだった😂
これが常態化すると精神を病みそうなくらい。

だから、「合格」の言葉を聞いた時、もっと、

やったー! ( °ω° )/ヤッタ-!!

とか、

きゃっほー! ٩(>ω<*)و

とか、

わーい! (^o^)/*ワーイ

とか、

よっしゃぁ (*-`ω´-)9ヨッシャァ!!

とか。

そんなふうになるのかな?と思ってました。

が。

そんなことは全くなくて、とても静かで、穏やかな気持ちなんです。

不思議だぁ。

合否発表の後、1人で過ごす時間があったのですが、その時自分の中に聞こえてきた言葉は

『終わった。』

という一言でした。

それ以上でも、それ以下でもなく。

ただ、終わったー

という感覚があるだけ。

もちろん、「合格」と聞いた時は嬉しかったのですが、時間が経つにつれ、この『終わった。』という安堵の感覚が広がり、包まれています。

そして、試験直前に思っていたのと同じく、合格しても、その前と、その後と、自分は変わっていない という静けさの中にいます。

「合格しても、しなくても、どちらでもいい」という感覚ではないですよ。

どうしても欲しかった「認定」だから、そんなことは思わないし、言いません。

そのために恐怖を超えて、3回目もチャレンジしたわけだし。

今は、「合格する前も、合格した後も、私という存在は何も変わらない」という言葉が一番フィットする言葉かな。

もし、何か変化が生じているとするならば、「自分への信頼=自己信頼=自信」でしょうか。

それはこの3回目のチャレンジを通して、一番育ったものでしょう。

この自己信頼を育てるための、3回目のチャレンジだったのかもしれません。

まぁ、何はともあれ、「合格」できただけで充分です。

だから○○をしよう、とか、そういう欲が湧かないのね。

ふ〜ん。

こんな感覚になるんですね。

3年半前の私には想像もできなかったな。

ここまで頑張ってきた自分をいっぱい労おうと思います。

ほんとに、よく、よく頑張ったし、粘りました。

自分の中に、こんな一面があったとは知らなかったな。

飽きっぽいと思ってたけど、5年もかけて、チョモランマ(ネパール語で「エベレスト山」のこと)とも言われる試験に3回もチャレンジして、ようやく滑落することなく、生還できたわけです。

全然、飽きっぽくなんかないね(笑)

今は、言ってみれば、3回も登った山を麓からしみじみと振り返っている心地です。

いやぁ。

いろいろありましたな。

しみじみ。

でも、その間のプロセスは全部必要なことでした。

2回の不合格と、二度のがんがなければ、今の私はないからね。

苦しかったけどね。

そんな自分を、今は労いたい。

そして、どこかに置き忘れてきたもののようだった「認定」が取れたので、これからは、自分が心からやりたいことー大自然の中でのリトリートーにもっと時間を使おうと思います。

はぁ。

終わった。。。

 

 

終わりは何かの始まりでもある。

山に例えれば、下山した時から、次の山へのチャレンジは始まっている。

今回の三度目のチャレンジを激励してくれたメンターたちも同じことを思っているはず。

私のメンターは3人。

3人とも登山家。

島崎三歩(漫画「岳」の主人公)
植村直己
三浦雄一郎

3人が口を揃えて、「二度ダメだからって諦めるの? 本当のチャレンジはここからだ!」と心の中で何度も何度も励ましてくれた。

ふう。

ちゃんと登頂して、自分の足で降りてきましたよ。

生命のある限り、自分のやりたいことにチャレンジし続けた、不屈の精神の持ち主たち。

そのエッセンスが私の中にも間違いなくある。
と、よーくわかった、LPL認定試験でした。

はぁ ε-(´-`*)

お疲れ。

自分 (´˘`)♡

 

 

末筆ながら、モニターセッションを受けてくださった方、モニターセッションに協力してくださった方、試験に向けて応援してくださった方、見守っていてくださった方などなど。

本当にたくさんの方に応援をいただきました。

心からお礼を申し上げます。

ありがとうございました。

そして、『絶対、大丈夫❣ 合格しかない!』と口々に言っていただき、本当に嬉しかった☺

それでも、4年前もそう言われながら不合格になっていたので、自分を最後まで信じられなかった。

この世界で、私を信じてないのは、私だけだと思えるくらいの応援をいただいたし、実際、そのことに気がついて、「自分が自分を一番信じなくて、だれが私の一番の応援者なんだ!」と思うに至り、頂上直下の垂直壁を越えられたと思います。

本当に、本当に、ありがたかった🙏

みなさんの有形無形の支えがなければ、この「合格」は手にするのはもっと厳しかったでしょう。

心を込めて、『ありがとう』を贈ります。

 

 

そして。

「認定」が取れることを信じて疑わず、真っ直ぐに応援してくれていた、すでに光に還った3人の友に、静かに伝えたい。

やっと「認定」取れたよ。

光の世界から信じ続けてくれてありがとう。

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通院の日ー2023年4月 舌がん診断から3年9ヶ月・再発から2年9ヶ月 https://4kira.jp/blog/11594 Tue, 18 Apr 2023 00:38:00 +0000 https://4kira.jp/?p=11594 通院の日。 それは、わたしが”がん”経験者ということを思い出す日。 と、いうことで、診断から3年9ヶ月、再発から2年9ヶ月が経ちました。 今、通院は3ヶ月に一度のペース。 前回がいつなのか思い出せないくらいの間隔です(笑 […]

投稿 通院の日ー2023年4月 舌がん診断から3年9ヶ月・再発から2年9ヶ月自然に生きる に最初に表示されました。

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通院の日。
それは、わたしが”がん”経験者ということを思い出す日。

と、いうことで、診断から3年9ヶ月、再発から2年9ヶ月が経ちました。

今、通院は3ヶ月に一度のペース。
前回がいつなのか思い出せないくらいの間隔です(笑)

前回からの期間、発熱(たぶん、新型コロナウイルスに感染)した時に首右側のリンパに痛みと腫れがあり、冷や汗をかきました。

持続するなら臨時で診察受けなきゃな、と思っていたんですが、幸い熱が下がると共に腫れも痛みもひいていきました。

で、実は、この事を先生に言わずに診察を受けました。

診察は、患部と首のリンパに触れる触診だけ。

先生の長年の経験だけが頼りの診察です。

今回の触診で先生から何もコメントがなかったので、その時点で、リンパが腫れたことがあったと伝えました。

先生はすかさず電子カルテに入力してたので、こういうこともちゃんと伝えなきゃいけないし、記録してくれるんだなと、信頼感と、最初に伝えなかった罪悪感を感じました。

先生、試すつもりではなかったのですが、先生の腕を信頼して、どういう結果になるかを試してみたくて、最初から言いませんでした。
ごめんなさい🙇💦

リンパが腫れたことを伝えた後でも先生は「今回は触れませんでしたね。リンパ節炎ということもありますしね」と、サラリ。

この先生の好きなところは、このクールさ。

ドラマ「振り返れば奴がいる」で織田裕二が演じた司馬先生にどことなく雰囲気が似てるなぁといつも思うんですよね。
それを伝えると怒るんじゃないかと思うくらいに、人としての温かみもあるし、ちゃんと患者の顔を見て話すし、笑顔も素敵だし、司馬先生とは大違いですけどね。
感情的だったりするところや、ドラマチックさがなく、先生の醸し出すストイックさと、知性とクールさから、安心をいつも感じてます。

あ、話が逸れました。

「次回が、3年でCTのタイミングなので、そこでチェックしておきましょう」と言われて、次回で再発から3年ですか、と思いました。
てことは、初発から4年でもあります。

毎年春になるとね、自分が”がん”かもしれないと、季節の華やかで暖かな雰囲気とは裏腹に、不安と恐怖でドン底にいた4年前を思い出します。

“がん”かもしれないというだけでなく、生きる目標も失い、真っ暗闇の中で、うずくまって、嘆くしかできなかった、あの日々。

思い出すというより、体があの感覚を覚えていて、季節の陽気と同時に湧き上がってくるんだよね。

その度に自分の体に意識を向けて、あの感覚を味わって「うん。あるね」と感じるのだけれど、”がん”再発の可能性がゼロになるわけではないからね。

この感覚とは都度都度お付き合いですな。

そんなこんなで、毎年春になると、「春が来ると思い出す〜♪(「夏の思い出」の節でどうぞ)」的な感覚を持ちながら、今年の定期診察も無事クリアしました😊

通院の日。
それは、今は気になる症状がないよ、という安心感をもらえる日。
自分の免疫機能が今のところ、働いてるよとOKをもらる日。
”がん”を気にすることなく、日常を送れる安心感にほっとする日。

有難いことです💕

これからも、自分の体を信頼して、余計なストレスを与えないように、日々過ごしていこう😊


▲今日も診察料は安定の230円

今日は、駐車場も満車、会計も45分待ちと過去最長。
当然人も多くて驚いた😳

月曜日午前だったからなのかな🤔


▲病院前の街路樹
ハナミズキが満開できれいでした😊

通院後の健康ご褒美ランチは、これまた安定の「えびすや」のお蕎麦

今日は、えびおろしそばにしました😋

えびの天ぷらがカリカリで美味しかった~🍤

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SONY α6000 を旅立たせることにしました https://4kira.jp/blog/11577 Sun, 16 Apr 2023 05:38:44 +0000 https://4kira.jp/?p=11577 SONY α6000を手にしたのは、2016年の秋でした。 もう6年半も経つんだね。 このカメラがやってきて、わたしは”撮ることの楽しさ”を思い出したんだよね。 https://4kira.jp/blog/3831 α6 […]

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SONY α6000を手にしたのは、2016年の秋でした。

もう6年半も経つんだね。

このカメラがやってきて、わたしは”撮ることの楽しさ”を思い出したんだよね。

α6000の前は、Nikon D5000を使っていたのだけど、7年くらい使っていて、後半はカメラそのものをあまり使わなくなっていたんだよね。(詳しくは上のリンクからどうぞ)

α6000を手にした時、カメラ自体の性能アップもあり、ファインダーから見たもの、そのままが撮れる描写力にものすごく感動した。

”撮ることの楽しさ”を思い出して、再びカメラを持ち歩くようになった。

軽くて、コンパクトで、どこにでも連れていける身軽さ。

どこに行くにも一緒だった。

でも、レンズがZEISSの単焦点しかなくて、次第にジレンマも抱えるようになっていった。

「撮りたいものが、撮りたいように撮れない。」

かたや、発表される度に進化するiPhone(のカメラ)。

ちょっとしたものなら、iPhoneでも全然OK。

でも、iPhoneのカメラは賢過ぎて、時にガッカリする。

「これはわたしが撮りたいものじゃない。」

iPhoneのカメラでも、撮りたいように撮れないイライラを味わう。

その時、カメラの買い替えがよぎった。

ずっと憧れ、いつかは欲しいなと思っていた、フルサイズ・デジタル一眼レフにする?

価格の壁がね、どうしてもあって、なかなか手を出せなかった。

いや、だって、20万なんて金額、そう簡単には手を出せないじゃない?

さんざん迷って、ものすごく考えて、思いきってSONY α7Ⅲ に手を延ばしたのが、ちょうど2年前の2021年春。

α7Ⅲを手にして、その重さに慣れたら、α6000 は使わなくなってしまった。

センサーの違いは大きくて、「撮りたいものが、撮りたいように、撮れる」ようになり、それはどんどん表現の深みへと誘ってくれた。

α6000 は、この2年、ずっとお蔵入り。

α6000 はAPS-Cセンサーとしてのメリットもあるけれど、もう9年も前(発売は2014年)のモデルゆえ使うことも、もうないだろうな。

心友に譲ってもらった機材でもあり、ずっと手放す気になれなかった。

α7Ⅲを手に入れる時は、とてもそんな気にはなれなかった。

でも、そのタイミングがやってきた気がする。

思えば、α6000 に出会ったあの日から、ずっとカメラと共にいる。

相棒として、ある意味、わたしの一部になった。

心動いたものを写す時、ファインダーを覗くと、この目で見たもの以上に感動させてくれた。

人間の目は優秀でもあるけど、偏りもある。

でも、カメラには人間の目とは違う忠実さがある。

ファインダーを覗くと、見えていなかったものに気がつくんだよね。

そんな感動をたくさんくれたカメラだった。

今までも、それなりにカメラは使ってきたけど、α6000ほど一緒にいて感動があったカメラはなかったなぁ。

今、思い出しても、あの時々の感動が甦ってきて、幸せな気持ちになる。

▲ α6000 を手にして、一番最初に撮影に行った駒ヶ根での写真
今での心の中にずっと残ってる写真たち

ありがたいことに、9年も前のカメラであっても買取に出せるんだよね。

次の活躍の場がどんなところかわからないけれど、わたしのところにいては、このままお蔵の中。

α6000のためにも、手放すタイミングだと思う。

寂しさもあるけれど、「ありがとう」をいっぱい込めて、旅立ちを見送ろう。

 

ちなみに、ZEISS Sonnar T* E 24mm F1.8 ZA SEL24F18Z は手元に残します。
このレンズはまだまだ現役で活躍してくれてるので💕

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2023年「これやったよ!」と言いたいこと https://4kira.jp/blog/11539 Fri, 06 Jan 2023 14:24:00 +0000 https://4kira.jp/?p=11539 2022年の振り返りをしようかな〜と思ったんですが、今日1月6日は天赦日と一粒万倍日が重なる最強開運日! 種蒔きの日ですね〜 明日は今年初めての満月ですしね。 なので、先に2023年「これやったよ!」と言いたいことを書い […]

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2022年の振り返りをしようかな〜と思ったんですが、今日1月6日は天赦日と一粒万倍日が重なる最強開運日!

種蒔きの日ですね〜

明日は今年初めての満月ですしね。

なので、先に2023年「これやったよ!」と言いたいことを書いちゃうことにしました😃

  • 個人セッションを再開した
    • からだをこころ(心理療法)から癒し、自己治癒力を高めるサポートで経験を積み重ねている
    • 病気を抱えている人だけでなく、わたしを必要とするすべての人にセッションを提供している
  • いのちのリトリート(仮名)を年2ー3回開催した
    • 開催予定地:沖縄県 竹富島・西表島、青森・秋田県 白神山地
    • 2024年開催候補地の下見:北海道、長野、屋久島、沖縄
  • 森林セラピー、心理療法、解剖学など、自然・こころ・からだの学びを深め、セッションに活かしている
  • 定期的な登山を通して体力・筋力アップができている
  • 動画編集を学び、撮影した動画をYouTubeに公開した
  • 撮影した写真のポートフォリオができ、更新し続けている
  • ブログを定期的に更新し、情報発信し続けている
  • 他拠点生活をはじめた
  • 世界一周プロジェクトを始動
  • 事業で実績を残し、地球環境保護活動に寄付をした

順番に意味はありません。

数にも意味はありません。

本当はもっとある気もしますが(貪欲なエニアグラム・タイプ7(笑))、これだけ実現していれば、2023年は生ききったと言えるかなぁ🤔

言ったことがコロコロ変わるので、「今ここ」の気持ちということで。

でも、どれもハートからの願いなので、人生の樹には書いておきます。

ひとつ思ったこと。

今年書いてて、今までと違って、より具体的なことを書けるようになったなぁと思いました。

以前はもっと漠然としていたんですよね。

ここには書いていませんが、手帳には具体的な数値も入れてあります。

これは自分の変化として感じますね。

今年、意識していきたいのは、すでに必要なものはすべて与えられていて、それを受け取っている感覚を感じながら、他へ与えること。循環です。

ここに書いたことが1年後の振り返りでどうなってるか、楽しみです😊

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東谷山・尾張戸神社初詣2023 https://4kira.jp/blog/11529 Tue, 03 Jan 2023 10:14:00 +0000 https://4kira.jp/?p=11529 初詣には地元の産土神さまのほか、歩いていける神社に登拝しています。 そうなんです。 “登る”んです。 https://4kira.jp/blog/9188 名古屋市最高峰の山頂にある尾張戸神社には、家から歩いても行けます […]

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初詣には地元の産土神さまのほか、歩いていける神社に登拝しています。

そうなんです。

“登る”んです。

名古屋市最高峰の山頂にある尾張戸神社には、家から歩いても行けます。

「家から歩いていける」近さではありますが、歩く時間が気になり、車で行っちゃいました😝

駐車場に車をおいて、参道へ。

歩き慣れた道だけど、山の北側のため、空気は冷んやり。
「ダウン着てきて正解!」
と思いました。

歩きながら、

「あれ? 前登ったのいつだっけ??」

「えらくご無沙汰してる気がする…」

なんか、しばらく来てないなぁ…

よくよく考えてみたら、2年ぶりでした😅

お正月以外も全然登ってなかったですし。

「ご無沙汰しております」

と心の中で想いながら、登っていきました

道標のかわりに、あちこちに埴輪さんがいるのですが、登り口の埴輪さんには、山中に落ちていたであろう長い枝が、「杖」として立てかけてありました。

こういう心遣いはありがたいですね。
(杖は使いませんけどね)

こんな株あったっけ?
大きいなぁ。

ケニーにどんどん離されます😅

傾斜が一番きついところを登りきると、南社への分岐

待ちかねたケニーが埴輪さんに落ち葉を積んで、何か語り合ってました(笑)

ここで、ふっと湧き上がってきた直感のまま、何を考えたのか、そのまま直登すりゃいいのに、南社ルートへ…

南社に参拝するわけでもなく、南社と中社の鞍部に出る…

そう、こっちのルートは階段登高がキツいんですよ。

なのに、こっちに来てしまった😅

ここから久々にバテました(笑)

わずか100段程度の階段で、足が思うように上がらない、筋肉落ちてんなー、と感じながら、「あと10段!」と負荷をかけ過ぎたのがバカでした。

心拍数爆上がり!

久々の吐き気

コレ、ヤバい奴😂

階段の途中で座り込んで、登ってきた階段を見下ろしながら、呼吸を整え、心拍数を下げるものの、落ち着いたかなと思ったところでApple Watchの心拍計見たら120超え。

この程度の登りで座り込むって😅

体力の衰えを実感した瞬間でした😅

以前から、この山を登ることは、体力のバロメーターになるなぁと思ってましたが、こんなに最低な状況は初めて。

これを実感するための無意識のルート変更だったかぁ🤣

なんとか山頂まで辿り着くもヘロヘロ🤪

すぐに参拝できず、山頂の展望台で座り込み😂

滴るほど汗はかくわ、腸は活発になるわ、頭はクラクラするわ😵‍💫

体が頑張って調整しようとしているのを感じながら、相当無理をさせてしまったと大反省。

元々体力がなくて登山やってたからこそ身につけたバテない歩き方。

その壁を自分でぶち破る登り方するとこうなるんですよね。

若い頃は何度、吐きながら山に登ったことか。

その頃は他人のペースに合わせて山を登っていて、バテるのは普通でした。

自分の体にあった登り方をするようになってから、山歩きが楽しくなりました。

あかん。
やっぱり、体の感覚を信じなきゃ。

自分の感性の実感がすべてだ。

そこには、何かとの比較は要らない。

『自分のペースを大切にする。』

『どんなにゆっくりでも、諦めず、歩き続ければ必ず山頂に着く。』

登山から身をもって学んだことは、わたしの人生訓でもあります。

そして、今年はこのことを意識しろってことなんだと気づかされました。

さらに、

『安楽な遠回りより、苦しくても着実に、真っ直ぐに進んだ方が、結果が得られる』

と学びました。

あえて、直登ルートを選ぶ。

直登の苦しさは登山をやってる方ならよくわかりますよね。

でも、そのルートでもバテない登り方も知っています。

どこまでいっても、『自己信頼』
なんでしょうね。

しばらく体を休めれば、回復することも体験から知っています。

ヨレヨレになりながらも参拝を済ませました。

わたしがヘロってる間に、ケニーはさっさと御札を授けてもらってました。

なにせ3が日しか社務所がやってないので、今日授けていただけないと、今年はナシになっちゃうんです😅

山ではケニーがいないと、ほんとダメ🙅

担いでくれたりするわけではありませんが、何も言わず、黙って待っててくれてる安心感が支えです。

下りは筋力は使うものの、体力はそんなに要らないので、下山はアッサリしたもの。

樹間から差し込む夕陽と影とのコントラストを楽しみながら、サクッと下りてきました。

下りてきた時に見る、この森と空が好きなんですよね。

ホッとする☺

想定もしてない体力を使ってしまったので、甘いものが食べたくなって、帰りがけに思わず買っちゃいました😝

お家で草餅食べて、お茶飲みながら、体力・筋力の衰えを痛感。

今年は、このお山で、体力テストを定期的にしながら、トレーニングを重ねていこうと思いました。

いやぁ、ここ2年くらい、トレーニングしなきゃなぁと思ってはいたんですが、😷しながらジムでトレーニングとかあり得ないので、トレーニング方法を模索していました。

わたしにはやっぱり、山を歩くことが何よりもトレーニングですね。

鳥の声、森の香り、太陽の優しい陽射し、頬を撫でる風🍃

どれもジムでは味わえないもの。

今日も枯れた落ち葉🍂の香りが最高の癒しでした☺

体も心も、最も緩む場所だしね。

なにより、お金がかからない(笑)

野生児は野生児らしく(笑)、自然の中で体力・筋力・自分を維持していこう。

このお山の一番ハードなコースを、軽く走れるくらいのペースになれたら体力つくだろうなぁ🤔(理想)

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2023年 元旦の想い https://4kira.jp/blog/11481 Sun, 01 Jan 2023 07:20:00 +0000 https://4kira.jp/?p=11481 新年あけましておめでとうございます。 やっぱり元旦は特別感がありますね。 元旦は逆算して設定された日なので、個人的にはあまり重要な感覚はないのですが、グレゴリオ暦を採用している多くの国で一斉に祝われたり、日本の場合は年末 […]

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新年あけましておめでとうございます。

やっぱり元旦は特別感がありますね。

元旦は逆算して設定された日なので、個人的にはあまり重要な感覚はないのですが、グレゴリオ暦を採用している多くの国で一斉に祝われたり、日本の場合は年末年始休暇があったりするので、やはり特別な日という感じはしますね😊

朝目覚めた時、上がってきた感覚もいつもと違っていて、「今年はコレをやるんだな」という高揚感がありました😊

毎年元旦は新しい1年を想い、カードリーディングをします。

2023年はどんな1年になるでしょうか。

カードに問うてみました。

2023年を生ききるためのメッセージは?

まず、2023年という1年を終え、新しい年を迎えようとする2023年末をイメージしました。

『2023年を生き切った』

そんな言葉が湧き上がってきました。

そこでカードを選び、問います。

選んだカードはOSHO禅タロット。

問いは、『2023年を生ききるためのメッセージは?』

“success -成功-”

思わず笑っちゃいました(笑)

だって先日、別の問いを立てた時、このカードが出ていたからです。

そのことと繋がってるんだなぁ。

2023年は、“成功”という素晴らしさ -頂点- を楽しむ。

この“成功”には、富と業績が含まれています。

成功という素晴らしさ-頂点-を楽しみ、その歓びを分かち合う。

但し、その歓びには執着しない。

歓喜をとことん味わい尽くし、後悔なく、執着なく、来る未来を受け容れ、その先の変化も受け容れる。

2023年は、成功と富と業績を得られるという体験をする1年なんだなぁ…

カードのエネルギーを全身に受け容れる

あ、あれ?

体が反応する。

受け容れきれてない😅

左脳から目にかけて、溶けてただれるような感覚がやってくる

目が潰れる

ひゃー🤣
ここに“怖れ”がある😂😂😂

その“怖れ”とは何ですか?

あはは🤣

まさかここで体が反応するとは😅

でも、反応していることに納得感がある。

あちゃー🤣
年始早々、次のテーマが浮上だよ🤣🤣🤣

体に問うても、セルフでは答えが得られない。

そこで、カードに問う。

『その“怖れ”とは何ですか?』

選んだカードは、ミスティカルシャーマンオラクルカード

“The Gatherer -集める者-”

解説書を読むと、そこにはっきりと“怖れ”が何か書かれていました。

欠乏の観念を手放してください

ぬあー😂

あるある😂

「欠乏の観念」

これに無茶苦茶とらわれてきたなぁ。

もう手放す時なんだ。

かなり薄れてはいると思うけど、「芯」が残ってるんだろうなぁ。

この「欠乏の観念」から得ているものがあるはずだ。

体に問うてみる。

『たとえ左目がなくとも、必ずやり遂げる』

そんな強固な意志が伝わってくる。

おそらくこの意志の強さがメリットに繋がっているはず。

ただ、ここはセルフでやるところじゃない。

目は思考と直結しているので、セルフでやるとプロセスが捻じ曲がる。
そんな感覚がやってきた。

これは後日セッションで扱おう。

そこで、再びカードに問うてみる。

この“怖れ”から得ているもの、学んだことは何ですか?

再びOSHO禅タロットに問うてみた。

“Thunderbolt -稲妻-”

きっと稲妻に打たれるような「刺激」「激しさ」を得ているんだな。

ちょっと言葉を変えると、「熱量」「活力」みたいなものに似ている。

うーん。
とてもセルフで扱えるテーマじゃないな。

それを確信する。

おそらくこのテーマを扱うことは、自分の内なる大破壊、大火、大地震になるのだろう。

これは超えていくべきエッジなんだろうな。

そんなことだけはカードを通してわかる。

ちゃんと突き詰めて、早いうちにセッションを受けよう。

とりあえず、「欠乏・欠損の感覚がなくても、強い意志を持つことができる」とインストールだけしておいた。

この“怖れ”を超えていくためのサポートは?

このテーマをきちんと扱うことを意図して、カードに別の問いを立ててみた。

『この“怖れ”を超えていくためのサポートは?』

選んだカードは、女神のパワーオラクルカード

“LEIZI -啓示-”

解説書読んで苦笑いしましたよ。

レイジとは「稲妻の母」ですか🤣

シンクロしとる🤣🤣

無意識ってほんとに凄い。怖い🤣

シンクロニシティによって、突然すべての物事が意味を成す瞬間があります。
見えなかったものが、明らかになります。
稲光のようにあなたの人生に啓示を与えます。
それはこれまでのあなたの努力に対するご褒美です。

Thunderbolt=稲妻を喰らって、その衝撃で何かありそうですね。

でも悪い予感はしません。

稲妻の母のサポートを受けながら、この“怖れ”をしかと観てゆきたいと思います。

2023年を生き切ることをサポートしてくれるものは?

最後に、
『2023年を生き切ることをサポートしてくれるものは?』
という問いで、セイクリッドフォレストオラクルカードを引きました。

2023年を生ききるとは、つまり、怖れを包含し、成功-権威、富と業績-の頂点を味わい尽くすことです。

“野バラの妖精 -愛-”

愛を受け取り、愛を与えていく。
愛を循環させていくのだな。

実は、朝、2023年は意識的に“循環”させていく年にしようと思っていました。

今まで、たくさんたくさん受け取ってきたから、それを与える年にする。

受け取っている感覚を味わい、そこから与える。

まさに2022年、最も深く残った本に書かれていたことを実践しようと思っていたところのこのカードのメッセージ。

シンクロしちゃったね。

結局、今年は“愛の循環”を常に意識していく1年なんですね。

“The Gatherer -集めるもの-”のメッセージにも、

すでにある資源に目を向けよう。豊かさを手にする時がきました。収穫の頃合いです。

すでに必要なのものは与えられています。
受け取るよりも前に、感謝してペイフォワードを実践しましょう。
もし、欠乏の思考に陥っているなら、現状のもっと先を見て、豊かな恵みが提供されていることに気づきましょう。
溜め込むのではなく、分かち合いましょう。

ここでも言われていたので、とても納得しました。

2023年 エネルギーを注ぎたいこと

さて、話は最初に戻って。

朝目覚めた時、「今年はコレをやろう!」と感じたことがあります。

それは何かを語らなきゃいけませんね。

それは2021年末に書いたことに本腰を入れるということです。

2021年末に、何を書いていたかというと↓

心と体の関わりをセラピーやヒーリングの領域から紐解きながら、この地球に生きる人々が、より自然に生きられるようにとサポートしていくこと。

ヒポクラテスが残したという『人は自然から遠ざかると病気になる。』という言葉。

これを体験、実感したからこそ、病気という、自分と向き合うチャンスを迎えている人に特に伝えていきたい。

それを大好きな地球の大いなる自然の力を借りて、リトリートという形でも提供していこうと思っています。

自分という自然を生きる。

その自由と歓びがこの地球にはある、ということをお伝えしていきたい。

リトリートは2022年スタートさせることができたので、2023年はセラピスト、ヒーリングプロティクショナー(ヒーラー)としても力を入れます。

2022年は助走期間として、モニターセッションを1年やってきました。

『「がん」の人のために。貢献する』
というハートの声を形にしていくことにもなります。

そしてここまで書いてきたように、それで“成功”すること。

2023年が終わる時には、ここまで書いてきた感覚を感じていられるように、感性も理性も、両輪を回しながら、でも、執着はせず、軽やかにウサギのように跳ねていきます。

もちろん2022年からスタートさせた「リトリート」もやりますよ😊

「心」の学びから受け取ったものを、リトリートでもしっかり“循環”させていきます。

神様からもサポートあった!

ここまでのリーディングを終え、地元の産土神さまに初詣に行ってきました。

20年以上初詣でに伺ってますが、初めて見る行列にクラクラ😵‍💫しながら(人混み・行列 大嫌い)、このブログをしたためて耐えました(笑)

リーディングで得たメッセージを心に、お詣りしてからの御神籤。

なんと、大吉❣😍

ここ10年以上、大吉なんて引いてなかったので超嬉しかった❗😍😍

産土神さまにも応援してもらえたようです🥰

「心清らかに」、いのちの道を歩いていきます😊

最後にご紹介

カード

何かあった時、言語化できない時(よくある)はカードたちに頼ります。

どのカードのメッセージも的確過ぎて、いつもビビります(笑)

▲一番長いお付き合い
潜在意識からのメッセージを知る時、一番頼りにしています。

▲新月・満月の時によくメッセージをもらいます。

▲メッセージが深すぎて、ちょっと扱いが難しいけれど、頼りになります。

▲最近一番仲良くしています。
自然界(特に森)にいる存在たちからのメッセージなので、伝えたいことがとてもよくわかり、相性もいいのです。

2022年のベスト3に入る1冊。
最も時間をかけ、一行一行感じながら読みました。
付箋の数もおそらく2022年最多。
今のわたしにはピッタリな、とても良い本でした☺

「受け取る」(女性性)、「与える」(男性性)とは、どんな感覚なのか、知りたい方にもオススメです。

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白神山地に行ってきました https://4kira.jp/blog/11459 Tue, 04 Oct 2022 12:31:00 +0000 https://4kira.jp/?p=11459 青森・秋田両県にまたがる白神山地に行ってきました。 行ったと言っても、ただ観光に行っただけではなくて、リトリートの候補地としての下見も兼ねて、4泊5日かけて回ってきました。 ▲暗門にて(青森県西目屋) 一言で「白神山地」 […]

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青森・秋田両県にまたがる白神山地に行ってきました。

行ったと言っても、ただ観光に行っただけではなくて、リトリートの候補地としての下見も兼ねて、4泊5日かけて回ってきました。


▲暗門にて(青森県西目屋)

一言で「白神山地」といっても、13万haにおよぶ山域で、このうち世界遺産に登録されている地域は1万6971haあります。

数字で書かれてもわからないですよね。

そこで、他の国立公園と比較してみました。

世界遺産に登録されているエリアは、沖縄県西表国立公園(1万2506ha)の3割増しくらい。

白神山地全体は、富士箱根伊豆国立公園(12万1714ha)よりちょっと大きいくらいですかね。

よくある、東京ドームに換算すると3610個分だそうですが、数が多すぎて想像できません😅

数字で広さが実感できない時は、感覚的にわかるものと比較すると、想像しやすいですね。

広大な山域ということと、核心部へのアクセスルートが少ないというのが事前にわかってましたが、そこにさらに、2022年8月の大雨の影響であちこちで土砂崩れがあり、通行止や散策路の閉鎖が多く、白神山地のほんの一部を見てきたという印象です。

まぁ、この「土砂崩れの多さ」も白神山地の特徴なんですけどね。

今回行ったのは、
十二湖
岳岱(だけだい)
暗門(あんもん)
の3エリア。

アクセスにほぼ1日を要してしまうので、往路1日、中3日、復路1日の5日間でした。

それでも、今の状況で歩けるところは歩いてこれたし、白神山地の魅力は感じてこれたなと思います。


▲岳岱にて(秋田県藤里)

今回の旅を振り返ると、想像を覆されることが多々あったなぁ🙄と思います。

ネット経由で情報が入手しやすくなったとはいえ、やっぱり行ってみなきゃわからないことってありますね。

ネットの情報って断片的だなって思います。

ネットで得た情報を繋ぎあわすには、現地を見ること必要ですね。

そして、リアル体験に勝るものナシ。

特に自然の中での体験て、そう。

五感をフルに使って、その場所を全身で感じることに重きを置いてるから尚更ね。

その土地、場所のエネルギーってあって、それは、ネットでは体験できないし、想像しきれないんですよね。

それを今回の旅でもひしひしと感じてきました。

写真を撮っててもそう。

撮りきれないもの、写しきれないものが絶対ある。

以前は、自分の腕前だと思ってたけど、そうではないんだよね。

その場にいて、自分の目で見て感じることは一人ひとり違うからね。

だから写真で伝えようと思うことはやめました。

そういう時はあえて撮らないことにしてます。

今回も、そういう場所が多くてね。

何度、「自分で来て、感じて欲しい」と呟いたことか。


▲十二湖・青池(青森県深浦)

十二湖の1つ、青池もそんな場所でした。

この何とも言えない青い池の色と、その奥に眠る朽ちたブナの古木。
陽の射し方、光の入り方によって、見え方が異なる。

人間がカメラで切り取れる限界を感じたなぁ。

色もそう。
画角もそう。

この空間が創り出す空気感はね、カメラじゃ捉えきれませんね。

言葉を変えると、自然に降参してる感じでしょうか。

はい、あなたの美しさを写しきろうなんて無理です!
って(笑)

だから、カメラを置いて、自分の目と、全身を使って感じてきました。

そして、これは、是非リアルで体験してもらいたいと思いましたね。

白神山地は、こういうことを何度も体感する場所でした。

行かなきゃわからない。

そういう場所ですね。

また、
「また来たい。」
「今度は違う角度から体感してみたい。」
と思える場所でした。

それだけまだまだ魅力がある場所ですね。
今までいろんなところへ行って体感してきてるいろんな森や自然と比較してもね。

1回では、白神山地の魅力の一端にしか触れられてないなと思いました。


▲十二湖にて(青森県深浦)

白神山地といえば、ブナの森。

実は、わたしが木を見て、一番最初に心惹かれたのがブナの木でした。

かれこれ30年以上前、まだ登山をはじめた頃のことです。

なんて美しい木
いきいきとして、生命力があふれていて、季節ごとの葉も美しい。

以来、ブナを求めて山を歩いたこともあるくらい、大好きな木なんです。

そのブナが創り出す8000年の森が世界遺産になっているのが白神山地。

ブナが創る広大な生態系の中に、どっぷり浸かってみたかったんですよね。

それが今回叶いました😊


▲岳岱・もののけブナ(秋田県藤里)

ブナの寿命はだいたい250年程度と言われてますが、秋田県の岳岱には、白神山地の象徴とも言える樹齢400年を超える「400年ブナ」がありました。

秋田県側に行くと、白神山地のポスターはほとんどこの400年ブナでした。

実は、残念ながら、過去形になってしまったんですよね。

今春(2022年3月)倒れているのが発見され、長寿の寿命を終えています。

行くと、倒れた400年ブナを見ることになりましたが、倒れてまだ半年ということで、ある意味貴重な森の姿を見ることができました。

死と再生

いのちの循環が象徴的によくわかるのが森ですが、その貴重な瞬間が今なら見えると言ってもいいでしょう。

同じ岳岱の森には、「もののけブナ」と呼ばれる、これも400年近くの樹齢のブナがあります。

「400年ブナ」と「もののけブナ」を比較して見てみるのも、今ならできるので、そういう意味でも貴重なタイミングだなぁと思いました。

この「もののけブナ」は、きっと次の白神の象徴、白神の主になっていくんでしょうね。

ちなみに、この岳岱の森は、ジブリの「もののけ姫」のモチーフになった森と言われています。

「もののけ」という名がつくのに納得がいく、とても風格のある巨木でした。

青森県には「マザーツリー」と呼ばれるブナもあります。

こちらは、現在は立入禁止エリアにあるので、次回は見てみたいですね😊


▲十二湖・鶏頭場の池(青森県深浦)

で。

本来の目的、リトリートの候補地としてどうだったかというと、

もうね、「もう一度行きたい!」と感じた時点で、「やりたい!!」ですね。

そもそも白神山地を選んだのは、秋のリトリートの候補地としてでした。

秋と言えば紅葉です。

他にも紅葉の美しいところはいろいろありますが、落葉広葉樹林の秋を堪能できるところを探していての候補地でした。

今回は紅葉には全然早かったので、色づいた森はリアルでは見れないのですが、行ってみて、想像はつきました。

いやぁ。
これ紅葉したら、すごいですね。
きっと。

もちろん、その年の気象状況に左右されるので、ポスターにあるような黄金色の森が見れるとは限りませんが、見慣れた中部山岳の秋とは違う姿が見れるだろうことは想像できました。

なので、開催するなら「秋」ですね。

また、白神山地には、森林セラピーでも大切にしている五感すべてを満たす魅力があります。

あんまり「味覚」に敏感ではないわたしでさえ、胃袋ガッツリ掴まれてきました(笑)

なにより、白神山地の水がとても美味しい😋

秋は、味覚の秋でもありますしね。

青森に行けば、りんご収穫のシーズンでもあります。

白神山地ではありませんが、岩木山を背景にした真っ赤なりんご園🍎🍎🍎も美しかったです。

温泉も豊富ですしね。

それに加えて世界遺産になってる自然ですから、わたしが目指してるリトリート条件を遥かに上まってました✨✨

なので、来年秋の開催を目指していきたいと思います😊


▲日本海に沈む夕陽(青森県深浦)

今回行った3エリアは、どこも一長一短があり、魅力もそれぞれ違います。

それもまた白神山地の魅力ですね。

ただ、いくら飛行機でアクセスしても、1泊2日とかでは企画できないと場所だとも思ってます。

どうせ行くなら、どっぷり浸って欲しい。

リトリートという非日常を味わってもらうにはそれなりの日数、滞在もして欲しいんですよね。

ちなみに、わたしは「あと2−3日は滞在したいー!」と叫びながら帰ってきました。

広大な山域をぐるりと2/3周するくらい移動が多かったこともあって、ちょっと物足りなさを残しながら帰ってきました。

もっと、白神山地の森にどっぷり浸りたかった。

あのブナの森なら、きっと何日いても飽きないだろうなぁ…

リトリートを企画した場合、最低2泊、できれば3泊かな。

欲を言えば4泊、いや1週間滞在しても飽きることはないでしょう。

わたしが次行くなら1週間でプランニングすると思います。

海の幸と山の幸と紅葉と温泉

これだけでも、また行きたい😋

それぐらい満ち足りた幸せな時間を過ごせる場所でした。


▲岳岱400年ブナの黄葉のポスター

↑この、あたり一面黄金色の森を見に行きたいですね!😃

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船戸崇史著『「死」が教えてくれた 幸せの本質』を読んで自分の死を真っ直ぐに受け止めた がん再発から3年目の通院日 https://4kira.jp/blog/11417 Mon, 29 Aug 2022 13:27:00 +0000 https://4kira.jp/?p=11417 今日は通院日でした。 日々元気に飛び回ってますが、通院の日だけは、自分が「がん」であったことを自覚する日。 病院に行くと、先生がカルテを見ながら、 「手術から2年2ヶ月ですね。3年目最初の診察日になりましたね。」 と、少 […]

投稿 船戸崇史著『「死」が教えてくれた 幸せの本質』を読んで自分の死を真っ直ぐに受け止めた がん再発から3年目の通院日自然に生きる に最初に表示されました。

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今日は通院日でした。

日々元気に飛び回ってますが、通院の日だけは、自分が「がん」であったことを自覚する日。

病院に行くと、先生がカルテを見ながら、
「手術から2年2ヶ月ですね。3年目最初の診察日になりましたね。」
と、少しトーンの高い、いつもより大きな声で、強調するように言ってくれた。

「そっか。」

再発から何ヶ月とかあんまり気にしてないから感慨はないんだけど、先生の声のトーンで、違いを受け取った。

先生も嬉しいのかな?…

最近、今までは自分が「がん」であったことを認めたくなかったんだなぁ、と気がついた。

えぇ。
初発から3年、再発から2年経った今頃になってです😅

再発までしてんのに、「がん」であった現実から遠ざかろう、遠ざかろうとしていたなぁ。

つまり。
「なかったこと」にしたかったんだろうね。

はい。
エニアグラムタイプ7の得意技ですね😝
こんなこともか!と苦笑しちゃうんだけど、不快な感情・感覚は味わいたくない性分なので、仕方ないね。

もちろん、診断された頃はそれなりに受け止めたよ。

保険を請求する時に書いてもらった診断書に、ちゃんと病名として書かれていたし、こうやって数ヶ月に1回通院してるのは自分が「がん」患者だった証だからね。

でも、どこかでそれを受け取りきれてなかった。
どこかで、受け容れきれてなかった。
「がん」と診断されたことをどこか避けていた。

認めたくなかったんだよね。
どこかでね。

「それなり」の受け取り方だったな。
って思う。

それがね。
最近起きたこと、そして読んでる本から、自分の中の「考え」が変わった。

「覚悟」といってもいいのかもしれない。


今読んでる本はこれ。

岐阜県養老町にある船戸クリニックの院長、船戸崇史先生の著書『「死」が教えてくれた 幸せの本質』

この本は、船戸先生が医師として看取られてきた、その「死」の物語だけが綴られている。

「読みたい!」と思って購入してみたものの、読み始めるまでには時間がかかった。

読むのには、タイミングも、覚悟も必要だったんだと思う。

1つめ、2つめと、本を読み進めていくと、途中で、正直「無理だ。読めない。」と思った。

あまりにリアリティがありすぎて、苦しくなってしまったのだ。

本を閉じたまま、読めない日が何日も続いた。

でも、なんだか気になる。

そこで、最初から読むのをやめて、最後の物語を読んでみた。

その最後の物語は、生まれて1年2か月で天に還っていった小さな生命の物語だった。

文字が涙で霞んだ。
声をあげて、しゃくりあげて泣いて、それでも、最後まで一気に読めてしまった。

その小さな生命は、

「生きる」とは…
「存在する」とは…

とても深い「問いかけ」をわたしの中に残していった。

そして改めて、止まってしまっていたところから、読み進めた。

そこには、とても「死」という一文字では括れない、その人にしかない「死」、そしてその人の「生きる」物語があった。

1つ1つを自分の中に響かせながら、受け取っていった。

その人の最期までの生き方。

船戸先生は、
死に様は生き様である
と書いている。

わたしは、
「逝き方」は「生き方」
だと思った。

わたしは、どんな「逝き方=生き方」をしたいのだろう?

そんな問いが自然と立った。

いつか「死」を迎える時がわたしにも来る。

それは確実で、避けることはできない。

こんなにも未来が不確実な世の中なのに、自分が死ぬことだけは100%の確率で起こる。

それは誰しも頭ではわかってることだ。

でも、それを「いつか」にし、遠い未来に置いている。
まるで「他人事」のように。

できれば触れたくないのが「死」、それも「自分の死」だと思う。

遠ざけておきたい。

わたしもずっとそう感じてきた。

だから、自分が「がん」であることも、どこかで受け止めきれなかったんだと思う。

今は違うと思えるけど、「がん」かもしれないと思った時、即、「死」をイメージした。

「がん」=「死」のイメージは強いと思う。

自分が「がん」だと知ることは、自分の「死」と直面する機会だった。
少なくとも、わたしには。

でも、「がん」かも?と思った時や、診断書を目にした時は、表現は難しいけれど、なんとなく表面だけで、薄っぺらく捉えていたように思う。

「今そう思える」「その時との違いがわかる」っていうことは、捉え方が変わったんだなと思う。

この本は、その「死」をぐっと近くのものにしてくれた。

「がん」とわかった時とは、違うところから、「死」を感じろと言ってくるんだよ。
この本は。

おかげで、「がんかもしれない!」と不安と怖れの渦に巻き込まれている時とは違ったところから、自分の「死」に向き合わざるを得なくなった。

さらに、この本を読んでる最中に親しかった友人が亡くなった。

なんだろう。
これ。

なんのタイミングなんなんだろう?

自分の死について、真っ向から考えざるを得ないタイミングだと思えた。

本の中で船戸先生がこう言っている。

・がんという病名がついた段階で、一度は心の中で見切りをつけた方がいい

・がんという病気は(事故や突然死と違って)時間が与えられる分、生き方、存在意味、人生の目的を問い直すことができる病気だと思うのです。

・私たちは生きたいがために、現状から未来しか見ません。

・がんを宣告された時点で一度立ち止まって、現在の自分が立っている場所を確認する。

・その際に、自分の人生を一度「死」まで進めていただきたい。
そして、「死」の場所から今を振り返るのです。

そう。
最後の、「自分の人生を一度「死」まで進めてみる」。
そのタイミングなんだなって思った。

自分の「死」の場所から、「今」を振り返る。

「死」を遠ざけず、しっかり「自分事」として受け止める。

自分の身に間違いなく、確実に訪れるもの。

そうだと認める、受け止める。

今までもワークで何回もやってきたことだけど、この本によって「死」を自分事として、両腕でガッチリと受け止めた気分だった。
まるで、全力で投げられたドッヂボールを受け止めるように。

すると、それは、自分の死に対して肚が座った感覚になった。

「覚悟」になった気がする。

この本を読んでいると、「生きる」ってこういうことなんだなって、肚が座ってくるのだ。

この機会に、「死」を「自分事」としてガッチリと受け止めて、意外にも、「恐怖」ではなく、不思議と穏やかな気持ちになった。

わたしもいずれ死んでゆくのだな…

わたしもこうやって朽ち果てていくのだろう。
森の木々が倒木更新してゆくように。

わたしのいのちは次の世代へと引き継がれてゆく。

そして、朽ち果てた木が分解され、次世代、その次の世代の養分となって大地の一部となってゆくように、わたしもまた、脈々と継がれてきた「大いなるいのち」の一部になってゆくのだな。

こうやって、「死」という1つの区切りが、幾重にも重なりながら、「いのち」は引き継がれていく。

わたしはその1つでしかないけれど、脈々と継がれてゆく「大いなるいのち」の、欠けてはならない大切な一部でもある。

そんな気持ちになった。

「自分」という体がなくなることを受け入れられていた。

へぇ。
こんな気持ちになるんだね。

年を重ねた証拠なんだろうか。

そして、その穏やかな場所から「今」を見てみる。

このまま「終わる」のもアリかもしれない。

前なら絶対イヤだと思ったけど、意外にも、こんな感覚にもなれた。

でも、やっと自分の存在意義を言語化することができ、生命をかけてやってみたいことがわかってきたから、その人生も生きてみたい。

自分の天命や使命に気づかず、この世を去る人も多い中、それに気づけただけでもありがたいけど、せっかくなら、体が動くうちにその人生も生きてみたい。

その結果がどうであれ、自分が思い描いた世界を生きてみたい。

そんな想いが静かに湧き上がってきた。

だったら。

「死」を遠ざけて、避けるように生きるのはやめようと思った。

ただなんとなく、漠然と怖がり、「そうならいように」「がんにならないように」と、怖れと不安を原動力として生きるのをやめようと思った。

怖れだけに意識を向け続けるのではなく、生きてゆくことに重点を置きたい。

残りの人生があとどれだけあるかわからないし、もしかしたら、来年生きてないかもしれないし、生きていても、自分の思うように体が動かないかもしれない。

「死」まで、どれだけの時間が残されてるかだなんて、自分でも、誰にでも、わかるはずもない。

1日という、短い時間の中で、急激に衰弱していく肉体もあるんだとこの本で知った時、肚の底から、「明日のことなんて、本当にわからない」と思った。

確かに、夫・ケニーのようなケースもある。

彼は奇跡的に助かったけれど、それはまさに奇跡であって、いつかはすべての生命は死を迎える。

彼も例外ではない。

そのタイミングが違っただけのこと。

だったら、どうやったら自分の創りたい世界生きられるのか。
同じ生きるなら、そこに意識して生きていきたい。

そんなふうに思えた。

避けたいと思っていても、三度「がん」になるかもしれない。
そんな過酷な未来があるかもしれない。
そんなことを本を読みながら思った。

本にこんな言葉がある。

二人に一人はがんになる

がんにならない人はいない

がんができたら徐々に進行して死に至る

本来がんは治るようになっている。治る邪魔をするとがんは発育する。

がんが治らなければ人は死ぬ。死んだらおしまいである。

がんが治らなければ人は死ぬ。しかし、がんが治ってもいずれ死ぬ。
だから、今を生きる。

この言葉が、自分の奥深いところに届いた。

ほんとだ。

がんが治っても、死ぬことには変わりない。

もしかしたら、がんにならなかった方が短い人生だったかもしれない。

だったら、まず、あるがままを受け取ろうと思った。

自分が「がん」であったことを、「なかったこと」とするのではなく、自分が「がん」ができてしまう体だったことをちゃんと認めて、受け止めて、「がん」を避ける生き方ではなく、「がん」を自分で治せる体を維持しようと思えた。

そう。
船戸先生が言うように、がんは治るようになっているんだもん。

それを邪魔してるのは、他でもない、わたし自身だ。

今のわたしは、自分で治せる力=自己治癒力を邪魔するような生き方は選択しない。
そう決めている。

今まで慣れ親しんだ生き方からシフトするには時間がかかるだろう。

でも、再発してからのこの2年で、今のところは、新たながんは見つかっていない。

つまりは、この2年の生き方・生活は、「がん」の発育を促すような生き方ではないんだと思えた。

これが正解だとは思わないし、そもそも正解はないだろう。

でも、今の生き方・生活は、わたしの自己治癒力を、がんになる前ほど邪魔していないんだなと思えた。

それに、まだやれることはある。

「あぁ、もうこの世とはお別れなんだな。」
そう思う瞬間に、
「いやぁ〜 いろんなこと体験してきたけど、実に楽しい人生だったな。」
と、思えるよう、まだまだ改善の余地はあるはずだ。

朝、目が覚めて、
意識が戻り、
体が動かせることは
あたりまえではない。

それを、身をもって体験してるから、
それがどんなに有り難いことかを知ってるから、
毎日、今日生かされていることに感謝し、日々、有り難く、
「死」に向かって、
天に還るその時に向かって、
「自分」を、堂々と生きていこうと思う。

そんなことを思った、再発から2年経過の診察日だった。

それにしてもこの本、ほんとにいい!

がんになった人に片っ端から配って歩きたいくらいだ。

最後に、
自分のために、
師であるあけみちゃんの著書「約束された道」から、一番好きな言葉を書いておく。

今こうして生きている人たちは、亡くなっていった人が一番欲しかった「生きる時間」をもっている。
生は、死者の夢の残滓。
時間は死者からの贈り物。

投稿 船戸崇史著『「死」が教えてくれた 幸せの本質』を読んで自分の死を真っ直ぐに受け止めた がん再発から3年目の通院日自然に生きる に最初に表示されました。

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ブログを統合しました https://4kira.jp/blog/11405 Thu, 11 Aug 2022 05:53:00 +0000 https://4kira.jp/?p=11405 このWordPressでのブログの前に、無料ブログサービスを利用していました。 先日、ふと、そのブログを見に行ったところ、なんとサービス終了のお知らせが! 終了時期は2023年1月末とあり、それを過ぎると自然消滅… 気が […]

投稿 ブログを統合しました自然に生きる に最初に表示されました。

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このWordPressでのブログの前に、無料ブログサービスを利用していました。

先日、ふと、そのブログを見に行ったところ、なんとサービス終了のお知らせが!

終了時期は2023年1月末とあり、それを過ぎると自然消滅…

気がついて、良かったぁ🥺

実は以前から、このWordPressの方へ、いつかは移したいと思ってたんですよ。

ただ、280記事くらいあるので、手作業で移すにはハードルが高くて着手できず、そのまま放置してました。

それが、こういう形で強制引っ越しすることになるとは!

驚きでした🫢

しかも、ブログサービスの終了ということで、引っ越しツールを用意してくださってる✨

なんて、ラッキー🤞

手作業するよりはるかに楽そう。

でも、1人で引っ越しさせるのは怖いので、ものくろ師匠にサポートしてもらいました。

旧ブログにあまりにも長いことログインしてなかったので、IDとパスワードを失念しているという、ありがちなトラブルはありましたが(このブログに引っ越してきたのが2016年なので、6年ログインしてなかった💦)、わすが1時間半ほどで280記事がこのブログに統合されましたー!
パチパチパチ👏

絵文字は前ブログサービス固有のものなので、文字コードのまま表示されてるのは仕方ないとして、テキストだけでなく、画像も引っ越しされてるのが超嬉しい!😭

正直、画像の引っ越しはムリと諦めてたんです。

まぁ、書式は崩れてますが、それでも全く消えちゃうよりは、はるかにマシ。

検索して見にくる人もほとんどいないだろうけど、このまま無かったことにしてしまうには、私の中では残念すぎて。

誰も見てくれなくても、私にとっては大切な思い出。

あの日、あの時の気持ちが綴られた、大切な記録ですから。

失わずに良かったー😭

見た目は整ってなくても、こうやって手元に残ってくれたことが、とても嬉しい。

ブログって情報発信のツールだけど、私にとっては記録であり、大切にしたい思い出なんだなぁって思いました。

前のブログのほとんどは、当時ハマってた押尾コータローさんやアコースティックギタリストさんのライブレポがほとんどなんだけど、押尾コータローさんファンの人たちと繋がりたい!と思って始めたブログなので、このブログを通していろんな人と出会えたし、ライブ遠征したおかげでいろんなところに行けた。
私にとっては宝物なんですよね✨

今は忙しいのを理由に、「どこどこ行った〜」も、気軽に書けるfacebookやInstagramばっかで、ブログに書けてないんだけど、無料のツールはいつ終わるかわからないを今回体験し、やっぱり自分の持ってるドメインの中に残しておきたいなって思いました。

今回、旧ブログの最初の記事を読み返したんだけど、

当時のブログタイトルは「ずっと・・・」。
その時から想いは変わってないし、ぶれてないなぁ。

スタートしたのが2008年7月10日なので、もう14年も続けてるんだな って、自分で驚きました。

コツコツ継続とかって、超苦手!って自己イメージがあったけど、なんのなんの。

14年の間、何度も何度も、止まりつつもやめなかったって凄いことよね。
ここまで続けてきた自分を褒めたくなりました😊

ブログをはじめる時に、「はじめる人は多いけど、続く人はほんの一握り」といろんな人に言われたことを思い出して、「凄いね自分!」て思いました。
定期的に更新はできてないけど、ブログを止めるという選択肢は今も全くないですから。

LPLのテキスト編集をしていて思うんですけど、基本的に文章を書くことは嫌いじゃないんですよね。
時間はかかるけど。

誰かに読まれることも大切だけど、まずは、書いてる自分が、書くこと自体を愉しめてること。
義務でもなく、自分のペースでね。

それが一番だなって思いました😊

自分らしいペースを大切にしながら、これからも書いていきます😊

そして初心に戻って、ブログを通して同じモノ・コト・ヒトが「好きだよ~」という人と縁ができれば嬉しい💕
同じ想いを持つ人と繋がりたい!✨✨という意図も込めて。

その上で、誰かのお役に立てたら、それはそれで幸せよね☺

旧ブログの記事も、ちまちまと修正していきたいと思います。

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上高地リトリート・無料オンライン報告会を開催しました♪ https://4kira.jp/blog/10512 Fri, 05 Aug 2022 14:07:00 +0000 https://4kira.jp/?p=10512 5/28・29に上高地で開催した「自分と出会い 自分とふれあう リトリート」 その報告会をオンラインで開催しました。 リトリート終了直後にブログで開催報告を書けば良かったのだろうけど、15期LPL養成講座の開講準備があっ […]

投稿 上高地リトリート・無料オンライン報告会を開催しました♪自然に生きる に最初に表示されました。

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5/28・29に上高地で開催した「自分と出会い 自分とふれあう リトリート」
その報告会をオンラインで開催しました。

リトリート終了直後にブログで開催報告を書けば良かったのだろうけど、15期LPL養成講座の開講準備があって、落ち着いてブログを書く時間が取れずでした😓

何より、終わった直後は”驚き”しかなくて、なかなか言語化できなかったのもブログに書けなかった1つの理由でもありました。

開催1ヶ月後の参加者さんとのフォローアップ会を経て、参加してくださった方の中に何が起きていたのか、言語化できてきたのでブログに残しておこうと思います。

初めての開催で、モニターも兼ねていたので参加された方からはたくさんのフィードバックをいただきました。

その中でも参加された方から、「良かったー!」の好評価が多かったのはとても嬉しかった🥰

さらに、直後から、「なんで、そういう変化が起きたの?!」と思えるようことが続出。

主催としては、驚きでしかありませんでした。

あまりにもの変化で、おそらく当のご本人もわからないままだったんじゃないかと思います。

オンライン報告会を前に、そのことについて考えた時、ふっと私の中から湧いてきたことがありました。

それは、上高地という自然の中で、まず「受け容れられる」「受容」を体験されたんじゃないかと思うんです。

しかも「無条件」の受容です。

自然界の中に存在するにあたって、私たちが日常で思いがちな、「○○だったら」とか、「○○できたら」とか、「○○じゃなかったら」といった条件づけされることはありません。

無条件、
ありのまま、
どんな自分であっても、
1つのいのちとして、存在を許されています。

真っ直ぐに育たず、どんなに曲がりくねって育った木であろうと、何かしらの理由があってこぶのようなものができてしまった木であろうと、花弁の枚数が他とは異なる花であっても、見た目がどうであろうと、ありのままの姿で存在しているのが自然界です。

ましてや、その異形な姿であっても、誰かがそれを責めたり、非難したりすることはありません。

あるがままの姿こそ個性(個体差)であり、存在すること自体を拒否されたりすることなく、1つのいのちとして、そのまま、ありのままで存在することを許されています。

すべてのものがあるがままに生きている場所が“自然界”であり、あるがままの姿で生きていることこそ、自然です。

「無為自然」という言葉があります。

何もせず、あるがままにまかせることを指す言葉ですが、それが自然界という場所です。

自然界という言葉で、私たちの日常がある場と区別しましたが、そもそも私たちの日常もこの自然界の一部です。
が、現代はあまりにもかけ離れ過ぎてるので、ここでは一旦区別させてください。

私たちの日常がある場とは違う、無為自然な場=上高地で、どんな自分であっても、条件づけされることなく、無条件に受け容れてもらえるという体験をされていたんじゃないかと思ったんです。


▲自然の中で“ありのまま”過ごす

これは、わたしの体験でもあります。

とあるワークショップでのことですが、この世界に、また、この世界に生きることに絶望していることに気づいたことがありました。

こんなところで生きていきたくはない。
この世界に居場所はない。
こんな世界いやだ!

そう思い、嘆き悲しみながら、深い深い海の底へ落ちていく。
どこまでも、光の届かない真っ暗闇の中へ落ちていく。

そんなイメージの中、ふっと感じたんです。

こんなわたしでも、「ここにいていいよ」
そう海に、地球に、無条件に受け入れてもらってる。って。

悲しみにくれていようが、
絶望していようが、
この世界に生きていくのが嫌だと思っていようが、
自然は、何も言わずに、そんなわたしをただ受け止めてくれる。

それでも、いていいよ。
存在していいよ
って、受け入れてくれる。

その時、あぁ、これが無条件の受容という感覚なんだなと、思いました。

この時は海でしたが、別のワークショップでは、森に同じことを感じたことがありました。

その時から、自然は、その中に存在することに条件づけがない。
あるがままで、どんな感情を持ち、どんな考えを持っていても、1つのいのち、1つの存在として尊重され、黙ってその存在を許してくれている。
そんな器の大きさを感じるようになりました。

わたしの体験とは異なるとは思いますが、リトリートに参加された方も、そんな感覚を感じていたんじゃないかと思ったんです。

そんな話をオンライン報告会で話しました。

すると、当日参加もしてくれて、オンライン報告会にも参加してくださった方からフィードバックがありました。

『言葉は違うけど、同じような感覚を味わっていたように思います』

『自然と1つだ。と思った瞬間に涙が溢れてきました』

『人目を気にせず、そのままの自分でいていい、という感じはありました』

さらに、

『確かに、自然の中で、あるがままの自分でいていいと受け入れられた感覚はありました。
でも、主催の2人も同じように、どんなわたしも受け止めてくれていました。自然だけじゃなかった気がします。』

というフィードバックをいただき、ハッとしました。

そっかぁ。
ここで、「無条件の受容」の循環が起きていたのだなと。

わたしと、共同主催のえりちんは、自然を、まるごと受容することができると思っています。

美しく、清らかで感動するような姿だけでなく、荒天で、風雨が荒れ狂い、恐怖を感じるような自然の姿も知っているし、体験したことがあります。

自然のどんな姿であっても、それが「自然」だと受け入れられる。

自然と主催2人との間で、無条件の受容が相互に起きていて、それが、リトリートという場に波及していたのかもしれません。

また、心と魂の学びを重ねてきた主催2人には、自然と同じように、どんな参加者さんであっても、その存在を受け止められる土台があるなぁとも思いました。

当日やったどんなワークも、危険さえなければ、何でもOK。

その人の、その人らしさを尊重できていたな、許容できてたな。
起こってくることに身を委ねながら、臨機応変に対応してたなぁって、振り返ればそう思います。

それをアウトドア、しかも、あまり人の手が入っていない自然の中で、安全を確保しながらできるって、私たちの強みだなって思いました。

この上高地リトリートを開催する前に、単なるガイドツアーではないよ、そうしないよ、と宣言していたことが、実現していたのだなぁと気づかされました。

上高地リトリート中にすれ違った、ネイチャーガイドツアーを見て、違いも確信できたしね😁

私たちが創っていく方向性が見えた気がします。

いやぁ。
佳き場でした。
オンライン報告会😊

主催にとっても気づきの場で、新しい自分と出会えましたね。

今回実施した上高地リトリートは「感じること」「感性」を大切にして、そこに重きをおいた内容でした。

そこを大切にしながら、次回の企画も練っていこうと思います😊

リトリートに参加してくださった方、オンライン報告会に参加してくださった方から、次回の企画に参加してみたいと、嬉しい感想をいただいています。

「友達に紹介したい!」という感想もいただいていて、必要とされているんだなぁと嬉しくなりました。

確かに、現代人には自然の中でどっぷり過ごす時間はめちゃめちゃ必要だと思ってます!
だから、このリトリートやってるんだけどね。

主催2人の「感性」のアンテナがピン!と立った時と場所で企画していきたいので、その時までお待ちいただければ嬉しいです😊

最後に、今わたしの中で候補と狙ってる季節と場所を記しておきます。


広葉樹の紅葉が美しい場所 東北?
カラマツの黄葉を愛でる上高地


厳冬期の森が美しい場所 八ヶ岳周辺?


花の上高地
うりずん(初夏)の竹富島・西表島


西表島
テント泊できる涼しい高原

47都道府県行ってるけど、まだまだ知らない場所、行ってみたい場所が日本国内にあります。

えりちんと下見を重ねながら、みなさんが自然と一体になれる場所を探していきますね。

そして、自然に”あるがまま”を受け容れてもらって、「自分に出会える場」を創っていきたいと思います。


▲普段は飲まない2人が思わず飲んでしまった振り返り会

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LPL(ラビング プレゼンス リーダーシップ)養成講座 第14期テキスト制作後記 https://4kira.jp/blog/10353 Thu, 05 May 2022 14:27:00 +0000 https://4kira.jp/?p=10353 LPL(Loving Presence Leadership・ラビング プレゼンス リーダーシップ)養成講座の事務局スタッフになって4期目を迎えた2021年。 今までは事務局運営を中心に担ってきていましたが、2021年に […]

投稿 LPL(ラビング プレゼンス リーダーシップ)養成講座 第14期テキスト制作後記自然に生きる に最初に表示されました。

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LPL(Loving Presence Leadership・ラビング プレゼンス リーダーシップ)養成講座の事務局スタッフになって4期目を迎えた2021年。

今までは事務局運営を中心に担ってきていましたが、2021年に開催された第14期ではテキスト制作も担当しました。

これがねぇ〜
とっても豊かな時間だったのですよ🥰

それを「制作後記」として書き残しておこうと思います。

テキストは生きている

LPL養成講座のテキストは、講師・あけみちゃん(岡部明美さん)が毎期赤入れをして、改訂を続けています。

誤字脱字の修正とかのレベルではなく、あけみちゃんがタイムリーに伝えたいことがテキストに盛り込まれるので、前期と同じということはないのです。
進化し続けるテキストなんですね。

これが、14期の時は赤入れの量が半端なかったのですよ!

その前の年、コロナの影響で1年延期したのもあって、14期のテキストは大幅に改訂されました。

しかも、テキスト制作は、講座と並行して作られていきます。

講座の中で、また、あけみちゃんの日々の中から、これ!というものは即座にテキストに投入されます。
「雪絵ちゃん、これ入れといて〜」というメッセージと共に、時には、目が丸くなるような量の情報が入ってくるんです…😮

ぐほぉ〜😭
コレ入れるのか〜😂

スマホ片手に夜中に悶絶することは珍しくありません

なので、印刷・製本はギリギリまでせず、それでも納期(講座開催日)は遅らすわけにはいかないので、慣れるまでは工程管理に非常に神経を使いました。

慣れてくると、納期とあけみちゃんからの変更依頼ギリギリの見極めがスリリングで。

結構楽しませてもらいました😁

私から言わせれば、LPLのテキストって生き物のようなんです。

たまにどうしていいかわからずに固まるし、時には、龍のごとくうねったり、大暴れしたり。
テキストという生き物に跨って、その躍動を感じながら作っているような感覚になるんですよね。
(じゃじゃ馬ならしのよう?!)

それだけフレッシュで、イキのいいテキストってことですね。

ただ、来期はもうちょっと余裕を持って臨みたいなぁと思ってます。
事務局の仕事もありますからね😅

1から作り直す

LPL養成講座のテキストは、製本されたテキストという形をとっていない頃からのデータがベースになっているのでWordで作られています。

それを何期にも渡って、上書き上書きしてきているのです。

ただ、歴史があるが故に難点もありまして。

古くからのデータはまるごと「図」として保存されているため、その「図」の中の文字の修正ができない部分もありました。

誤字脱字があるのに直せないってストレス溜まるんですぅ…

そこで、14期の前にできた1年の空き時間を機会に、図形や図表データーを1から作り直しました。

見た目は前期(13期)から変わらない部分でも、ほとんどに手が入っています。

また、ページ全体の見た目からモノクロのトーンを変えてみたり、フォントを変えたりと、読みやすくするために細かいところをかなり修正しています。

さらに、スライドからそのままテキストに転載されているページは天綴じ(横長)になっていて、読む時にテキストの向きを変えなきゃならず、読みにくく感じていたので、これらのページは長辺綴じ(縦長)に再構成し直しました。

また、13期まであった「図表図形資料」は各講テキストに再編することになり、この横長から縦長への再編ページが多くて、正直一番の「泣き😂」ポイントでした。

横長から縦長にするって、単純じゃないですからね。

全体のバランスを見ながら、構成要素を一旦バラバラにして組み直す。

時には、違う要素を足してみたり、要らないものを削ってみたり。

今まで、見るだけ、読むだけだった図や表は、自分で作ることによって、なぜそういう形をしているのか理解が深まったり、こうした方がもっとわかりやすいかも、とあけみちゃんに提案することもありました。

そうやって、大胆に手を加えたりしながら、あけみちゃんと何度も練って、作り直して、構成したページも少なくありません。

その結果、今までとは別物に感じられるページもあるんじゃないかと思います。
内容や伝えていることは同じですが、見せ方が変わると、別物のようになるんですよね。

”無茶振り”に鍛えられる

あけみちゃんの無茶振りはスタッフの中では有名ですが(笑)、事務局をやっていて慣れてるとはいえ、それでも悲鳴を上げることもたびたびありました。

前期(13期)のテキストに、サラッと一文で書かれた赤字の指示。

「○○についてまとめる」

いや、あの、「まとめる」って〜😂

今まで受講生としてレポートはたくさん書いてきましたが、まだレポートの方が楽でしたね。
レポートよりもはるかに難易度が高かったです。
レポートならテーマについて自由に書けますが、なにせテキストの原案ですからねぇ。
この一文は衝撃でした🤣

さらに、この指示を見る度に「まじかー!!🤣」と叫んでいたのが、

「雪絵ちゃん、提案して」

の一文。

「まとめる」ならまだ元資料があったりするんですが、「提案して」って…😅

わたくし、1から何かを創るのは苦手でして(元があるものを改善するのは得意なんですけどね)、この2つの指示文に非常に鍛えられました。

たくさんの関連書籍を再読したり、新しく購読したり。
テキスト制作をする時はデスク周りの床まで本が開いたまま散らばっていました。

さらに、読んでまとめるだけでなく、そこからテキストにするわけなので、初受講の人にもわかりやすくするにはどうするかとパソコンの前でひたすら格闘でした。

おかげで、めちゃめちゃ勉強になりました!

アウトプットって勉強になるって言いますが、こういうことかー!と実感しながらでした。

しかも、テキストという形ですからね。

講座全体に流れているテーマや、テキストの流れを止めないように、テキストそのものを何度も読み返したり、全体の構成を考えて、むちゃくちゃ頭とエネルギーを使いましたよ。
何日も作業が停滞していたこともありました。

そうやってまとめたり、提案したページが、あけみちゃんのチェックを経て、14期のテキストの中に点在しています。

たった一文の指示から4ページの内容になったところもありますし、慣れてくると、指示される前に足してしまったページもあります(笑)

あけみちゃんの”無茶振り”のおかげで、文章や図表にわかりやすくまとめる力がものすごく鍛えられ、自信にも繋がりました😃

「編集」という協同創造

13期まであった「図表図形資料」を各講テキストに再編するということもあって、14期の各講テキストは、すべてのページ構成を一旦バラバラにして、再編集しています。

この作業はあけみちゃんからの指示だけではなく、どう構成すればテキストという1つの流れがよどみなく流れるだろうという視点と、見開きで見て見やすいページ構成にこだわり、まるでパズルをするように何度も何度も組み直しました。

最も頭と時間を使ったところかもしれません。

構成の順番によっては、中身が同じでも、出来上がりが変わってくるから面白いですね。

中には、どうしてもあけみちゃんと意見が一致せず、入稿ギリギリまで電話でミーティングを重ねたテキストもあります。

その時あけみちゃんが言ってくれた一言がとても印象的でした。

「違和感は大事。テキストが行きたい方向を、雪絵ちゃんの感性がキャッチしてる証拠だから。」

ああ、そういうことか!と思いました。

フレデリック・ラルーの著作『ティール組織』に「存在目的に耳を傾ける」という話が載ってるんですが、なるほど、テキスト自体の声がこうやって聞こえてくるのか!と思ったのです。

「LPLテキスト」という存在が、自分の行きたい方向(目的)を知っている。

あけみちゃん「が」作っているのでもなく、わたし「が」作っているのでもない。

あけみちゃんやわたしは、その声をそれぞれの感性でキャッチしてるんだ。

「どうしても違和感が拭えない」という形で。

わたしが感じた違和感を、あけみちゃんは大切にしてくださって、そのテキストは前期までとは違う、別物ともいえる構成になりました。

何回も何回も組んではバラしてを繰り返して、時間を使って本当に大変だったけれど、最も思い入れの深いテキストになりました。

それ以来、あけみちゃんの指示を受け取りながら、自分の中から湧き上がる「この方が良いだろう」という感覚を大切にするようになり、あけみちゃんとテキストを協同創造してるんだという感覚を持って作るようになりました。

窮地からの「明け渡し」「委ねる」

テキストのデーターを制作する作業は時間こそかかるものの、技術的に難しい部分はほとんどありません。

編集はじめの頃は、Wordの「スタイル」機能の設定に手間取ることもありましたが、これは波に乗ってしまえば、便利以外の何者でもなく、使いこなすことができるようにもなりました。

ところが、テキスト制作で最も苦労したのは編集したデーターを印刷用PDFデーターに変換していく時のテクニカルな部分でした。

自宅プリンターで印刷するのとは違う、プロの印刷会社に依頼する難しさを痛感しました。

入稿後に、送ったデータでは印刷できないと言われた時は、どれだけGoogle検索しても解決策が見つからず、手も足も出せなくなり「もうダメだー 納期に間に合わないー😭😭😭」と布団を被って号泣したこともあります。

結局、あけみちゃんはじめ、多くの方が困っていることをSNSで拡散してくれたおかげで、通りすがりの方から的を得たアドバイスをいただけて、窮地を脱することができました。

また、「印刷」することを仕事にしている仲間からも、手厚いサポートも受け、とても安心して作業を進められるようにもなりました。

使っているOSやソフトの違いによる、データを渡す難しさを痛感すると共に、「できません」「間に合いません」を言うという、なんでも自分で解決、克服することで生きてきた私としては、今までに言ったことのない言葉を発し、あけみちゃんに受け止めてもらい、SNSで拡散されて情報が入ってくることをただ待つという、「明け渡し」「委ねる」ともいえる体験もすることになりました。

心身は相当すり減ったけど、この窮地の中、「明け渡す」「委ねる」ってこういう感覚なのかと感じ、そして、ちゃんと助けてもらえるという体験もできたわけです。

ただのテキスト制作、編集作業だけじゃないところが「LPL」でした…😂

もう、二度と「納期、間に合いません!」な体験は勘弁願いたいですけどね😓
(体に悪いです)

「表紙」という写真作品

実は、テキスト制作だけでなく、各講テキスト・資料の表紙に、私が撮影した写真を採用してもらいました。

これがねー
また大変でした😅

まず、写真を選ぶところから。

デジタルカメラで撮影するようになってからの10年強の膨大な写真が撮り放しでして。

この中から何点かを探し出すのがもう大変で、大変で。
こういう根気のいる作業苦手です…(泣)

探したら探したで、今度はA4縦長にはめ込み、表題を載せる。

写真て、基本横長に撮るじゃないですか。
この横長から縦長を切り出すのが難しいのなんの。

写真の構図が崩れるわけなので、なかなか「これ!」というものにならず、お気に入りの写真でありながら、表紙としては全く使いものにならないものも多々ありました。

そして「表題」という文字が載ることで、見せたいものが文字で隠れる…

一般的に撮った写真を、表紙の背景写真として使う難しさで萎えました😭
自分の写真であるが故に、結構気が重い作業でした。

そのうち、過去に撮った写真ではなく、表紙に合わせて撮ってしまえ!と思い立ち、このテキストの写真は、表紙用に新たに撮影しました。

しかも、被写体のリースはオーダーして友人に作ってもらい、それを持って清里まで走りました!

ここまでくると、このこだわりようは、ただのテキスト制作ではないですね(笑)
(写真撮影となると、こうなる(笑))

でも、こうやって「表紙用」と決めて撮るほうが構図を決めやすいし、作品として撮りやすい。
撮影時のバリエーションも増えるのは新たな発見でした。

最近は、表紙を意識して、縦位置での写真も多く撮るようにもなりました😊

テキスト制作をしてみて

あけみちゃんと内容を、揉んで揉んで、練り上げたテキストたち。

師であるあけみちゃんと協同創造する時間は、トラブルや慣れないこともあって本当に大変でした。

時間が足りなくて、今までにない心身に負荷を感じながらやっていた時も正直ありました。

でも、自分の今までのLPLでの学びを総復習する時間でもあったし、ただ、復習してまとめるだけでなく、受講生さん(特に初受講生さん)がわかりやすいようにと、7講全体、毎回の講座の流れを意識しながら制作することは、新たな気づきもたくさんあり、非常に学びになりました。

制作しながら、あけみちゃんはこの回で何を一番伝えたいのだろう、と考え、それが伝わるページ構成を考えたりするのは、「テキストを創る」という視点も学べました。

「LPLではこういうことを伝えているんだ」ということを、読むだけではわからなかった、一段深いところで理解も起きてきました。

こうやって関わらせていただけたこと、仕事として担わせていただけたことは感謝しかないですし、とても豊かな体験でした。

なにより、師匠あけみちゃんの奥深さ、幅広さをものすごく感じとる時間でもありました。

いやぁ、LPLのテキストはあけみちゃんの集大成ではありますが、まだまだその一部、片鱗だとも思いましたね。
やっぱり、あけみちゃんの知識、体験の量は凄い!
半端ない!!
膨大!!!
私には宇宙図書館のように感じられました。

そして、いろんな意味で、でき上がったテキストたちがたまらなく愛おしい🥰

少なくとも、私が知っている「LPL」は全部詰め込んであります。

嬉しいのは、「14期のテキストは今までとは違うらしい」と、卒業生さんがまとめて全冊購入してくださったこと。

もちろん、長いお付き合いのスタッフや、受講生さんからの評判が良かったのもとても嬉しかったし、制作者冥利につきました😊

時間と労力を注いで作った甲斐がありました🥰

そして、これを書いている今、次期第15期のテキスト制作がはじまっています。

やっぱりね、作っていると、ほんとに楽しいのです。

時間を忘れて、没頭しています。

もちろん15期も、14期から進化していますよ。
同じじゃありません。

生きてますし、向かう先を知ってますからね。
LPLのテキストは☺

15期も、この「テキスト」の声に耳を澄ましながら、あけみちゃんとの協同創造を楽しみたいと思います♪

乞うご期待❣

LPL養成講座とは?

ここまで読んで、LPL(Loving Presence Leadership・ラビング プレゼンス リーダーシップ)養成講座って何?
と思った方はこちら↓からどうぞ。

LPL養成講座

 

投稿 LPL(ラビング プレゼンス リーダーシップ)養成講座 第14期テキスト制作後記自然に生きる に最初に表示されました。

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星野道夫 写真展『悠久の時を旅する』 https://4kira.jp/blog/10490 Thu, 21 Apr 2022 06:20:00 +0000 https://4kira.jp/?p=10490 星野道夫さんの写真展「悠久の時を旅する」を見てきた。 とても心に残る時間だったので、見終わってすぐの感覚を、そのまま言葉にしておこうと思う。 星野さんの写真は、寄稿した雑誌や本の中では見てきたけれど、写真展として大きくプ […]

投稿 星野道夫 写真展『悠久の時を旅する』自然に生きる に最初に表示されました。

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星野道夫さんの写真展「悠久の時を旅する」を見てきた。

とても心に残る時間だったので、見終わってすぐの感覚を、そのまま言葉にしておこうと思う。

星野さんの写真は、寄稿した雑誌や本の中では見てきたけれど、写真展として大きくプリントされた写真を見るのは初めて。

写真を撮る者として、自然に想いを寄せる者として、重なるものが多い星野さんの写真を見ながら思ったのは、写真とはテクニカルなものだけではないということ。

極北という極限の環境の中では、長大な「待つ」という時間の中から、これだと思った瞬間に1枚を切り取るのではなく、その瞬間にシャッターを押しまくっているだろう。

ましてやフィルム撮影の時代。

ここにあるのは、膨大な写真の中から1枚が選ばれているにすぎず、星野さんが写し撮ったものは、とんでもない量だろうし、狙いどおりのものが撮れた1枚ではないだろう。

もちろん狙っていたとは思うけど、狙いどおりのものが撮れるかは、自然の中では天任せだ。
運と偶然が成せるものが大きいはず。

ましてや、星野さんは動物を撮った写真が多いからなおさらだろう。

だとしたら、シャッターを押したい!と思った瞬間に、どれだけの情熱と集中をそこに注げるかなんだと思った。

そうやって切り取られた1枚1枚の写真には、星野さんのその瞬間の情熱と想いが全力で詰まっていて、星野さんは感じたままにシャッターを押し続けたに違いない。

だから、あちこちのコメントに「フィルムの限りシャッターを押し続けた」という言葉が残っていた。

うん。
その気持ち、よくわかる。
やたら同じ構図の写真ばかりが残ってることがある。

そこで、“なにか”を感じてたんだよね。
言葉にならない何かを。

星野さんの写真は、その熱量が半端ない。

それが膨大な量から選ばれた、たった1枚の写真から伝わってくるのだ。

そこにはテクニカルだけではないなにかが、確かにある。

わたしの写真には、それがあるんだろうか。

そんなことを見終わった今、強く感じている。

会場に入った瞬間、なんとも言えないエネルギーに包まれ、内側からぐぐぐっと込み上げてくるものを感じながら、1枚1枚の写真と、それに添えられた言葉と、星野さんが残した言葉や手紙を見て回った。

星野さんが残した写真の中には、ピントが曖昧な写真もあった。

でも、それだからこそ伝わるものもある。

デジタルで、誰もが美しい写真を残せる時代だからこそ、何を、どう切り取るかは、撮影者の感性が現れる。
そこには、テクニカルなものだけではない何かが現れる。

もちろん基本は大事だけど、星野さんの写真からは、それだけではない、とも感じさせてもらった。

写真1枚1枚を見ながら、その瞬間、星野さんが、どんな景色の中で、どんなことを感じて、シャッターを切ったんだろうと、想いを馳せた。

わたしが横にいたら、どう切り取るんだろう…

なんか、星野さんと並んで写真を撮ってる気分になってきた。

来週から沖縄へ行くんだけど、写真を撮る心構えが変わりそうな予感がした。

アラスカと沖縄。

目に映る景色は全く違うけど、自然の景色を切り取る者として、きっとどこかに共通するものはあるんだろうな。

そして、星野さんが写真を撮りながら辿った道が自分とも重なった。

圧倒的な自然の中にあって、結局惹かれるのは、その営みの中で、自然の一部として生きている“人”と、自然との関わりが気になってくる。

今のわたしの中にあるテーマだ。

展示の最後にあった、モノクロームの古老たちの写真がとても印象的だった。

悠久な時の中に横たわる圧倒的な自然の中にも、人の営みがある。
そこに伝わる伝承と神話には、自然の中で生き抜く知恵と、自然との共存の秘訣が残っている。

わたしもそんなものを写真や映像として残していけたらなぁと想った。

少なくとも、そういうものを聴いてみたいと想う。

さて。

来週からの沖縄・八重山の旅がいっそう楽しみになった。

星野さんが居を構えて、アラスカで生活してみたいと思ったように、わたしは竹富島や西表島に住んで、生活して、そこにある人々の想い、祈りを感じてみたい。

そのきっかけとなる、旅にしてみたいなと想う。

星野さんが最後に記した本を旅の友にしながら。

そして。

自分の中にあった想いを1つ思い出した。

アラスカに行きたい。

20代の頃から、この願いを持っていたことを忘れていた。

デナリで遭難した植村直己さんの本を読んでから、ずーっと行きたいと思っていた。

半年も続く冬。
凍っていた川が、ある日突然音を立てて流れはじめる春。
どんな音がするのだろう?
そして一気に、生命が爆発するような夏。
刻一刻と大地を彩りながら、駆け足で通り過ぎてゆく秋。

どの季節も味わってみたい。

そんな夢を、もう一度持ってみようと思う。

しかし、星野さんが記す言葉は、深いね。

星野さんの魅力は写真と共に残された数々の言葉の深さなんだと改めて思った。

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上高地リトリートへの誘い・4/17 オンライン無料トークライブを開催しました♪ https://4kira.jp/blog/10481 Mon, 18 Apr 2022 13:27:08 +0000 https://4kira.jp/?p=10481 5/28・29に上高地で開催する「自分と出会い 自分とふれあう リトリート」への誘い(いざない)・トークライブをオンラインで開催しました。 ブログでリトリートのお知らせをしたものの、何か伝えきれてない感じがしていて、きっ […]

投稿 上高地リトリートへの誘い・4/17 オンライン無料トークライブを開催しました♪自然に生きる に最初に表示されました。

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5/28・29に上高地で開催する「自分と出会い 自分とふれあう リトリート」への誘い(いざない)・トークライブをオンラインで開催しました。

ブログでリトリートのお知らせをしたものの、何か伝えきれてない感じがしていて、きっと「書く」より「話した」方がいっぱい想いが出てくるだろうと、共同主催者である えりちん(わたなべ  えりさん)のファシリテート力を頼りに、間際での開催を決めてのお知らせでした。

にも関わらず4名の方が参加してくださいました。
ご参加ありがとうございました💚

▲田代池に映る穂高連峰

「ゆきえちゃんのマニアックな話が聞けるかも💕」と前振りされていて、「ん?何がマニアックかわからん😅」状態だったんですが、はじまってみれば、途中でお口にチャックしなきゃいけないぐらい話しちゃいました😝

もうね、森のこととか、上高地のこととか、話し出すと止まんないのよ〜

でも、みなさんが質問してくださったおかげで、答えながら、わたしはあたりまえだと思って言語化できてないなことがたくさんあるなぁと気づかせていただけました。

また、みなさんアンケートにも答えてくださり、

  • 雪絵さんのこれまでのご経験や溢れる知識ももっとお聞きしたいと思わせる内容でした。
  • 元々上高地を堪能したい、自然に触れたい、自然を通して誰かと、なにかと出会いたいといった願望を持っていたのですが、今回のリトリートがまさにピッタリだとわかり参加が楽しみになりました。
  • 上高地の歴史や自然うんちくたくさん聞きたいです。
  • 自然を専門とされている方の話を伺って、今行けていない自然を感じたい。特に他の自然活動との違い。最後にお話しのあった、ネイチャーゲームのことなど、リトリートでのイメージが広がって楽しみになります。
  • お二人のご活動は本当に素晴らしくて、私も知ることができて喜んでいます。応援しております!
  • お2人のやりとりを聞いているのもホンワカしてきて、穏やかな時間が流れたように思います。『自分自身が山や森に絡んできた意味』を知る事が出来、嬉しいような愛おしいような気持ちに包まれました。

など、嬉しいご感想に泣きました!😭

さらに、

  • 人類は700万年森にいたと言う点。海も好きだけれど、森や山にいると、抱かれるように自然の一部に感じる理由がわかりました。
  • 森は人間を落ち着かせてくれる存在であること
  • 国立指定公園の上高地だから感じられる得られるものがあること。私たちも上高地を大切にしなければいけないこと
  • なんとも言えない心地よさに包まれました。ワークショップを介さなくてもこういう快適な気持ちになれる事を体験しました。
  • 『700万年前から、人間は森の中で生きる事が安全,安心であった。そして、森を出つつ進化していった』という話が印象に残りました。

と、自然や森が人に与える良い影響や、オンラインでも心地よさを感じてくださったり、上高地の素晴らしさが伝わったようで嬉しい限りです☺

また、

  • お写真を見せてくださり、心が上高地に飛んでいくようでした。バーチャル背景も良いですが、画面共有で印象的なお写真と、リトリートのお取り組みのエピソードなどをお話しくださると、参加のイメージがより膨らむかと思いました。
  • こんな人が上高地リトリートに向いてる、参加することで得られること、をさらに具体的に表現できると参加し易いと思いました。

と、ごもっともなご指摘。

写真は、途中で準備しておけば良かったと後悔。

また、参加することで得られることなど、お話しできてなかったなぁと思い返しました。

次回は、この点を改善して臨ませていただきます。

なにより、わたしの通信状態が安定せず、途中で落ちて入れなくなったりでした。
この点も改善できたらと思います。

次回は、4/22(金)20時から

▼申し込み

写真たくさんご用意しておきますね。

上高地の写真を見たいというだけでご参加くださってもOKです♪

この後もリクエストがあれば、平日の昼間等も開催可能です。
夜は無理〜!という方、お問い合わせくださいませ。

▲5/30のオプションでご案内予定の明神池(穂高神社奥宮)

 

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